フォーリン・ダウン

えいとら

第1話

 雑草の丘のてっぺんに、朽ちた鉄塔が立っていた。


 その鉄塔は長くいびつで、巨大な獣の背骨のようだった。



 真っ赤だった空は少しだけ暮れて、灰色が混ざっている。


「急がないと」


 と僕は白い息を吐き、つぶやいた。




—————




 僕は、朽ちたフェンスの囲いの穴をくぐろうとした。地面付近に出来た高さ70cm程度の穴だ。


「いたい」


 強い赤い光で距離が掴めず、僕はフェンスの鉄製の錆びたワイヤーで、手の甲を切った。


僕の血は赤い光に漂白され、肌の色と同化したように見えた。


「夕日で、痛みも消えれば良いのに」


僕は流れる血をそのままにして、四つん這いで進んだ。


 フェンスを超えた僕は、湿った雑草を掻き分けて、立ち上がる。


そうすると、鉄塔のバカデカい4本のH形鋼えいちがたこうの脚が、僕の目の前にあった。


遠目で見た貧弱な印象と異なり、鉄塔の4本の脚は無骨に荒々しく土を穿うがち、立ち上げられていた。


 鉄塔の脚の横には、崩れたコンクリートかべの小屋がある。


その小屋は、鉄塔にくらべて矮小わいしょうで、”ついでに”建てられたかのように、僕には見えた。


小屋の中は夕日の闇でよく見えなかったが、錆びた鉄製の機械がいくつも並んでいた。


きっとこの鉄塔は、何か大事な施設だったんだろう。


 しかし今の僕には、昔の事はどうでも良かった。

僕の目の前にうづくまる、遺棄された小屋にとってもそうだろう。


 ”死んだもの“には、役割も目的も感情も無い。

当たり前のことだ。


 僕は、小屋の外壁そとかべに備え付けられた、簡素な鉄製の梯子はしごに向かう。


 そして、梯子を素手で掴んだ。


 梯子は、冷たい。


 そして、”固い”。


 その梯子は、錆びた見た目とは裏腹に、しっかりと壁に固定されていた。


僕の体重の倍ぐらいの重さにも、耐えられそうだった。


しかしそのせいで僕は、梯子はしごの冷ややかさを、よりいっそう強く感じた。


枯れながらも強固にコンクリートに喰らいつき、僕を拒絶するように体温を奪う鉄の棒。


そんな梯子の存在感に、漠然ばくぜんとした荒涼こうりょう感に包まれた僕だったが、気をとりなおす。


「ともかく……登ろう」


 そう。僕には、やる事があるんだ。


 高さ7mほどの梯子は、すぐに登りきれる。


 僕の顔は、小屋の外壁そとかべを越えて、屋根の上に出た。


その瞬間、重量を感じる程の光に、僕の視界が包まれる。


顔面に叩きつけられるような赤い光のたばに目が痛み、涙が一筋、流れる。


 しかし僕は構わず、梯子を掴み、真っ赤な屋根の上に自分の身体を引っ張り上げた。


うつむきながら涙目を左手で隠し、僕は屋根の上で立ち上がる。


「どこもかしこも赤い」


 そんな言葉を切断するように、「ブオ」と吠える風が、僕のダウンジャケットを持ち上げた。


服の中に侵入した風が、湿気と温かさを唐突に奪う。


僕の体毛が総毛立そうけだつ。


 血管が、縮こまる。


 思考も、すぐに凍った。


 この時、僕は産まれて初めて、寒さが本来的にもつ“殺意”を感じた。



「凍える」って、こういう時の言葉なんだな。



 でも僕は、なんとか寒さから顔を背ける。


そして、鉄塔をあおぎ見る。


強い夕日に照らされた鉄塔は、全ての色を飛ばされ、黒い影になっていた。


「小屋の高さが7mぐらい。

じゃあ、この鉄塔は30mか……それか、40m?」


 間近で見る鉄塔は、”錆び“でできた大木のように見えた。

 

風雨で錆びた鉄塔は、夕日の赤と表面に浮かぶ錆のデコボコにより、赤と黒の2階調の模様に包まれていた。


それは、恐竜のうろこのようであり、無意味な幾何学模様のコラージュのようでもあった。



 くたびれたコンクリートの屋根に立った僕は、長い長い赤黒い影を連れて、鉄塔にゆっくり近付いた。


 そうすると、鉄塔の表面にまとわりつく足場タラップが、ハッキリと見えてきた。


 それは、H形鋼の間で両端を溶接された鉄の棒だ。


 それは、僕が鉄塔を登るための“心許ない足場”だ。



 怖いっちゃ怖い。


そんな足場に、自分の足を掛けるのが怖い。


そんな足場に、自分の命を預けるのが怖い。



 でも、僕は麻痺していたんだ。


鈍い痛みと、一面の赤色と、てついた風と……


なによりも、目前の夕日のような狂った“空気”のせいで。




―――――

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