109話 第5幕 託された願いの重さ ④


6月24日 15時46分


 ミカの真っ赤なGT-Rは再び湘南・江ノ島へと、首都高を滑るように走り抜けていく。


 梅雨の空から滴る雨粒がフロントガラスを打ち、遠く汐留のビル群は霞んだヴェールに覆われ、視界にはモノトーンの世界が広がっていた。


 ハンドルを握ったミカは、じっと前方を見据えたまま片手に持ったコーヒーを口に運ぶ。彼女の眼差しは触れれば切れそうなほど鋭く冷たく、その横顔はふと一瞬知らない人のもののように見えた。


「さっきも話したけどね、神江島家の次女、火龍が自室で死亡しているのを今朝、家族が発見した。死因は今、司法解剖で調べているとのことだ。自殺の可能性が高いとうちの連中は言ってるけどね」


 私は窓の外を流れる灰色の景色を見つめながら、彼女の言葉を静かに受け止めた。


「──先日の伝承会の後、何が起こったの?」


 ミカは滑らかに前方の車を追い越してから、ゆっくりと首を振った。


「まだ詳しいことはわからないね。ただ、火龍の部屋に異常は何もなかったということさ。不審者が侵入した形跡がないのだから自殺か、病死か。それとも──実は他殺か...…?」


 私は彼女の言葉を聞きながら、スマホの画面に目を落とした。先日の神江島神社の伝承会の時の写真だ。私とユッキー、龍子と2人の巫女が笑顔で写っている。


 2人の巫女の一人──小麦色の肌にふわふわしたパーマヘア、自由で勝気そうな瞳の火龍がこちらを見て笑っている。


「母親の龍子さんはどう言っているの?」


 私が尋ねると、ミカは深く息を吸い込んだ。


「火龍には病死の可能性はもちろん、自殺などありえないと言っている。娘は身も心も健康で前向きな子だったと。だから姫の出番だよ。例のチカラで、彼女に何が起こったのかを見てきてほしい」


 ミカの言葉に私は頷いた。彼女が私を頼るのは、私にタイムリープの能力があるからだ。そして、ミカとはそういう取引をしている。すなわち、彼女の捜査への協力をする代わりに、行方不明になってる私の母探しを手伝ってもらうことになっている。


 警察が力になってくれるのはとても心強いことだ。


 それに今回は、母の手掛かりの一つ、谷中の御猫神社と繋がりがあると思われる神江島神社での事件だ。断る理由は私にはない。正直、秘密の隠し扉の件も同時に調べたいトコだけど……


「まぁ、現場の状況を見てからじゃないと何とも言えないけどね……タイムリープが出来る条件は限られているから」


 私の言葉にミカが前を見たまま苦笑する。


「相変わらず、姫はそういうところは控えめだねぇ。この私がドン引きするぐらいに大胆なこともやらかすっていうのに」


「……」


 車内は一瞬静まり返った。薄暗い空間には、エンジンの轟音とワイパーの音だけが響き、微かな明かりを放つカーナビとメーターがミカの横顔を照らしている。


 ミカは再び口を開いた。


「──あとね、これは言っておくよ」


「なに?」


「この件では神江島家の当主、龍子が直々に強く指名してきたんだよ……ね」


「──姫を……って」


 私は一瞬思考が止まった。


「えぇ??」


 彼女は首を傾げニヤリと笑う。


「なにそれ?ミカさんの頼みじゃないの?龍子さんにタイムリープのことを何か話したの?」


 わけがわからず、私は思わず声を上げてミカに詰め寄った。ミカはおっとと声を上げながらも華麗にハンドルを捌く。


「危ないね、首都高で殺す気かい?話すワケないさ、例のチカラは公にしたくないのだろう?」


 私は慌てて自分のシートに戻り謝った。


「あ、ごめんなさい。でも、なんで……」


 ミカは左右に軽く首を振った後、コーヒーを飲み干しドリンクホルダーへカップを戻した。


「まぁ、古来から神に仕える名家のスキャンダルだからね。秘密を公にして欲しくないとのことだよ、姫と同じようにね。まずは指名してきた本人に聞いてみるんだね」


 ミカはそこで言葉を切り、ぐっとアクセルを踏み込んだ。


 雨粒が車体を叩く激しい音に混じって、エンジンの力強い唸り声が響く。私たちは闇と雨に覆われた東京を背にして、江ノ島へと向かっていった。



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


 6月24日 17時26分


 鉛色の空から滴り落ちる雨が、荘厳な神江島神社を冷たく濡らしていた。神社が本来持つ神聖さが薄れ、今はただ重苦しい気が立ち込めている。


 数台のパトカーが駐車場に散らばり、黒いレインコート姿の捜査員たちが慌ただしく動き回っている。警光灯の赤い灯りがその険しい表情と陰鬱な雨空とを照らし出していた。


 ミカと私は捜査員の一人に案内され、社務所の横に建つ神江島家へと向かった。立ち入り禁止のテープをくぐり、家の門を開ける。


 時代の風情を色濃く残す重厚な造りで、古き良き日本の趣が漂う家だ。天井は高く、柱や格子戸は深い色合いの漆仕上げで、歴史を刻んだ風格を感じさせる。


 私は玄関を一歩入った所で辺りを見渡し、その調度品をまじまじと眺める。


「うわぁ、立派なお屋敷だ……」


「その割には飾ってあるものは質素と言うかなんと言うか、神職の名門ってのはこういうものかね」


「ちょっとミカさん、声が大きいよ…!」


 その時ふと、私の鼻を微かな香りがかすめた。


 何だろう……お香の香り……?それにしてはちょっと濃厚な……何だろう?


「名門の家は炊くお香も一味違うのかな……?」


 玄関先で一人クンクンしていると、


「姫!そんな所で遊んでると置いていくよ」


 ピシャリとミカの声がかかり、私は慌てて後を追った。


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