第6話(お題:眠り)
夢を見ていた。私に手があり、足があり、そして私は陽射しの中を歩いていた。そこは故郷の町、父がいて母がいて、生まれたばかりの甥が足元を走り回っている。私はそれを微笑みながら見ていた。
ふと後ろから手を伸ばされる。気づけばあたりは夕刻となり、暗い夜の気配が忍び寄っていた。私を捕まえた両腕はあまりに力強く、暴れても太刀打ちできない。私は引きずり込まれるように馬車に乗せられ、それから……
「嫌だ!」
叫んだと同時に目を覚ます。目だけで辺りを見回すと(首ごと動かないのにはもう慣れっこだ)、駆け寄ってきたらしいリナが私の顔を上から覗き込んだ。
「どうした、また虫か?」
「い、いえ……」
リナの実家から新幹線で、共に暮らすマンションに帰ってきてから数日。あれだけ長く過ごしてきた場所より、たった一年程度いただけのこの部屋の方が落ち着くと感じることが意外だった。リナは私が旧家を恋しがっていると思って、わざわざ盆でも正月でもないのに連れて行ってくれたというのに。少し悪いことをした気分だ。
寝室のサイドテーブルに、私の寝床はある。柔らかいクッションに寝かされて非常に快適な寝心地ではあるが、その日はあまりよくない夢を見た。
「ふーん。じゃ昔、吸血鬼に拐われたときの夢だったんだ」
「はい……ただの夢で、お騒がせをいたしました」
「別にいいけど」
私のせいで完全に目が冴えてしまったのだろう、リナは冷蔵庫からアイスコーヒーを出して飲み始めた。どうせ睡眠リズムなんてないような生活だし気にするな、と言いながら、パソコンに向かってカタカタと何やら打ち込んでいる。
「しかしなぁ。そんな、何百年も前の嫌な夢なんて見るんだな」
リナは私をクッションごと抱き上げ、膝に乗せる。私としては女性の太腿の上に乗って腹に頭をもたせかけているという状況はあまり落ち着くものではないが……リナは「猫飼ってるみたいで楽しいから」とやめてはくれない。
「トラウマが根深いんだろうなぁ……カウンセリングとか受けんのがいいって言うぜ」
「いえ……わたくしには無理でしょう」
「だよなぁ」
「どうぞお気遣いなく。どうせ……」
朽ちるのを待つだけの身ですから。そう言おうとして、リナがまた悲しむだろうと思い飲み込んだ。
「ルネ」
「はい」
「何でも話してくれ、とか。軽々しくは言えないけどさ……なんかできることあったら教えてくれよ」
「ありがとうございます」
よろしい。そう言ってリナはまたパソコン作業に集中しだした。小説や雑誌記事を書いているらしい。なかなか金にならない、道楽みたいな仕事だ……と本人は言っていた。
キーボードをカタカタと打つ音が小気味良く響く。昔の主人が使っていたタイプライターの音とはまた違うが、私はこれを聴くのが好きだ。
やがて、私は彼女の膝でうとうとし始める。リナは寝室に行くかと声をかけてくれたが、私は「もう少しこのままで……」と口走っていた。たまのわがままを許されたい、もうしばらくすれば、厄介をかけることもなくなるはずだから。そんなことを考えながら、私は今度こそ深く眠りについた。
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