134話 第10幕 謎めいた結末へ。⑦
6月26日 10時34分
翌日、私はミカと一緒に
「ふふん、パパのスーツでも借りてきたのかい?見慣れないのもあるが、姫はいつもの服装が一番だね」
私たちは警察署の前で待ち合わせたのだが、ミカは私の服装を見て必死に笑いを堪えている。
「ちょっと、酷いなぁ。スーツを着てこいと言ったのはミカさんだよ。私だって落ち着かないのに……」
私はプンとむくれ、改めて自身の服装を見下ろす。普段絶対に着ない、白のワイシャツに紺色のスーツだ。どう見ても就活中のピカピカ大学生である。
スーツの肩が少し硬く感じ、動くたびにシャツの襟元がチクチクと肌に当たる。
こうでもしないと流石のミカでも、逮捕直後の被疑者との面会に立ち会えないと言うのだ。私は刑事ミカの同僚という設定らしい……
「でも、ちょっと緊張してきた……留置場なんて初めてだし、乙龍さんと話すのも何だか気が引けるよ」
それはそうだ。乙龍が
彼女自身、私が逮捕に関与したとは知らないと思うけど、直接話す事に後ろめたさを感じずにはいられない。胸の奥に重たい石を飲み込んだような感覚がある。
「相変わらず謙虚だねぇ……姫はこの厄介な殺人事件をたった2日で解決しちまったんだ。胸を張って欲しいもんだよ」
私は警察署の中に入り辺りを見回す。湿気のせいか少しカビ臭い空気が漂う中、淡い蛍光灯の光が無機質な白い壁に反射していた。
ここに乙龍と
ミカは受付で私の方を指さして何やら話していたが、やがて頷いて手招きをした。その動作はいつも通り自信に満ちていて、少しだけ心が落ち着く。
「とにかく、面会の時間はたったの5分だ。何か聞きたいことがあれば今のうちに整理しておくことが大事さ」
「うん、わかった……もう考えているけどね」
昨日神社から帰った後、私は布団の中で乙龍に今日聞くことを色々と考えた。
私自身が関わるあの事件のことはひとまず終わったのだとは思う。何しろ意味はわからないが
しかし、釈然としないことがある以上、どうしてもこれだけは聞いておきたい。
なぜ、夫の虎之助の殺害偽装をしたのか?そして、乙龍は本当に
私たちは受付を通り過ぎ、警察署の奥へと進んだ。留置場の面会室は薄暗く、狭い空間に鉄製のテーブルと椅子が配置されているだけの殺風景な部屋だった。
窓もなく、壁の黄ばんだペンキは剥がれかけており、重苦しい雰囲気が漂っている。
鉄格子の向こうには、面会者と被疑者が向かい合うための小さな窓があり、アクリル板越しに話すようになっていた。どこかの刑事ドラマで見るような感じだ。
面会室の冷たい空気と対照的に、乙龍との対話がこれから始まる緊張感が一層高まっていくのを感じた。落ちつけ、私……。
その時、乙龍が向かいの部屋から入ってきた。艶のある黒髪は後ろで綺麗に束ねられているが、日本人形のような端正な顔には疲労の色が滲み出ている。
母親譲りの凛とした瞳にも、今は弱々しい光が揺れ動いている。
乙龍は腰かけると私たちに視線を向け、アクリル板越しに気丈に頭を下げた。
「この度は……由緒ある
彼女はそう言うともう一度頭を上げ、後れ毛を直しながら重々しくため息を吐く。
「乙龍さん……」
私は彼女の名前を呼ぶが後が続かない。
「乙龍さん、どうして? どうして…その……」
すると、隣で目を細めて私を見ていたミカが、静かに口を開いた。
「時間がないのでね、乙龍さん。今回の件、少し確認させて貰って良いですかね?」
乙龍はミカの方を向き、無言で頷く。
「昨日、ご主人の虎之助さんの話を聞いたのですけどね? アンタは火龍から何か脅迫でもされていたのかい?」
乙龍は今度は首を軽く傾げ、掠れる声で呟いた。
「──それは……どう言うことですか?」
「いや。アンタの旦那曰く、あの
ミカはそう言うとジッと乙龍の様子を見つめた。乙龍は虚ろな瞳で静かに首を振り、そして微かに笑みを浮かべる。
「この件は……明らかに虎之助の勘違い……私と火龍の間にそのようなことはありえない……」
「ほぅ、ありえない。でも、彼女が曼荼羅を売却しようとしていたのは事実ですよね?」
「それは確かです。彼女はこの神江島家に曼荼羅は不要と言い切っていました」
ミカはアクリル板に顔を近づけて目を細め、頬杖を付く。
「ふふん。じゃ、その曼荼羅を売却したお金で、アンタは旦那の事業でこさえた多額の借金を返そうとした。これも本当かい?」
乙龍は静かに頷く。
「はい、その通り。夢ばかり追う虎之助の事業は行き詰まり「トキノト」の売却も考えていた所だったので正直、渡りに船でした。火龍は私のために提案してくれたのです。私を脅迫なんて断じてありえない……」
彼女の瞳は弱々しさはあるものの、真っ直ぐにミカを見据えていた。
そうだ……やっぱり、この姉妹の絆を考えると、脅迫はありえない。虎之助の証言は間違いだ。
ただ、前にも思ったが国宝級の曼荼羅なんて簡単に売却できるのだろうか?それに、この伝統ある曼荼羅を売却するのに
私はその疑問を乙龍に投げかけた。
「乙龍さん、火龍さんはどこに曼荼羅を売却しようとしていたの? それにお2人とも……この神江島家の家宝である曼荼羅を売ることに対して何も思わなかったの?」
横に座るミカも、私をチラリと見てその話に頷いていた。
「この件は、虎之助は知らなかったようだね……まぁ、堅物そうな旦那だ。売却の話を知られたら計画は台無しって感じだろうけどさ」
乙龍は目を閉じ、その通りと言わんばかりに何度も頷く。
「火龍はあの曼荼羅の売却先をしっかり確保していたそうです。正直、私も最初に聞いた時は驚きました」
「国宝を勝手に売っぱらうんだ。そりゃ誰だって、こんな大胆なことを言われたら驚くだろうさ……」
「はい。火龍は、どうもこの曼荼羅を処分することに使命感を持っていた……私はそう思うのです」
「使命感……?」
「そうです。彼女は曼荼羅について必死に何か調べていたようです。ある時から、売らなくてはいけないと強く思うように……」
薄暗い部屋の中、乙龍の瞳がゆっくりと見開かれる。
「ルミさん……聞いてください」
彼女の目にはいつもの強い光が宿っていた──
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