旬刊「ひだまり」便り夏~ 2 篠塚悟の場合~
世芳らん
第1話 篠塚さんってどうしてデイで働いてるんですか?
「私が帰りたくないって言ったらどうしますか」
四十を過ぎて、こんな台詞を投げ掛けられるとは思ってもいなかった。それも二周りも若い女性にである。そしてこの小説かドラマのような台詞に自分が翻弄されるようになるとは、このときの篠塚は知るよしもなかった。
運転席でハンドルを握っていると
「篠塚さんって何でこの会社を選ばれたんですか」
ふいに質問を投げかけられ困惑する。
おそらく大した意図があるわけではないだろうが、今までの経験上、彼はこの台詞を勝手にこう翻訳した。
「篠塚さんってデイサービス向きじゃないですよね」
篠塚自身自分が明朗な性格とは限りなく真反対にいると自覚している。どちらかといえば人に話しかけるようなタイプでもなく、話すより聞くほうが好きなほうである。学生時代、「お地蔵さま」という惨めなのか、ありがたいのかよく分からないあだ名をつけられたこともある。これは言い得て妙で、確かに自分に話し掛けてくる相手は、自身の心の中のもやもやを吐き出してすっきりとした顔をして席を立っていく。言われた側はなかなか疲れるものだが、これも持ち前の無表情で周りには気付かれないらしい。
「篠塚さん」
再び話し掛けられて
「ああ、何で?」
質問に質問を返すという卑怯な方法でやり過ごすと、相手はごく真剣な表情でこちらを向いた、ような気がした。というのは篠塚は今デイサービス利用者迎えのための運転中だったため、よそ見ばかりしていられなかったからだ。
「私皆さんの就職理由聞いてるんです。先輩職員さんがどんな気持ちで選んだのか知れたら、自分のモチベーションアップにもつながる気がして」
「ああ、そういうこと」
この新人職員は若いながら仕事への意欲もあり、勉強熱心だと周囲も評価していた。
「真面目だね」
と笑って返してあとは黙りこむと、相手は続きを待つように静まり返った。
篠塚はあえて沈黙を貫いたままハンドルを切る。別段これといった理由はなかった。もともと金融機関勤務だった彼は、日頃から札束を見る機会が多かった。解約しようと預金通帳を持ってきた顧客に、何だかんだと理由をつけてできるだけ解約させまいとすることもあったし、できるだけ定期を預けてもらうよう心無い説得をすることもあった。紙幣と人の顔とを見比べる日々に何となく嫌気がさし、 卒業すぐの就職口を三年も経たないうちに辞めてしまった。上司からも、親でさえも、根性なしだと自分を罵り、呆れた顔をした。その時に就職できそうな場として選択したのが介護だったのである。公共職業安定所からの案内のもとに資格を取得した後、最初は老人保健施設から始まり、いくつかの事業所を転々とした末にここにたどり着いている。
「あ、着いたね」
車を脇に停めてそそくさと降りる。
このやる気満ち溢れる若者にそんな理由を答えられるわけもない。他の人間は何と答えたのだろう。篠塚はどうでも良いような小さな自尊心のために無回答を決め込んだ。
目的とした利用者の家に到着して玄関のチャイムを鳴らすと程なくして扉をがたごとと開く音が聞こえた。
「もうそんな時間か、ちょっと待ってよ」
と八十を目前に控えた高齢男性が鞄を片手に靴を履き始める。
「おはようございます藤山さん」
「んーおはよう」
履き潰されて踵の潰れたシューズはスリッパのようになってしまっている。片手に抱える手提げ袋を受け取って送迎車へと促しながら、篠塚は瞬時に中身を確認する。入浴用の着替えとタオルは入っているようだ。
「藤山さん、昼の薬がないねえ」
「ん、そうだったかな。入れたつもりだったけど」
戻ろうとする相手を制して、ケアマネージャーから伝えられている薬の入っているプラスチックの容器に手をやる。日付を確認して、連絡ノートの入った小袋に入れて家の鍵を目の前で掛けてから、相手が乗り込むまでに部下に座席に防水シートを敷くことを命じた。辺りには尿臭が立ち込めている。何も気付かないふりをして部下が
「藤山さん、次のおうちに向かいますね」
と大きめの声で案内をしているのを聞き終わる前に車のドアを開けて乗り込んだ。
後部座席に乗り込んだ男性利用者がシートベルトを閉めてもらって前に向き直る。隣の座席に職員が座り扉を閉めるのを待って篠塚は車を発進させた。
それほど行かないうちに瓦葺きの屋根の多いこの辺りでは、珍しい洋風の建物に到着する。篠塚は自分は車から降りず窓をわずかに開けたまま、あえてこの若い女性職員に呼び鈴を押させた。彼女は躊躇する様子もなく、ボタンを押すと
「会堂さーん、おはようございまーす」
と間延びした挨拶をした。
扉はなかなか開かない。
先程の藤山氏と異なり、この会堂家は時間に関してかなりルーズな考えを持っている。迎えの時間にタイミング良く出てきたこともなければ、それを悪いと思っている様子もなかった。職員が何度めかの呼び掛けをした後にドアノブを回して扉を押そうとすると、中からかちゃりという音がして鍵が開けられた。中からは中年というにはいささか年を取りすぎている婦人が出てきた。
「会堂さん、お迎えに上がりました」
職員が言うと、女は
「お義母さん!」
と中に向かって大声を張り上げた。
「もうだからいっつも早めに準備してって言ってるのに」
と誰に聞かせるともなく愚痴っぽく言い放って後ろを振り返る。だからといってその言葉の後に、「すみません」だとか「ごめんなさいね」などという台詞を繋げるわけでもない。悪いのはあくまで義理の母親本人で、自分はいささかも関与していないという風だった。
それからまた五分以上は経ってから当の会堂老婦人が姿を現す。
「あらあ、そういえば保険証は持ったかしら」
と言いながらデイサービス用の手提げ袋を漁ろうとした。職員はそれを制して
「会堂さん、今日はねえ、病院じゃないですよ。デイサービス」
大声を張り上げる。そしてさりげなく袋の中身をチェックしてから先を促した。
「デイサービス?あらあ、そうだったかしら。ついこの間行ったはずなのに早いわね」
早いも何も週に二回は行っており、ついこの間が二日前だっただけなのだが、会堂婦人は小首を傾げながら数歩前に進んだ。
「ああ、ステッキは」
振り返ったタイミングで嫁が手渡すのを受け取って彼女は、女性職員の片手を握って歩き出す。残された嫁のほうは、早く行ってくれとでも言わんばかりにすぐドアを閉めた。
迎えに行くと様々な家族と出くわす。家の中から送迎車までついてきて出掛けの挨拶をする家族、玄関先でよろしくと手を振って別れる家族。そしてこういう送り方も時にはある。
全ては関係性なのだ、と篠塚は思う。若い頃から身内とどのように接してきたかが、年を取ってから如実に表れるのだ、そう感じている。かつて老人保健施設に働いたこともある篠塚は、遠方からでも大事にされるお年寄りと近くにいても滅多に誰も寄り付かない老人、色々を見てきた。ただしこれは利用者にとっての目線であって、職員から言わせれば来ようが来まいが業務に理解のある家族であれば大した差し障りはない。この家もその一つである。
「藤山さんお待たせしました」
職員が後部座席にいる男性利用者に声を掛けてから会堂婦人を隣へと案内する。婦人はこの年齢には珍しいロングスカートをはいており、華奢な腕で前の座席を掴んで上品な振る舞いで腰かけた。
「いえいえ」
藤山氏は遅れて返答を返す。
隣に職員が乗り込むのを待ってから篠塚はハンドルを握る。
後ろからは
「すっかり春めいてきてようございますわね。でもまだ少し肌寒いくらい」
と婦人が話し掛けているのが聞こえる。
「そうですなあ」
と腕組みしたまま藤山氏が答えるのを二人は黙って聞いていた。
すでに八月を過ぎておりその中身はとても不自然なものだったが、冷房の効いたこの車内ではひとつの会話として成立していた。認知症の混じった利用者同士では得てしてこういった不思議なキャッチボールが違和感なく行われることがある。二人は特に訂正しないまま前方を見据えた。
篠塚がハンドルを大きく右にきろうとしたとき
「篠塚さん、道が」
新人職員が少しばかり大きめの声で止めようとした。
「いや今日はこっちでいいんだ」
職員は数秒遅れて
「そうでしたね、今日は新しい方が来られるんでした。すっかり忘れていました。『陽だまり』でしたっけ」
「ああ。僕も直接会うのは今日が初めてだよ」
この辺りで数件あるサービス向け高齢者住宅『陽だまりハウス』は、いわゆるアパートと同じ扱いであり、施設とはまたルールが異なる。基本、施設利用者は入所サービスを利用するため、通所型の介護サービスであるデイを利用することはない。そのため篠塚も一見施設に見えるこの集合住宅に迎えにくるのは久しぶりのことだった。
「確か榊原さんでしたっけ?」
「うん。榊原順一郎さん」
この若い職員には榊原氏が車椅子生活をしており、排泄、食事などはほぼ自力で行うこと、都会からこちらへ越してきたこと以外は情報が伝わっていない。ごく上の人間だけが、この榊原順一郎氏こそがミステリー作家として有名なあの脇田壮二郎だと認識している。それはあまり自分のことを口外してほしくないという榊原氏の意見を尊重したものである。
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