137話 第11幕 とあるニケでのひととき ②

7月02日 14時25分


「──それはともかく、素敵な日記帳ね?タージマハールの宝物のようだわ……ルミちゃんに日記を書く趣味なんてあったかしら?」


 コマルママは、今度はテーブルに置いてあるダイアリーを手に取り、瞳を輝かせてめつすがめつ眺めている。


 私が神江島家かみえしまけのお手洗いの天井裏から持って来てしまったダイアリーだ。


 鈍いイエローにアール・ヌーヴォー調の装飾が施されており、どう見ても女性用だ。洋介ようすけの言う通り、火龍かりゅうのものであろう。


 鵠沼くげぬま海岸のトキノト本社で洋介と話した時、読むかどうか迷っていたのだが、結局その後、そのまま事件は解決してしまった。


 かなり丈夫な鍵が掛かっているし、そもそも故人のプライベートな日記を、鍵を壊してまで見るのも気が引けて、未だこのまま持っている感じだ。


 コマルママが心の奥まで見透かしそうな眼力でもって、私を覗き込む。


「もしかして、その日記の1ページ毎に、ルミちゃんの意中の人への熱い吐息のような想いが、赤裸々に語られているのかしら?」


「やだ、何言ってるのママ?これは他の人のダイアリーだよ!」


 その流れで私は、このダイアリーがなぜ自分の手にあるのかを、誰もが認める人格者であるママに話してみた。


「──というわけで、うん、結局そのままになってしまってね、これをどうしようかなって。事件も解決したし、やっぱり神江島家の誰かに返すべきかな……ママはどう思う?」


 ママは、眉一つ動かさずに私の話を聞いていたが、その彫りの深い瞳の奥に、徐々に光が瞬き始めた。


「ルミちゃん!返すべきか読むべきか……難しいわよね」


「そうなんだよね……」


「私が今言えることと言えば、1つしかないわね」


「1つ?」


「そう、こんなに厳重に鍵がかかった日記に書いてあることといえば、これしかないわ」


「……それは何?」


 私は生唾を飲み込み、コマルママの話に全神経を集中した。


 ママは祈るように両手を組み、瞳を見開いて遠くを見つめながら叫ぶ。


「──その日記の1ページ毎に、意中の人への熱い吐息のような想いが、赤裸々に語られているのよ!」


「あ、え? わぁ……」


 そうだった、思い出した……事実改変の気づきについては凄いものがあるが、実はコマルママは、何でも色恋ゴトに結びつける、恋愛改変能力の持ち主なのである。ただし、その成就率は今のところ0パーセント……


 彼女が色恋改変話を熱く語るのを聞き流しながら、私は考えを整理するためにユッキーのスペシャルコーヒーを一口含む。


 これを読めば、火龍がなぜ青い曼荼羅の売却に躍起になっていたのか、本人の気持ちがわかるかも知れない……


 洋介は彼女の考えについていけないと言っていた……火龍は一体どんなことを考えていたのだろう?


 神江島神社殺人事件。


 火龍を殺した犯人は、双子の姉・乙龍おりゅうの婿の虎之助とらのすけ。そして共犯者は、乙龍その人だった。


 殺人事件は、これでひとまず解決している。してはいるのだが、何か釈然としないことがあの家には多すぎるのだ。


 ──気になることはまだ沢山ある……ただ、鍵を壊してまで見るのは少し気が引けるかも……


──その時。


「ルミちゃん?ルミちゃん?」


「え?何?ママ……」


 私が再びコーヒーカップに口をつけていると、コマルママはダイアリーを私の目の前に差し出し、耳元で囁いた。


「熱い吐息の想いが書かれたコレ、鍵……開いちゃったわ」


「!!」


 私は口の中のコーヒーを吹き出した。


「えぇ!!!あんなに頑丈な鍵がなんで??」


 コマルママは、辺りに飛び散ったコーヒーを象柄のハンカチで拭きながら一言。


「こんなの簡単よ、チョチョイのチョイ」


 見ると、確かにダイアリーの鍵は見事に開けられていた。


「そんな、チョチョイのチョイって……ママって本当に多才だよね」


「まぁ、昔色々とね……って、コレ読まないのかしら?」


 コマルママのインドの神様のような眼光が私を貫いた。恋愛補正のかかった好奇心のみで開けたのは、たぶん明白……


「う、うーん……」


 ママから日記を手渡され、それを見ながら暫く悩む。その姿を見てママは呆れたような仕草をする。


「ここまで開いてしまっているのに、据え膳食わぬは何とやらよ」


 私はどうしたものかと日記を見つめる。。興味がそそられるのは確かだ。


 痺れを切らしたママは強引にページを開き、顔を寄せる。私も釣られて視線を日記に動かした。


「え?!」


 日記の裏表紙部分、そこに火龍が書いたであろう太ペンの文字──警告が目に飛び込んできた。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


【この日記を読む勇気ある人へ──警告】


 もし、これが読まれているということは、私はもうこの世にいないだろう。そして、君もただ興味本位で読んでいるわけではないことを願う。


 なぜなら、この日記に書かれているのは冗談やイタズラではないからだ。

 

 数ヶ月にわたる調査で、私はある結論に達した。


 それは、我が家に代々伝わる家宝、青い曼荼羅が、可能性が高いということだ。


 最初は家宝の一部として軽く考えていたが、それを祀る我が神江島家……愛する家族の様子が徐々に変わってしまったのだ。


 もしかすると、私たちは最初からこの道を歩む運命にあったのかもしれない。


 もし君がこれを読み続けるなら、神江島家の秘密に足を踏み入れるということが、どれほど危険なことかすぐに理解するだろう。


 ここで心が揺らぐなら、この日記を閉じることを勧める。付箋の一つ目を読んだだけで忘れ去るのも賢明な選択かもしれない。


 来るべき日まで、どうか平和に暮らしてほしい。時に、無関心こそが自分を救うこともある。


 世の中は、知らない方が幸せなことで溢れているのだから。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



 コマルママと私は暫くの間、息を殺して見つめ合う。


「──ママ?」


「何?ルミちゃん……」


「ママは、コレ読む勇気ある?」


「……なかなかハードそうな内容よね?」


「うん、多分……熱い吐息はないと思う……」


「それは残念ね。でも……付箋の1つ目だけでも読む?」


 ママの問いに私は思わず生唾を飲み込んだ。


──この警告を読む限り、軽い気持ちで先を読み進めてしまうのはリスクがありそうだ。私自身、神江島の事件を通して、あの家にあるの気配をひしひしと感じている。


 そもそも、ここで読んでしまい神江島の事件に全く関係のないコマルママを巻き添えにはしたくない。そう、もうこの事件は終わっているのだ。早く隠し扉の謎に取り組まないと……


 私は軽く息を吐き、日記のページをパタンと閉じた。


 やはり私にこのダイアリーを読む資格はないだろう。これは洋介に返そう……


 コマルママも納得したように頷くと、私にアイコンタクトを送った。


 その時、スマホがメッセージの着信を知らせる。


「ん?」


 噂をすれば!だ。


 メッセージの主は、神江島家の長男、洋介だった。


 私はあの日以降、神江島神社や青い曼荼羅、そして円に関係する情報が欲しくて彼とやり取りをしている。


 殺人事件が解決した後、火龍の葬儀は家族内でしめやかに済ませたそうだ。洋介はメッセージの中でポツリと漏らしていた。


「あの母も、葬儀ではさすがに大粒の涙を流していたよ……」


 あの龍子りゅうこも、家族の前ではちゃんと母だった。不謹慎ではあるが、私は心の中でホッとする。


 実の娘の死を目の当たりしてもなお、名家の看板を背負い続けなければならない重圧と、その覚悟。とても想像することができない。


 ──私はマイカップを片手に、洋介のメッセージに目を通す。


「今月の7日……七夕の日に引き継ぎの儀?……何これ?招待状?──私に?」


──その時、コマルママがテーブル越しに顔を寄せて私の様子をジッと観察しているのに気づいた。


「わぁ!ママ、見てる!」


「ふふふ、ルミちゃん。その七夕の招待状とやらは噂の殿方からかしら?」


「え?なに?噂のって??」


 ママは、カウンターでお客を捌いているユッキーにちらりと目をやり、熱い息を吐く。


「ユッキーちゃんから聞いたわよ、イケメンのお家でドラマチックな凄い出来事があって1泊したとか……」


「えぇっ、どこの恋愛ドラマ?モヤっと合ってるけど、違う!違うから!」


「何言ってるの?メッセージを読んでる時の、ベリースイートなお顔を鏡で見せてあげたかったわ」


「もぉ……ちょっと、ママしばらく静かにしててね」


 からかうママに背を向けて、もう一度洋介のメッセージを確認する。


 ──今回の事件で、神江島家から次女の火龍と長女の乙龍、その婿の虎之助がいなくなった。当主の龍子と長男の洋介、次男の雅治の3人で話し合った結果、次期当主は洋介に決まったとのことだ。


 このメッセージは、その引き継ぎの儀の立ち合いへの招待状だ。


「あら、ルミちゃん。その招待状の日のお天気はちょっと微妙ね」


 ママが後ろからスマホで天気予報アプリの画面を差し出す。


 7日の予報は雨。東シナ海をウロウロしている台風が嫌な進路を示していた。


「嵐を呼ぶ殿方からの招待状ね、素敵だわ……」


 コマルママの熱いため息と独り言をスルーする。


──嵐が吹き荒れたあの一家の一大イベントには、相応しい舞台になるかもね……


 私は冷めたため息を吐き、招待状メールを見つめていた。



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