第18話篠塚さんってステンドグラスみたいな人ですね
管理者室に戻り、横井に細切れで仕事の引き継ぎをしてから篠塚は帰り仕度を始めた。意味もなくデスク回りの整頓をしていると
「篠塚さん綺麗好きなんですね」
今週からこれもまた引き継ぎに新しくやってきた事務職員が声を掛けてきた。自分より一回りほど若いその職員は不思議そうにこちらを見つめている。
「もしかして退職されるんですか」
あまり関係性のできていない彼女に篠塚は何も答えず、声を立てない笑いを返した。
「篠塚さんってまるでステンドグラスみたいな人ですね」
思わぬ例えをされて顔を上げると相手はデスクの上に両手を置いたままに篠塚の目を見つめている。大抵こういう突拍子もないことを言われるときは後ろにこちらの予期せぬ誘惑が待っている。篠塚はあえて目をデスクに戻した。
「まるで精巧にできた硝子細工みたいです。実際に存在しているのに硝子の中に描かれた人物画みたい」
「それは綺麗で整っていると褒めてくれてるの?」
「実体が伴っていないという意味です。生きていますか?」
篠塚はあっけにとられて、それから自分でも驚くくらいの笑い声を立てた。
「君は愉快な人だね」
「?」
「普通初対面の人間に『生きていますか』なんて聞かないよ」
「すみませんでした」
「いや。……僕もだいぶ自分に対してうぬぼれが過ぎているようだ」
「?」
篠塚は錦織の言った「主人公」との共通点を目の前の女性との会話で少しだけ見いだした気がした。相手はよく分かっていない様子でパソコンの仕事に戻っている。
「あまり根を詰めすぎないようにね」
「篠塚さん」
「?」
「退職しないってことは旅行ですか。私お土産はもみじ饅頭がいいです!」
「君はほんとに愉快な女性だ」
まだ旅行だとも、どこに行くとも言っていないのに、これでは行き先を指定されているようなものだ。
篠塚は自分のことを実態のない人間だと告げる不躾な彼女のことが妙に記憶に残った。そしてこの妙な記憶と結び付けられたこの女性とは、その後彼が予想だにしていない展開を迎えるのだが、それはここで語るにはあまりに長すぎるので、また別のお話し。
篠塚は「赤い鳥」の主人公原田のように濁流の前に立った心持ちでその行く末をどのように舵切ろうか、むしろ楽しむような心持ちでしばしの休暇の準備を進めた。行く先が現状維持なのか、新たな己を見出だすことになるのか、どちらにしても濁流の中に身を投じて命を断つことだけはないだろうと思った。この一時停止の後にならば原田がどのような道を進むのか言い当てることができるのだろうか。
いやそれでも篠塚は
「僕には分かりません」
そう答えるだろうし、きっとそれだけは読めないような気がしていた。
旬刊「ひだまり」便り夏~ 2 篠塚悟の場合~ 世芳らん @RAN2023
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