118話 第7幕 消えゆく朝霧の庭 ③

6月25日 6時42分


「大丈夫……?ほら」


 洋介ようすけは、咳き込む私の背中を叩き、ポケットからハンカチを取り出して差し出す。ミカは仁王立ちで、さした傘の下からニヤニヤしながらその様子を見ている。


 私は驚きと恥ずかしさで俯きながら、受け取ったハンカチでニットをやたら拭き続ける。


「ごめんなさい、洋介さん紅茶かからなかった?ミカさん、これはあのね……偶然……ゲホゲホ」


「──どうでも良いさ、私だって過去に何もなかったとは言わないし……ってそれこそどうでも良いけど、私も野暮じゃないつもりだよ。まぁ、もう少しだけ時間をあげたかったけどね」


 ミカはスタイリッシュに仁王立ちを維持して私たちを見つめる。その目がキラリと光った。


「──火龍かりゅうの死因がわかった」


「え?」


 ミカは軽く目を細めて続ける。


「毒だね」


  私は咄嗟に洋介の顔を盗み見る。彼の表情に、一瞬影が射すのを見逃さなかった。


「毒の種類はテトロドトキシン」


「テトトロ……チキン?」


「──まぁ、つまりはフグ毒だね。遅延性ちえんせいの猛毒だ」


「遅延性って、症状が遅れて出てくる事?」


「その通り……量を調整すれば数時間後に症状が出る」


 洋介は膝でじゃれていた猫を抱き上げ、優しく椅子に乗せると椅子から立ち上がり、ミカに向き直る。


「フグ?一昨日の誕生会にはフグ料理なんて出してなかった──」


「その通り。しかし死因は確かに、入る筈のないフグの毒。今のところ食材や食器からは毒は検出されていない。犠牲になったのは火龍ただ一人。──これらの事実から考えられることは?」


 洋介はミカをじっと見つめていたが、不意に視線をそらし、神江島家かみえしまけのある方向に目を向ける。


「──考えたくないことだけど……」


 洋介は絞り出すような声で言い、言葉を切って口を閉ざす。長い沈黙のあと、椅子に立てかけてあった傘を開く。


 猫は遊び足りないのか、洋介にじゃれついているが、彼は猫の頭を優しくポンポンと軽く叩き私たちを振り返る。


「──自室待機に戻りますね、ウロウロしてると俺、流石にマズいですよね?」


 ミカはニヤリとして頷き、片手を差しのべ洋介を部屋の方へ誘導するようなそぶりをして見せる。


「これまでは我々警察に拘束力はありませんでしたが、これからは少し大人しくしていた方が良いかも知れませんね……部屋の捜査もさせていただくことになるでしょうし」


 洋介は目を伏せたまま黙って一礼すると、傘をさして自分の部屋に帰って行った。


 ミカは彼の後ろ姿を見届けると私の方を振り向き、意味ありげな笑みを浮かべる。


「──さて、瞳キラキラの夢見るお姫様……」


 私は再び焦って口をパクパクさせる。


「夢見るお姫様って、あのね……誤解だって!偶然彼が来てね、その……」


「洋介から何か聞き出せたのかい?」


「え?」


「ん?」


「えっ??」


 突然のミカの問いに思考がついていけない。


「え?じゃないさ、捜査のために何か聞き出していたんだろう?」


「……?」


 ミカが呆れたような顔をする。


「まさか、本当に王子様に瞳キラキラさせていただけかい……?」


「え?あ、そんな筈ないよ。うん、聞き込みしてたの。ハイ」


「──ふふん。さすがは名探偵だよ」


 ミカはすべてを見透かすような目で私を一瞥すると、戯れて来た猫の背中を撫で始めた。

  


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


6月25日 7時02分


 朝靄が少しずつ晴れて来たようだ。昼には回復する予報らしいが、未だ雨が降り続いている。


「──さて、本題の神江島家のことだけど、事件が動いて来たようだよ。死因はフグ毒……」


 先ほどの猫が、今度はミカの膝に飛び乗ってくる。ミカは気にする素振りを見せず話を続ける。


「姫が例のチカラを使う時のために、話をしっかり整理しておこうじゃないか」


 例のチカラと言われ、私はハッとして素直にこっくりと頷く。


「良いかい?──仮に火龍が家督争いが原因で殺されたとしよう、仮にだ。で、姫はあの王子様は絶対犯人ではないと思うのかい?」


 ミカが私を試すような目つきで見る。


「──そ、そんなことは言ってないけど。少なくとも洋介さんは、神江島家のことを凄く思っていると感じたの……」


 私の言葉に、ミカは猫のように鋭く目を細める。


「ふふん、そうかい。次男坊の雅治まさはるから聞いた話なんだけどね、洋介は火龍からいつも馬鹿にされてそれを恨んでいたと言ってたよ」


「洋介さんが火龍さんを恨んでいた?」


 思いがけない言葉に私は思わず声を上げた。


「まぁ、これは雅治の目線からの話だ。ただ火龍は、次期当主の応援と引き換えに青い曼荼羅まんだらを売る話を、最初は洋介に持って行ったって話だ」


「えぇ!なにそれ……それって断ったのでしょ?」


 私はミカに詰め寄ろうとするが、ミカの膝の上でこちらを見ていたネコの殺気を感じて思いとどまる。


 この猫は何故か私に敵意を持っているらしい。犬猫探偵の面目が丸潰れである。


「まぁ、落ち着きな。これはあくまで雅治目線だ。ただね、当初は洋介も乗り気だったと言う話だ、火龍の紹介で売却先と思われる人物と何度も会っていたらしい。これは虎之助とらのすけも目撃している」


「──洋介さんは家の行末を凄く考えてると思ったのに……家宝の曼荼羅を売ってお金儲けを??」


 何かの間違いではないかと思う。ただ、実直そうな虎之助の証言があるのなら少しは信憑性があるようにも思える。ミカは私の言葉を聞くとしたり顔になって頷く。


「……姫、人ってのは、色々な面があるんだよ……」


 ミカは私の表情を見ながら話を続ける。


「ただ、洋介は交渉先で話が決裂したようでね、顔に泥を塗られた形で火龍は洋介を罵り、乙龍おりゅうに鞍替えしたって話だ」


「──でも……それだけじゃ、洋介さんが犯人とは……それに……」


 そうだ、例えそれが事実だとしても、洋介が火龍を殺す動機になるのか?私は次の言葉を探して沈黙した。ミカの視線が私を射す。


「もちろんさ、で、今度は乙龍からの話だが」


 ミカの私の心を覗き込むような目、彼女は私の反応を見ているようだ。膝の上の猫も、何故かミカと同じような目で私を見ている。


「火龍と雅治の仲の悪さは昔からの筋金入りで、今も彼女は雅治のビジネスセンスは小学生以下といつも罵っていたようだ」


「火龍さんは、雅治さんにも……」


「そう、雅治もプライドが高そうだし火龍のことは良くは思っていなかっただろうねぇ」


 私は、先日の伝承会の時の写真撮影の際の2人のやり取りを思い出してため息をつく。


「それは知ってる……それが本当なら火龍さんは本当に口が悪いのね」


 私の言葉に、ミカは一瞬目を瞑り大きくため息をつくと、大袈裟に手を広げて空を仰ぐ。


「平和の国のお姫様……良いかい?口が悪いとかそんな女子高生の悪口レベルの話じゃないだろう?今の状況をハッキリさせよう」


 彼女の目に凄みが増す。それは先日の鎌倉かまくら病院の時と同じ、数々の修羅場を潜って来た敏腕刑事の顔だった。

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