サクラ色の季節に桜色の恋をした。

赤坂時雨

第1話

「なぁ……もも?」

「ん~?」

 4月上旬。外の気温はそこまで高くないので少し肌寒い。けれど今のオレにはその寒さがちょうどよかった。

「……あの、さ。ちょっとこっち来てくれ」

「も~、何? 早くしないとアイス溶けちゃうよ?」

 近所で有名なこの並木道は、この時期になると色鮮やかなピンク色を見せる。オレに呼び止められた彼女は振り返り、柔らかく笑いかけた。風に靡くきれいな金糸。陽の光に反射して輝くピンクトルマリン色の瞳。ぷっくりとした小さな唇。そこには新作だと言ってこの間買っていたリップが塗られていて、そのすべてが可愛くて仕方ない。

「……うん。分かってる。でも、今ここで言わせて」

「……?」

 その木の中でも一際きれいに花を咲かせている場所でオレ、眞白雪弥は――――。

「……オレ、桃花のこと……す き、なんだけど……」

 実の妹に告白をした。





 オレは昔から、妹の桃花が大好きだった。最初は家族としての好きだと思っていたが、成長するにつれ可愛くなっていく妹にドキドキして目が離せなくて、今年から中学生になる桃花のことを、オレは一人の女性として見てしまっている。普通にヤバい。解っている。頭ではイケナイことだと理解している。

 けれども、もう止められない。無理だ。

 だからオレは、今日告白をした。

 桃花の入学式の帰りに。

 親が仕事で途中までしかいられなかったので、オレが迎えに行くことになっていた。高校はまだ春休みで特に用事がなかったから、二つ返事で承諾したのがつい三日ほど前の話。

帰りに寄ったコンビニで買ったお菓子やアイスが入ったレジ袋を手に提げ、固まる桃花。オレはまともに桃花の顔を見られなかった。沈黙が流れ、時間だけが過ぎ去ってゆく。

「……す、すまん! 変なこと言った。忘れてくれ。あ、アイス溶けるし、早く家に帰えろう!」

 痺れを切らしてオレは口を開いた。引いたのか、気持ち悪いと思ったのか。分からないけれど一つ言えることは、嬉しいなんて思うはずがない、ということだ。オレたちは家族であって、恋愛感情を抱くなんてそんなの普通じゃない。

 オレは自分から言い出したのにも関わらず怖くなってしまい、桃花の反応を見る前にさりげなく手からコンビニの袋を取ると、そのまま早歩きで自宅へと向かった。

「……うん。そうだね。お兄ちゃん」

 嬉しそうな声色で返事をした彼女の、恍惚とした表情をオレは知らない。

「…………」

 気まずい空気の中、遠くの方で親子連れの楽しそうな会話がやけに大きく聞こえる。きっとあの家族も入学式だったのだろう。夕飯はご馳走なんだろうか。などと考えていたら、家の前に着いてしまった。カバンから家の鍵を取り出し、鍵穴に刺す。ドアを開けて桃花を先に家の中へと入れてやると、立ち止まった彼女がオレの目を見て口を開いた。

「ありがと、お兄ちゃん」

 いつもと変わらない可愛い笑顔でお礼を言われ、告白してから初めて見るそのえがおにドキリとしてしまったのはここだけの話。わざとらしく咳払いをしてオレもそのあとに続いて家に入ると、ドアを閉め鍵を掛けた。今日両親は仕事で帰りが遅いらしい。オレたちが寝ている間に帰ることになるかもしれないと前から言われていたのだ。

「そうだ、もも。今日の夕飯、何か食べたいものは――」

「ねぇ、お兄ちゃん。さっきの話、あれほんと……?」

 鍵を棚に置きながら桃花に会話を振ると、オレの言葉に被せて桃花が先ほどの話をし出した。ギギギ……と壊れた玩具のように首を動かし桃花の方を見ると、頬を赤らめた少女がそこには立っていて、こころなしか肩が震えているようにみえる。

「……ぇ、あ……っと……その……」

「ほんとに、ももかのこと好き……? なの……?」

 桃花は上目遣いでオレを見つめながらきゅ、と力なくオレの服の裾を引っ張った。少し前屈みになったことで、制服の中から白色の下着が見える。心臓が急に速度を上げて動き出した。さっきよりもうるさい。変な汗が止まらず、頭は沸騰していく。

「~~~~~っだぁもう! 好きだよ! 大好きだ! 家族としてじゃなくオレは! この世で一番、眞白桃花を愛してる!!」

 わけが分からなくなったオレは、玄関先ということも忘れて叫んだ。とにかく叫んだ。

「……っは、ぁ……はぁ……」

「………」

「……っ! す、すまん! うるさかった、よな…てか、近所迷惑か……フツーに……」

 オレは無言のまま俯く桃花を見て、ようやく正気に戻った。勢いとはいえ、玄関という狭い空間で叫ぶように告白するなんて引かれても仕方ないと思う。

「いや、すまん。本当にすまん……。で、でもこれだけは信じてほしい。オレは、本気……だから……」

 冷静になっても頭が回らないのは変わらなく、だから、その……と口籠ってしまう。上手く言葉が、言いたいことが、まとまらない。

「……んふ…っ……ふ、はは……っ」

 オレがどうしたものかと悩みに悩んでいると、先ほどから俯いて動かなかった桃花が、肩を震わして笑い出した。それは次第に大きな声になっていき、ツボにハマったかのように笑っている。

「あ、あのー……モモカサン……?」

 一体どうしたって言うんだ。オレが困惑しながらも声を掛けると、涙を指で掬って廊下に座り込んだ。

「あはは……っ、ごめ、ごめんね……。お兄ちゃんがさ、あまりにも必死だったから……っ」

 おかしくって、と笑いながら答える桃花にオレは顔に熱が集まるのを感じた。人が真剣に(二回も)告白したって言うのに、それを笑うなんて……。それでも怒れないのは惚れた弱みってやつなのだろうか。

「し、仕方ないだろ……それだけお前が好きなんだから……。バカにしたきゃいくらでもバカにすれよもう……」

 はぁ、と大きなため息をつき、オレは靴を脱いでリビングのドアを開けた。きっとアイスはもう溶けて形を保っていないだろう。

「……ったく」

 口ではああ言ったものの、ちょっと安心している自分がいる。冷蔵庫まで行き買ったものを入れていると、後ろからとたとたと可愛らしい足音を鳴らして桃花が走ってきて、いきなりドンっと抱きつかれた。

「どわっ……!」

「……ごめんね。バカにしたいわけじゃないよ。あのね、ももかも……お兄ちゃんのこと、好きなんだ。……ちゃんと、お兄ちゃんと同じ意味で、ね……?」

 桃花はオレの腰に腕を巻きつけ、背中にすり、と頬ずりをした。ジワリと全身に熱が巡り心臓が早鐘を打つ。お兄ちゃん……という震えた声が耳を掠る。これ以上はダメだ、と頭に警告音が鳴り響くが、今のオレにそんなことを気にしていられる余裕なんてなかった。

「……っ、もも……」

 ゆっくりと振り返ると、それに合わせて腰に巻きついていた腕の力が緩まった。薄い膜を張ったピンクトルマリンには、顔を真っ赤に染め上げた情けないオレの顔が映っている。桃花がパチ、と瞬きをしたら、それに合わせて大粒の涙が一滴床に落ちた。オレを見上げてる彼女の頬にそっと方手を添え親指で目元を拭ってやると、小さな声を上げて脊髄反射で目を瞑る。そのまま横の長い髪を耳にかけたら、桃花はオレの手に自分の手を添えてこてん、と首を傾けた。

「……お にぃちゃ……」

 熱っぽい声色で呼ばれると、風邪を引いたときみたいに頭がぐるぐる渦巻いて視界が歪む。全身が熱くて仕方ない。両親がおらず、二人きりという状況が更にオレをダメにしてく。

「……もも、か…っ」

 ついに正常な判断が出来なくなったオレは桃花の頬から手を離し、自分側に引き寄せた。もう片方の手を後頭部に回し、そのまま小さな唇に吸い寄せられるように顔を近づける。

「……ぁ……ぅ」

 桃花が目をぎゅむっと瞑った瞬間。

 ピピピピ……。

『っ!?』

 口から心臓が出るほど驚いた、とはまさにこのこと。オレと桃花は勢いよく離れて、音の鳴っている方へと視線を向けると、音の発信源は冷蔵庫であった。買った物をしまっている最中だったのをすっかり忘れていたのだ。そのため開けっ放しにしていた冷蔵庫が、早く扉を閉めてくれ、と音を鳴らしたというわけだった。

「の、飲み物! マズい! 冷蔵庫!(?)」

 オレは急いで袋から取り出し入れていく。手に取った炭酸のペットボトルはもう冷たさを失っていて、色々とありすぎたせいで頭は大パニックを起こしている。

「……せっかくいいところだったのにぃ……」

「い、いいい今のは忘れろ! いいな! あ、あと母さんたちにも言うなよ!?」

 思い切り冷蔵庫の扉を閉じたオレは振り返って桃花に叫んだ。本人はもう冷静さを取り戻していて適当に返事をしていたが、オレは未だ落ち着けずにいた。

「……あ、あぶなかったぁ……」

「ねぇお兄ちゃん。ももかたちって、恋人……ってことでいい、んだよね……?」

 オレが胸に手を当て深呼吸していると、桃花が上目遣いで聞いてきた。落ち着きかけていた心臓が急激に活動を始めたのは言うまでもない。

「へぁっ!?」

 思わず素っ頓狂な声を上げてしまったが、桃花はそんなこと一切気にせず、どうなの? ねぇ~? としつこく迫ってくる。

「い、あ……その……こ、こいび と……で、いいのか……?」

「ももかのこと好きだって言ったのは嘘なの……?」

「い、いやいや! 嘘じゃない! そうじゃなくって……でも、だってオレたち、兄弟だろ……?」

 そうだ。オレたちは血の繋がりのある兄弟であって、付き合える間柄ではないのだ。手を繋ぐことは出来ても、必要以上にスキンシップを取ることは出来ない。先ほどはその場の空気というか雰囲気に流されてキスしそうになったが、本来はしてはいけないことなのだ。

 解っていたはず、だったのに。

 桃花もオレと同じ意味で好きだと言ってくれたのが嬉しかったから。感情が昂ってしまったから。

 言い訳はいくらでも浮かんでくる。

 けれどしようとした事実は消えないし、変わらない。

「……きょうだいが、何……? 別にそんなの、ももかはどうでもいい。ももかは、単純に眞白雪弥という人に恋をしたの。……それが家族だったら、好きになっちゃダメなの……?恋しちゃ、いけないの……?」

 けれど桃花はオレたちが兄弟であることをなんとも思っていないようだった。いや少しは気にしてほしいところではあるのだが……。

「そ、そうは言ってないだろ…」

「……ひっく……もも、か……おにいちゃんに好きに、なってもらうために……ぐずっ……いっぱい、勉強して、かわいいおようふく、とか……っ、おにいちゃんの、このみとか…ずっ……いっぱい、いっぱいべんきょ、したのに……っ、!」

 どうすればいいか悩んでいると、突然桃花が泣き出したのでオレは急いでティッシュを取りに食卓テーブルに向かった。

「……桃花……」

 けれど、桃花の話を聞いているうちに、ティッシュを取ろうとしていた手が止まってしまう。

ここは、無理に宥めたりせず話を聞いてやる時間ときだと思ったから。

「……ひっく……すこ、しでも……を好きに、なれたから……ぐずっ……だから、ももか……ほんとうにお兄ちゃんが……んぅっ!?」

「……っは……」

 気が付けばオレは桃花にキスをしていた。ほぼ無意識だった行動に、オレも桃花も驚いている。

 上手く説明できないのだが、泣きながらも必死にオレへの想いを伝えてくれる桃花が、途端に愛おしく思えた。心臓がきゅぅ、となって、気が付いた頃には桃花の唇に自分のそれを重ねていて。

「……す、すまん……っ。……でもな桃花。オレは、お前の笑顔が大好きなんだ。昔から変わらない、あの笑顔が好きなんだ。……だから、泣くな。お前に悲しみの涙は似合わないって言ったの、忘れたか?」

 制服の袖で無理やり目を拭おうとしていた手をやんわり止め、ちゅっと口づけをした。まさか目元にまでキスをさせると思っていなかった桃花は、びっくりした表情のまま固まっている。お陰で涙も引っ込んだみたいで、予想通りである。

「忘れるわけ、ないよ……っ! だって、あれは……あの日は、ももかにとって、特別な日だもん……っ! ……初めてお兄ちゃんに恋した日、だから……忘れるわけないよ……」「そ、うだったのか……。改めて言われると、なんか照れるな……」

 ははは、とオレは思わず視線を逸らして頬を人差し指で掻いていると、ガバっと桃花が正面から抱きついてきた。急な出来事にオレの貧弱な身体は対応しきれず、地面に尻もちをついてしまった。

「ったたた……」

「……お兄ちゃん。やっぱ、ももか諦められないよ……。ももかはお兄ちゃんが好き。家族だから、これからもずっと一緒に居られるかもしれないけど……でもお兄ちゃんじゃやだよ……」

 膝の上に乗っかった桃花が言う。オレが涙は似合わないと言ったからか、泣くのを必死に堪えながらも、視線はオレから逸らさない。

「……お兄ちゃんじゃやだ、か……」

 そんなことを言われれば、もうオレの完敗である。再び後頭部に手を添えてグイッと引き寄せ、肩口に埋まった桃花の頭を優しく撫でて抱きしめた。

「……嬉し泣きは泣いたうちに入らないって、言ってたっけか……」

「え……?」

 顔を上げた桃花に、オレはもう一度キスをした。

 今度はちゃんと意識して。

「……オレも、妹じゃ我慢できないわ。……桃花、オレと付き合ってくれるか……?」

「~~~~っ! ず、ずるいよそんな言い方……っ」

 そう言いながら、桃花の綺麗なピンクトルマリンからは壊れたダムのように大粒の涙が零れていた。小さな赤子のように大声を上げて泣く桃花の背中を、オレはひたすらにさすっていた。

「これからよろしくな。……大好きだぞ」





「なんで目の色みんなと違うの~?」

「なんか、へんだよね」

 幼稚園の頃からずっと言われ続けてきた。

「髪の色も金色でちょっと怖いし……」

「他の子と遊ぼ~」

 外国人の母と日本人の父の間で生まれた私は、兄よりも母の血を多く引き継いだらしく、生まれつき髪の色も目の色も周りの子と違った。薄くて白に近い金色の毛。母と同じピンク色の瞳。他の子と違うことが嫌で、あまり周りに馴染めなかった。

 ほんとはみんなとかけっこをして遊びたい。縄跳びも砂場遊びも、お絵かきとかもしたい。でも、できなかった。声を掛けれなかったのだ。

 私は他の子と違うから。

 毎日が辛くて、どれだけしんどかったことか。

 変だと言われ髪を引っ張られたり、机に落書きをされたり。怖いから目を合わせたくないと陰で言われていたりもして。

 でも一番嫌だったのは、こういう状況だということを誰にも相談できないでいた自分だった。先生にも、家族にも。だからよく、大きな木の下で隠れるように座っては一人で泣いていたのだ。

 でもそんな時、私の目の前にヒーローが現れた。

「ももに涙は似合わないぞ! 泣くヒマなんてなくなるくらいオレが笑わせてやる! だから、泣くな!」

 私に手を差し伸べてニカっと歯を見せながら笑ったヒーローは、私の手をグイッと引っ張り立ち上がらせると、私の嫌いなサクラの木の下で両手を広げた。

 春になると、サクラの花を見てみんなが私の目の色をイジるから、サクラの花が嫌いだったけど……。

「オレはももの目、このサクラの花みたいでキレイだと思うんだよなぁ。だから、オレはももの目、大好きだぞ!』

 その一言で、私の世界は変わった。それはもう、言葉では表せられないくらい。私の存在価値を示してくれたたった一人のヒーロー《お兄ちゃん》に、私の止まりかけていた涙が更に溢れ出てしまい、地面を濡らしていく。

 ただただ嬉しかった。嬉しくて、あたたかくて。

 家族だから、兄弟だから声をかけたのかもしれない。それでも、このときの私にとっては一生忘れることのない、特別な日となった。

「それに春ってピンクが増えるから、なんかももの季節みたいだよな……って、うわぁっ!す、すまん! なんかイヤなこと言ったか!? た、頼むから泣かないでくれ!」

「……これ、はっ……うれしなみだ……だから、ないて、ない……っ」

 嗚咽交じりになんとか言葉を紡ぐと、お兄ちゃんは首を傾げてきょとんとした。

「ももは嬉しいと泣くのか?」

「……泣くときって、全部が悲しいことだけじゃないんだよ……っ」

 お母さんと一緒に見ていたドラマだって、最終回は感動して泣いてしまったし、たくさん頑張って勉強した教科のテストで、満点を取れたときは嬉しくて泣いてしまう。

「ふ~ん。オレにはよくわからんな……。でもじゃあ、ももには悲しみの涙は似合わないってことにしよう! それ以外の理由であったら泣いてよし! オレが……お兄ちゃんが許可しよう!」

「……ふはっ……あはは……っ。なにそれ……く、ふふ……っ」

「? 何が面白いのか分からないけど、ももが笑ってくれてよかった!」

 そしてしばらくの間、私たちは桜の木の下で笑いあっていた。





「――――ありがとう。お兄ちゃん」

「ん? 何か言ったか?」

「お兄ちゃんが大好きって言ったの」

「はは、オレもだぞ。桃花」

 リビングの床に座りながら、私たちは何度目かのキスをした。


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サクラ色の季節に桜色の恋をした。 赤坂時雨 @sagiwakame0141

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