No.3 黄昏は茜に染まる

風白狼

黄昏は茜に染まる

 チャイムが鳴る。帰りのホームルームが終わる。クラスの皆がざわざわし始め、帰り支度や部活の準備をしている。どこにでもありふれた、高校生活。私もそんな平凡な日常を送る、ごく普通の女子高生だ。

結衣ゆいー、一緒に帰ろー?」

 友達の鏡華きょうかがひらひらと手を振る。私はそれに応え、急いで荷物をまとめた。

「昨日のナオの更新見た?」

「レジンキーホルダーのやつ? あれとても綺麗だったね」

「そうそう! 可愛いから欲しいけど、数量限定でさー」

 いつも通りおしゃべりして帰路につく。鏡華とは高校でできた友達だが、なにかと趣味が合って話しやすい。おかげですぐに仲良くなって、最近ではお気に入りのインフルエンサーの話もする仲だ。

「そういや結衣、今日って塾の日じゃなかった?」

 腕時計を見た鏡華がふいにそんなことを言う。言われて私も時計を見れば、確かに塾の時間が迫っていた。おしゃべりが楽しくてつい歩みがゆっくりになっていたらしい。

「やば、もうこんな時間じゃん! ごめん鏡華、あたし急ぐね!」

 カバンを抱え直して慌てて駆け出す。鏡華に手を振って、ばたばたと走った。

「走るのはいいけど、気をつけてねー」

「わかってるー!」

 返事もそこそこに、私は塾へ急いだ。途中公園へさしかかって、はたと思いつく。この公園を突っ切ったら近道になるはずだ。私はすぐに方向転換して公園の中を走った。整備された並木の中、色づいた落ち葉を踏む。

「お嬢さん、落としましたよ!」

 並木の中で、突如後ろから声をかけられた。驚いて振り向くと、背の高い男性が夕日に照らされてこちらをみている。彼が差し出している手の中には、私のパスケースが握られていた。

「あっ、すみません! ありがとうございます」

「いえいえ、すぐに気付いてよかったです」

 私は男性にお礼を言ってパスケースを受け取った。男性は優しい声色で柔らかく笑う。顔立ちが整い、すらりとしたスタイルは見惚れるほどだ。芸能人だと言われても信じてしまいそうな雰囲気がある。

「お嬢さん、急いでいたのでは?」

 私が呆けていると、彼は心配そうにこちらを覗き込んできた。はっとして時計を見る。近道のおかげで急げばまだ間に合いそうだ。

「すみません、ありがとうございました!」

 私はもう一度お礼を言って駆け出す。もう少しちゃんとお礼したほうがいいかなとちらと振り向く。が、先ほどの男性はすでにいなくなっていた。



「――ってことがあったんだよね」

 翌日、私は鏡華にこのことを話した。彼女は興味はなさげだったが、静かに聞いてくれた。

「ね、格好よくて優しい人だったんだよ!」

「……ふうん」

 興奮のあまり私の声が甲高くなっても、鏡華は対称的なほど冷めた反応だった。いつも私と一緒に盛り上がってくれるから、こんなに面白くなさそうにする彼女は初めて見る。

「あれ、こういう話嫌い?」

「嫌いというか――結衣はそういう男の人が好きなの?」

 鏡華は眉間に皺を寄せた。どうしてそんなに不機嫌になるのか分からず、困惑しながら話を続ける。

「えー、だって恋するなら格好良くて優しくて、余裕のある男の人が良くない?」

「どうかな。そう見える人ほど危険だと思うけど」

 彼女は口をとがらせ、ため息交じりにそう言った。さすがに私もむっとして、鏡華に詰め寄る。

「もー! じゃあ鏡華はどうなの? どういう人と恋愛したいわけ?」

 私が問うと、鏡華はじっとこちらを見つめた。言葉を選ぶように一呼吸ほど押し黙ってから、ゆっくりと口を開く。

「私は元気が良くて表情がころころ変わって、一緒にいると楽しくて、夢見がちなくせに近くにその夢の欠片が落ちているとは思わない、そんな子が好きだよ」

 思った以上に真剣に答えられて、私はぽかんとしてしまった。まっすぐな視線に呑まれそうになる。そういえば鏡華の好きなタイプは初めて聞いた気がする。茶化さず答えてくれたのは嬉しいが、真剣に答えた結果がそれでいいんだろうか。

「えっと……そんな人がいいの? ずいぶん危なっかしいんじゃない?」

「……ふふっ」

 ようやく言葉を返すと、鏡華は思わずといったように吹きだした。なぜ笑われたのかわからず、首を傾げてしまう。

「なんで今笑ったの?」

「そういうとこだよ」

「どういうこと!?」

 彼女は一人で納得してしまって、返答は要領を得なかった。釈然としないでいると、鏡華はごそごそとカバンを漁りだした。

「そうだ、忘れないうちにこれを」

「え?」

 彼女は自分のカバンから小さな紙袋を取りだした。手のひらサイズのそれは可愛いテープで封がしてある。その紙袋を渡して、開けるように促される。

「わあ、綺麗!」

 言うとおりに開けてみると、中にはミラーチャームが入っていた。コンパクトサイズの鏡の裏面に、レジンでカラフルなビーズが閉じ込められている。光にかざすとビーズとレジンがキラキラと反射してとても綺麗だ。

「どうしたのこれ?」

「結衣こういうの好きでしょ? だから手作りしてみたの」

「これ鏡華が作ったの!?」

 びっくりしてつい声が大きくなる。鏡華は初めてだから少し不格好だけれど、と恥ずかしそうにしているが、そうは思えないほど見事な出来映えだった。彼女と趣味が合うからか、ビーズの色や並べ方がとても可愛い。

「ありがとう! 鏡華の手作りってのが一番嬉しい!」

 素直にお礼を言えば、鏡華は照れくさそうにはにかんだ。どこに付けようかなと考えていると、彼女がぽつりと零す。

「鏡ってね、魔除けの効果があるの。だからお守りだと思って持ち歩いてね」

「へえ、そうなんだ。物知りー」

 それならいつも使う物に付けるのがいいかもしれない。私はさっそく、いつも使うカバンにそのミラーチャームを付けた。



 その日の帰り道。鏡華と別れた私は例の公園に向かった。もしかしたら昨日の男性がいるかもしれないと、並木道を歩く。きょろきょろと辺りを見回していると、ふいに風が吹いた。秋風が落ち葉を舞い上げ、私は思わず腕で顔を覆う。収まってから視線を上げると、優しそうな男性の姿が目に入った。

「こんにちは。おや、昨日の」

「こんにちは! 昨日はありがとうございました」

 微笑む男性に、私は改めて頭を下げる。彼は気にしないで、とやはり穏やかな笑みを浮かべてくれる。

「昨日は間に合った?」

「はい、なんとか! すみません、慌ただしくて」

 ばたばたしていたのが恥ずかしくて、私は頬を掻く。男性が気にしていないようだったのがありがたかった。

「いえいえ。今日は大丈夫ですか?」

「はい、今日は特に用事もないので!」

「そうですか、それはよかった。……おや」

 男性はぱちくりと瞬きした。どうしたのかと思っていると、動かないようにと言われる。よくわからなかったが言うとおりにしていると、男性はそっと手を伸ばした。刹那、きらりと西日が反射する。

「うぎゃあああ!!!?」

 突如として男性が悲鳴を上げた。何事かわからず立ち尽くしていると、男性が顔を押さえてうずくまる。その瞳がギロリ、とこちらを睨みつけた。

「このアマ、いったい何しやがった!!」

 それは先ほどの男性の声とは似ても似つかない、しわがれてドスのきいた低い声だった。豹変したのは声だけではない。腕からはみるみる毛が生え、隠していた顔は人のそれではない。化け物――そう呼ぶしかない“何か”が目の前にいた。

「きゃあっ!?」

 おぞましさに悲鳴をあげて後ずさる。けれど化け物はじりじりとこちらに距離を詰めてきた。逃げなければいけないのに、恐怖で足が固まる。鋭い爪がこちらに伸びてきた。

「私の結衣に手を出さないで!!」

 パシッと乾いた音と共に、聞き覚えのある声が聞こえてきた。鏡華が化け物と私の間に割って入り、私を背中に庇ってくれる。

「なんだテメエ、割り込んだクセにしゃしゃり出てくんな!」

「それはこっちの台詞。ぽっと出のくせに結衣を奪おうなんて100年早い」

 化け物の吠えるような声にも鏡華は一切怯まない。痺れをきらした化け物が鏡華に腕を振り下ろした。その瞬間、鏡華の髪の毛から色が抜けた。まるで髪の一本一本が鏡のように、夕暮れの光を反射する。まばゆい光が放たれ、化け物を焼いた。

「グアアアア!!!」

 あまりの眩しさに目を閉じる。化け物の断末魔が辺りに響いた。恐る恐る目を開くと、そこに人型の化け物はいなかった。代わりにそれがいた足元で動物がもんどりうっている。ずんぐりとした茶色のそれはタヌキだろうか。タヌキはこちらを睨みつけたが、鏡華の視線に怯んでいた。ギャンギャンと吠えながら、悔しそうに逃げ帰っていく。そこで私は力が抜け、へなへなと座り込んでしまった。

「結衣、大丈夫だった!? 怪我してない?」

 鏡華が駆け寄って私の顔を覗き込む。さっきの化け物はなんだったのか、どうして鏡華がここにいるのか、鏡華はいったい何者なのか。聞きたいことはたくさんあったが、今は彼女が助けに来てくれたという安心感でいっぱいだった。

「う、うん、鏡華のおかげで怪我はしてない」

「よかった……」

 私が答えると、鏡華は安心したように長いため息をついた。自分のことのように心配してくれたのが嬉しくて、私はちいさく笑った。落ち着くとじわじわ冷静になって、先ほどまでの怪奇が気になってくる。

「さっきのはなんだったの?」

「結衣は狸に化かされていたんだよ」

「タヌキに……」

 鏡華はさらりと答えた。普段ならあり得ないと思うだろうが、今は否定できなかった。

「結衣に目を付けて狙ったんだろうね。パスケースも、たぶんあいつが自分で盗んで気を引こうとしたんだよ。自作自演ってこと」

 彼女はそう毒づく。真相はわからないが、優しい顔が演技だったのだろうと思い知らされた。騙されたことにも、自分の見る目の無さにもショックを受けて何も言えなくなる。うつむいた私の手を、鏡華が優しく握った。

「男なんか信用しちゃダメ。悪い奴は異性の姿で人を誑かすから」

 諭すような力強い声色と、まっすぐな視線。実体験があるような説得力に、私はつい頷いてしまった。

「逆に本当にあなたを愛しているなら、あなたと同性の姿で現れるものよ」

「そういう、もの?」

 聞き返すと、鏡華はふわりと笑った。

「愛しているから相手と同じ姿になって、相手の幸せや苦しみを分かち合って、相手を一番に理解わかってあげたいの」

 うっとりした表情で彼女は語る。それは間違いなく恋している顔だった。

「私は結衣の一番になりたい。一番愛して、一番理解してあげられる存在になりたい。だから私は女の子なの」

 握った手に力が込められる。彼女の本気が痛いほど伝わってくる。彼女がどんなつもりでこんなことを言うのか、分からない私でもない。ならば、答えは一つだけだ。

「私も、私も鏡華の一番がいい!」

 彼女の目をまっすぐ見つめ返して答える。鏡華は一瞬驚いて、けれどすぐに微笑んだ。彼女の髪の毛が、瞳が夕暮れに染まって茜色に輝く。その顔が赤らんでいるのは、きっと夕日のせいなどではないだろう。

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