羊の夢

アル・棒ニー

後悔

私は、郊外の大きな病院で医師として働いていました。国立大学の医学部に現役で入学し、卒業してそのままその病院に就職した私は、…自分で言うのもなんですが、正直、勝ち組でした。……収入も将来性も安定し、若くして裕福になることができたのですから。


ある日のことです。私の担当する末期の癌患者が亡くなられてしまいました。大きな病院でしたから、担当の患者さんがなくなることは珍しいわけではありません。私はその方の最期の手続きを事務的に進めました。これまでにも何度か経験のあることでしたから、慣れたものでしたね。


ところが、それが何度も続いて起きたのです。4人ほどの患者さんが一斉に亡くなられ、病院側も違和感をもたれ始めたのです。

当然、それを放置しておくわけにもいきません。病院では、本格的に調査がなされることとなりました。

調査の結果分かったのは、患者に注射されていた点滴に、非常に致死性の、そして強力な毒物が混入されていたということでした。

病院の食事や薬品には厳重なチェックがなされており、まずそんなことはあり得ないということでした。となれば、誰かが意図的に患者に毒物を混入したとしか考えられないのです。


このことはが公になることはありませんでした。

この事実が明るみに出たら、病院側の管理責任も問われることになることは明白でした。ですから、このことは病院内で内密に処理されたのです。

もちろん、患者の死因を公表するわけにはいきませんから、病死や自然死として報告されました。

私は罪悪感を覚えつつも、正義のために、勝ち取ったこの生活を手放すには余りにもへたれな男でした。

病院は定期的に毒物を検査をすることで、患者がこれ以上亡くなることを抑えようとしました。そして事実、毒物摂取による死亡件数はめっきり減っていきました。


…しかし、これで一件落着というわけではありません。今度は、首吊りや屋上からの飛び降りによる自殺事件が相次いで起こり始めたのです。

どうやら、病院の裏で患者を自殺へと誘導する何か、がうごめいているようでした。

病院は、患者の自殺をなんとか隠蔽しようとしました。ですが、隠蔽の試みはことごとく失敗に終わりました。


噂は瞬く間に広がり、呪われた病院として巷で有名になってしまったのです。

結果として病院は廃院することになりました。

私は、誰もいなくなった病院の片隅で、ただぼんやりと、自問自答を繰り返していました。


――私には何かできなかったのだろうか


被害者面、自業自得、そんな言葉が浮かんでは消えます。


とても、他の病院に移る気にはなれませんでした。

この病院は、私の担当患者たちの墓場であり、私のようなものにも心ある扱いをしてくれた、大切な場所ですから。


そうして、働きもせず自堕落な生活を続けていたある日のことです。


私は、一つのネット記事を見つけました。

『宗教団体での集団自殺』


面白半分で書きなぐられたような、ひどいゴシップ記事です。

でも、私にはそれが嘘だとは思えませんでした。

だって、私はあの病院で、それを見たのですから。


私はいつの間にか、あの病院で起こった事件の真相を探るようになっていました。


本当に、いろんな手段を使って情報を集めました。

病院の廃墟へ足しげく通い、関係者への聞き込みを重ねました。

スピリチュアルな、神秘的な力に頼ってみました。

この事件の捜査は、私の生きがいのようにもなっていました。


そして、私が遺族の方々に、事件について尋ねた始めたときのことです。私はひとつの共通点を、彼らの口から直接聞くことができたのです。

それは、自殺した患者のすべてが、遺書にとある文章を書き残していたということでした。


『死にたくない、生きたくない、でも死ぬしかない。どうすればいいのだろう』


それは、とある物語のワンシーンでした。

著者も、出版社も不明の、ただのWeb小説。


『羊の夢』

そう、銘打たれたその小説は、オカルト好きの間では「読めば死ぬ」とまことしやかに噂される、いわくつきのWeb小説だったのです。

私は必死になってその小説を探しました。ネットの掲示板によれば、その小説は既にネット上からは消え、読むことは不可能に近いようでした。


しかし、私は諦めませんでした。どうにかしてあの小説を読みたい。死に物狂いでその方法を探しました。

そして、ある日のことです。

私はついに、その小説を読むことができたのです!


ああ、私は感動のあまり絶頂してしまいそうだった!!

ここには、あの事件の真相がある!そう確信しました。


私は嬉しさであふれ出る涙をぬぐい、小説を隅から隅まで読みました。

そして、私はなぜ彼らが自殺を図ったのかを理解しました。


『羊の夢』は、本当につまらない、マルコフ連鎖を使ったただの実験小説だったのです。


めまいがして、意識が遠のくような気がしました。

もはや生きがいと化していた私の調査は、ただのゴシップと無責任に広がり続けた噂の一端に過ぎなかった!


でも、それはあんまりにも悲しいじゃないですか。

ただの噂が、本当にただの噂だったなんて。


だから、私は『羊の夢』を噂通りの呪われた小説にすることにしました。


今震える手でドアノブにロープを括り付けます。


今になってやっと、あの患者たちの気持ちが分かったような気がしました。

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