伊達の姫③

 そこは暗闇の世界だった。

 目を開けている感覚はあるのだが、瞳には真っ黒な闇しか映し出されない。


 ここは何処なのだろう。

 恐る恐る手探りで辺りを調べると、何か柔らかい物に身体が包まれているのがわかった。


「何かしら……これ。それに爽やかで芳醇な匂い……。これ私が良く使ってた香水の香り……。確か――」


 蓮の香水。私が生前愛用していた香水のひとつだ。

 蓮は水辺の手の届かない所に桃色の花を咲かせる。誰にも縛られず、それでいて存在を大きく見せたい、我儘な自分を象徴するような所が一番のお気に入りだった。


「死人の私に最後のプレゼント? 閻魔様も粋な事してくれるじゃない」


 なら最後にお礼だけでも言っておこう。

 もしかしたら機嫌を良くして、新しい生まれ先を選ばせてくれるかもしれないし。


 なーんてね。

 そう思いながら、私は仰向けになっている身体を起こそうと腕に力を入れた。


「あだッ‼」


 何かが頭にぶつかった、ってよりも自身が何かに隔離されている事に気付いた。

 確認のため手を上げようとするが、真っすぐ伸びきる前に何かに当たってしまう。


「これは……天井? いや、違う。私何かの細長い箱の中に入っているんだわ。それに何かしら……この声。お経……?」


 狭い空間に閉じ込められているせいで良く聞こえないが、この独特な高低差の無い音程と言葉はお経である。

 

 死んだであろう自分とお経。

 なるほど、これは葬式だ。皆私が死んだと勘違いしているのだ。


 となると、刺された後気を失ってからはとんだヤブ医者をつかまされたようだ。私は死んでないっつーの!


「おーい! 私は生きてるっつーの! ここ開けなさいよ! 重くて全然開かないのよ!」


 反応が無い。

 私は見えないながらも身体を反転し、うつ伏せになりながら足の裏で塞いでいる何かを蹴る。


「ちょっと聞こえないの⁉ 開けろって!」


 流石に気付いたのか、さっきまで聞こえていたお経がピタリと止まる。

 それでも天井が壊れない程度に蹴っていると、私はとある違和感に気付く。

 

「スンスン、……何この匂い?」


 焦げ臭い匂いが辺りに充満する。

 それに暑い。まるで真夏のコンクリートを触っている気分だ。


 さらに温度は上がり、辺りをオレンジ色の光が包む。

 これは――。


「アチチチ! 馬鹿、燃えてる! 燃えてるって!」


 私はようやく自分の状況を理解する。

 火葬だ。生きている自分を棺桶に入れたまま火葬が始まっているのだ。


 冗談じゃない。このままでは丸焼きになってしまう。

 死因が火葬だなんてまっぴらごめんだ。

 

 そう思い、力いっぱい固定された棺桶の蓋を蹴り続けた。


「こっの! 壊れろ! 壊れろ! 壊れろー!」


 メキメキと音を立てながら棺桶に外の光が差し込む

 早くしないと手遅れになってしまう。私は力を極限にまで振り絞り、天井を思いっきり蹴り上げた。


 バキッと木材の折れる音と共に、棺桶の蓋と桃色の花弁が宙を舞う。

 急いで起き上がるが、炎によって発生した黒煙が視界を塞ぎ、呼吸をするたびに喉奥を締め付ける。


「ゲホッガホッ! 誰かっ! 水っ――!」


 呼びかけに応じるように大量の水が一回、二回と飛んでくる。

 何とか燃えずに済んだが、おかげで身体はびしょ濡れの煤まみれだ。


「……ったくとんだ厄日ね、今日は」

 

 周りを見渡すと見慣れない装束に身を通した男性が数十人、女性が数人。

 皆驚いた顔でこちらを見ている。


「アンタ達……誰? そもそも……ここ何処よ?」


 風情のある手入れが行き届いた庭、少なくとも私の知っている場所ではなかった。

 ここは本当に火葬場なのだろうか。


「ひ、姫様!」


 学校では姫と呼ばれていたが、こんなちょんまげ侍など知り合いにはいない。

 それに年齢もバラバラだ。少なくとも、ここいる連中が学校の人間ではないという事ぐらいは分かった。

 

「ひ、姫様……⁉ 良かっ……た、生きておられたのですね!」

「ん?」


「わーん! 姫様――!」

「わわっ! ちょ、ちょっと⁉ 何なの⁉」


 走って抱きついてきたのは自分を姫と呼ぶ女性。

 小袖が似合うとても美人な人だ。それに良い匂いもする。


 ……泣いているのだろうか。

 彼女の瞼から涙が零れているのが白装束越しにわかった。


 しかし困った事に、この女性が誰なのかがわからない。

 こんな和風美人、お手伝いにも、知り合いにもいなかったからだ。


めご……? お前……、生きているのか?」

「……は?」


 姫の次は自身を愛と呼ぶ謎の男性。

 見た目は十代半ば。黒い長髪を後ろで結んでいる。


 顔は……悪くない。男のくせに長髪なのは気になるが、スッキリとした普通にモテそうな顔つきをしている。


 それと一番の特徴は右目を覆った黒い布だ。中央には家紋らしき模様がうっすらと入っている。目を怪我しているのだろうか。


(はて……? コイツ、どこかで見たような……)


 顎に手を当て記憶を呼び起こしていると、美人の女性が涙目ながら笑顔で私の手を取った。


「姫様、私です! 侍女頭の喜多きたで御座います!」

「……き……た……?」


 どうやらこの美人の女性は喜多という名前のようだ。

 

 それにしても侍女頭とは随分と古い言い方をする。

 家でいうメイド長的な立ち位置なのだろうか。


 まぁどちらにせよ会った記憶が無いのは確かだ。


「ごめん……。どこかで会ったかしら?」


 外野がざわつきだす。そんなにおかしい事を言っただろうか。

 

「喜多、愛は突然の事で混乱しているのかもしれん。身体も煤まみれゆえ、一度風呂に入れて参れ。話はそれからじゃ」

「……御意で御座います」


 それよりここが何処なのか教えて欲しい。

 刺されてから何日たったのか。何故自分は火葬されそうになったのか。ずんや他の仲間はどうしているのか。


 そんな疑問などお構いなく強引に誘導される形で、私は喜多という女に連れられ風呂場へと向かうのだった。


 ――――――――――


「姫様、どうですか? 洗い足りない所などは御座いませんか?」

「……ええ、もう大丈夫……かな」


 白い浴衣を纏った喜多が、私の白くて細い身体を手拭いで綺麗に擦る。

 どうせ洗うならボディソープぐらい使って欲しいものだが。だが、辺りを見渡してもそんな物は見当たらない。


 それにシャンプーは? シャワーは? 口からお湯を吐く大理石で出来たスフィンクスは?

 それは実家の話なのだが、このご時世最低限シャワーぐらいは付いているのが普通だろう。他人の家に行った事がないからわからないが。


「あららら……、しかしこちらはどう致しましょう……。困ってしまいました……」

「どうしたの?」


「折角綺麗だった姫様の髪の毛が……。火に触れたせいで渦を巻いておりますね」

「え、マジ⁉ ここ鏡がないから自分じゃわかんないよ」


 喜多は私の髪の傷んだ部分を見せてくれた。

 これは酷い。まるで昭和のお母さんじゃないか。


 いや、正直そんな事はどうでも良い。

 流れで喜多という女に髪や身体を洗われているが、私としてはここが何処なのか知りたいのだ。


 まるで日本の城のような造りに、それに似合った服装や髪型の人間。

 火葬されそうになっていた事から葬儀場で間違いないはずなのだが……。


 少なくとも私の地元にはこんな葬儀場は無い。あったらそれこそ有名になっているはずだ。

 私は喜多にここが何処なのか聞く事にした。


「ねぇ……、喜多……さんだったよね? アンタに聞きたい事があるんだけど……」

「喜多さん? フフフ、姫様ったら急に改まってどう致したのですか。私の知っている事でしたら何でもお答え致します故、何なりとお聞きください」


「そう。じゃあ単刀直入に聞くけど、ここ何処? 私お風呂上がったらさっさと帰りたいんだけど」

「帰るも何も……。ここは『米沢城』で御座いますよ、姫様」


 と、喜多は私にそう答えた。

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