豚肉を焼くように、芸能人を燃やせ!

広河長綺

第1話

咲綾がマスコミをやっていて一番やりがいを感じるのは、著名人を炎上させた時だ。


祖父から聞いた話だと、咲綾の曾祖父も「有名人は豚だ。我々庶民から巻き上げてブクブクに太ったあいつらを炎上させるのがマスコミの使命だ。直撃取材で動揺させて揚げ足をとれ。豚肉を焼くように、著名人を燃やせ」と言っていたらしい。


そんな曾祖父は雑誌記者の現役時代、国民的人気がある男性スケート選手の結婚を炎上させ離婚に追い込んだことがあったという。百年経った現在まで、武勇伝として夕子の家に言い伝えられているエピソードだ。


そんな立派な記者の血が流れていた咲綾がマスコミに憧れるのは当然の流れである。


報道への憧れを胸に勉学に励み、一流の大学に進学して無事卒業。


晴れてこの春から新社会人になり、大手新聞社の芸能部の記者として働き始めたのだった。


順風満帆に思えたキャリアスタートだったが、誤算もある。


咲綾がプログラマーとして優秀すぎて、適材適所ということで、取材対象にハッキングをしたりする電脳空間取材部署に、抜擢されてしまったのだ。新人にしてはいいポジションを貰えたのだが、曾祖父の教えとしては「突撃取材で揚げ足をとり、炎上させろ」なわけで、IT取材の部署に行くのは咲綾にとって嬉しくない。


必死で「突撃取材する経験をつみたい」と訴えた。

だから2124年4月現在の咲綾は、一応、ベテラン現場記者の村田記者率いる取材チームの一員として張り込みが出来ている。


一時間前に小さい自動車を著名人の家の前にとめて、咲綾たちは息を潜めていた。


車内で身をかがめ時を伺う取材チーム。


いつ芸能人が家から出てくるか、緊迫していく空気。


本社のパソコンをいじっている時には味わえない、「マスコミの使命を全うしている実感」がある。やはりサイバー部門ではなく、ずっと現場部門にいたい、と改めて思う。


だが、そんな咲綾の我儘もいつまで許してもらえるか、定かではない。上司の判断で明日にでもサイバー部門に戻されることもあり得る。どうすれば現場部門での勤務を継続できるだろう…


「おい!山田咲綾!玄関から目を離すな」


怒気を含んだ声に咲綾が顔を上げると、上司の が苛立った顔でこちらを見ていた。車内の隣の席に座って咲綾の勤務態度を目ざとく監視していたらしい。


「やっぱりお前は現場じゃなくサイバー空間パパラッチすべきだろ」


「でも今取材しているアイドル良菜は、メタバースを利用しないじゃないですか」

サイバー関係の部署に戻されたくない咲綾は、必死に反論した。


ただ反論内容自体は、そんなに嘘じゃない。


今、会社全体で炎上させようとしているアイドルの岩倉良菜は、19歳と若いにも関わらずVRアバターを頑なに作ろうとしないという異常者なのだ。メタバースだけじゃない。人類の99%が体内に入れている医療用ナノマシンを入れないなど、現代の科学技術全体を嫌っているという噂も、聞く。


今、張り込み班の目の前にある玄関を改めて観察すると、その古臭い私生活の一端を感じられる。


指紋認証じゃない鍵。自動ドアじゃない扉。家の前に停車している彼女の車は、自動運転AIがないどころか量子モーターではなくガソリンエンジン車。


2120年代現在の日本とは思えない。


そこまで視線を動かしたとき、扉がほんの少し開いていることに気づいた。


取材班の車から玄関まで遠いので、始めは期待が見せる幻かとも思ったが、上野リーダーも「おい、でてくるぞ」と囁いたので、本当らしい。


記者たちが息をひそめる。


そして数秒たった時。


少しだけ開いていたドアが全開になり、ついに、少女が出てきた。


ぱっつん前髪とよばれる、まっすぐ切りそろえられたおでこ上の髪。


腰までの長さまである、大げさにカールがかけられた栗色の髪。


咲綾のような凡人には真似できない、目鼻立ちがくっきりした華やかな美人だからこそ映えるヘアスタイルだ。


ぱっちりした目元には、19歳という実年齢に似つかわしいあどけなさと、テレビ受けがいい色気の両方がある。


手元の顔写真データと見比べる必要もない。


日本トップレベルのアイドルであり、これから炎上させるべきターゲット、岩倉良菜だ。


長期間の張り込みの末に根負けして、出てきたのだ。


そして、今、取材対象が立ち止まっているというのは大チャンスだ。現場で張り込んでいるマスコミとしては、走り寄り取り囲むべきタイミングだろう。事実、村田記者ら取材チームのメンバーはドアを開けて車の外に飛び出していた。


咲綾を除いて。


場慣れしておらず判断がおくれた、わけじゃない。新人とはいえ、さすがにここは突撃すべき場面だということくらいは、咲綾でも、わかる。


頭では理解していたのに、良菜の美しい瞳に見惚れて足が硬直してしまったのだ。


聡明そうな良菜の瞳には、科学技術を使用しない頑固さやマスコミへの嫌悪感が見て取れた。様々な色の絵の具が混ざって深みのある絵画になるように、様々な悪感情が渦巻くことで彼女の瞳は捉えどころがない美しさを放っていたのだ。


良菜が目を逸らしてくれたら、まだ良かった。だが、マスコミが走り寄ってくるというこの状況で、どういうわけか良菜も咲綾の方をガン見してきた。


車のガラス越しに咲綾と良菜は見つめあう。


「おい!咲綾!なにしてるんだ」


上司の怒号で、止まっていた時間が動き出したが、それは良菜も同じ。


良菜も咲綾と同時に我に返り、彼女のガソリン車に乗り込み発車した。


「待ちなさい!取材を受けなさい」

村田記者らの制止を無視して、ガソリン車が走り去っていく。


だが、慌てることはない。ガソリン車と量子モーターでは、走行性能が段違いだ。我々取材班の車で追いかければいい。


冷静に判断した咲綾たち一行は、車に引き返した。

良菜に追いつくのは時間の問題。


そう思っていた矢先、とんでもないハプニングが起こった。


太陽の核反応が突発的に活性化し、太陽フレアが地球を直撃した。この瞬間、その強力な電磁作用により世界中の電子機器が破壊された。まるで神が、良菜がマスコミから逃げられるように取り計らったかのようなタイミングだった。


もちろん、良菜の取材がどうこう以前に、今咲綾たちがいる街全体が大パニックである。

突然発生した地球レベルの阿鼻叫喚の中、咲綾は笑っていた。



実は、秩序が崩壊する光景というのは、独特の爽快感がある。


例えばドミノ倒し。

例えば散っていく桜。


きっちり組み上がったものが、崩れ去っていくのは、それだけで美しい。


さっきまで先端科学技術がシステマティックに発揮されていた都市の光景が、太陽フレアに叩き潰されていくのも、「崩れていく秩序の面白さ」があった。


パニックになって叫んでいるインテリそうな見た目のサラリーマン。

雨のように絶え間なく落下してくる運送用のドローン。

さっきまで全自動で道路工事をしていた巨大な掘削ロボットすら、今となっては誤作動で通行人にドリルをぶつける殺戮ロボットになっていた。


人々は街中はマシーンが多くて逆に危険だと気づき逃げようとしたが、残念ながらありとあらゆる車は(機械嫌い変人の良菜のような人でない限り)AI自動運転なので太陽風を食らった今は、もう動かない。


みんな混乱する道を徒歩で移動せざるを得なかった。


良菜取材班だって他人事ではない。取材班が乗っている車は、AI自動運転なので太陽フレアで動かなくなったのに、良菜の運転するガソリン車はノーダメージで走り去っていく。


だから「どうやって良菜を追いかけましょうか?」と素直に尋ねたのだが、村田記者たちは「お前何言ってるんだ?そんなこと気にしている場合じゃないだろ?」と、異常者を見るような眼を咲綾に向けてきた。


確かに今気にすべきは、体内の医療用ナノマシンだ。これらが故障したら最悪死んでしまう。いそいで病院にいき、新品ナノマシンと交換してもらわなければ。


そこで村田記者たちは、良菜の取材そっちのけで最寄りの大病院の院長室に乗り込んだ。


「災害情報を市民に届ける我々マスコミの健康を一般市民より優先すべきだ。もしそうしなければ、この病院はマスコミの活動を妨害したとして記事で批判するぞ」と言い、誰よりも先に医療用ナノマシンを交換しろと要求したのだった。


マスコミは、自分たちのさじ加減で他人の人生をめちゃくちゃにできる。


100年前に曾祖父がスケート選手を離婚に追い込んだ時から変わらない、特権。


その特権を上司たちが上手に使うことで、咲綾たちはこの世界的災厄の中を生き延びることができそうだ。


言われるがままに村田記者の後ろをついてきて、院長室まできていた咲綾は、なぜか喜ぶことができなかった。


マスコミの特権に後ろめたさを感じているのではない。


著名人を炎上させるマスコミという職が、一般市民より崇高なものであることに疑問の余地はない。


咲綾の心に引っ掛かっているのは、


――この特権は有名人を炎上させるために使うべきではないか?それこそがマスコミの使命じゃないか?


という疑問が、拭えないことだ。


有名人とは、岩倉良菜というあのアイドルである。


テクノロジーを拒む頑固さと芸能界で成功する賢さとマスコミに対する嫌悪感がないまぜになった、あの瞳。咲綾たちから逃げる時に、大きくなびいた長い茶髪。


良菜の美しい姿が、どうしても頭から離れない。


炎上させなければというマスコミとしての使命感は変質し、もう一度会いたい。良菜をこの目で見たいという個人的な執着になってしまっていた。


マスコミとして未熟だったから取り逃がしたのなら、すんなり諦めることができただろう。


でも「突然の太陽風による世界的混乱で、取り逃がした」という結果では、失敗に納得できない。


もやもやした感情を胸に、なおも裏交渉がグダグダと続く院長室をそっと後にした。


一歩出たら病院の廊下は傷病者で溢れていた。


血や死体が転がる廊下には、メスが転がっている。それを拾った咲綾はナースステーションに行った。


太陽フレアパニックによる傷病者が運び込まれているので、1人しかナースステーションには人がいなかった。そこで、拾ったメスでその看護師を殺害した。


そしてIDカードを奪い、病院のPCにアクセスしハッキングした。狙いはただ1つ。


これから村田記者らに投与される医療用ナノマシンの細胞増殖シグナル制御システムだ。そこを最大スピード増殖に書き換えた。


そして院長室に戻ると、予定通り、咲綾が暴走させた医療用ナノマシンによって、巨大な肉の塊となった村田記者たちがいた。肉たちは癒合して1つの生命体になっている。


テカテカヌメヌメしたピンクの肉塊に、咲綾は乗り込み、走り出した。


かなりの人数を殺してしまったが、それも全ては、良菜を追跡するため。

マスコミの使命を果たすため。


良菜のガソリン車が走り去った方向へ、人の足が10本ほど生えた肉塊を走らせること数十分。


ついに追いついた。

瓦礫と故障した車と死体が散乱する道路の先。

ガソリン車が道の真ん中に停車し、さっき降りたばかりと思しき良菜が車の少し先を歩いている、その背中が目視できる。


そうかガソリン車は、量子モーターと違ってガソリンが尽きたら止まるんだ!


肉の塊となった咲綾は「取材をうけて下さい!」と、良菜の背中に声をかけた。

当然、良菜は止まらない。


激高した咲綾は、肉塊となった体に鞭打って、全速力で、駆け寄ろうとした。


そしてその体が、放置されたガソリン車の横にきた瞬間。


炎につつまれた。

良菜があえて、ガソリンの残った車を放置して、時限発火装置をしかけていたのだと気づいたときにはもう、遅い。


咲綾の肉塊は、ガソリン車の炎を浴び、燃え尽きていった。

炎上して死んでいく咲綾の目に最期に映ったのは、振り返らず悠々と歩き去る、良菜の背中だった。




  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

豚肉を焼くように、芸能人を燃やせ! 広河長綺 @hirokawanagaki

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ