82話 第十三幕 対峙 ②

5月14日 18時57分 < 元の時間軸から−2日 >


 病院に到着し、ミカの真紅のGT-Rは駐車場へ滑り込む。


 私は大きく深呼吸をし、ミカと目を見合わせてから車を降りた。


 病院の駐車場は広く、整然としていた。舗装されたアスファルトはまだ新しく、白線がくっきりと引かれている。周囲には手入れの行き届いた植え込みや街灯が並び、夕暮れの柔らかな光が辺りを包んでいる。


 その風景を目の端で捕えながら心の中で冷静さを保とうとする。ミカも同じ気持ちなのだろうか?──私たちは足早に病院の正面玄関へと足を踏み入れた。


 面会時間もあと1時間で終わりのためか、ロビーは閑散としている。ミカは腕時計をチラリと見ると私に視線を移した。


「私は、病室で寝ている姫を何とかして部屋に足止めしておくから、姫は松本を屋上に誘導する。そこへ仲間が突入、私もすぐに駆けつける。大丈夫、簡単なことさ」


 簡単なことかどうかは知らないが、これしか手がないのは確かだ。


──ミカの言う、「ここ一番で冷静に行動できるヤツだけが人と助けられる」を信じて。


「何かあったら、連絡するさ」


 そう言うと、ミカはポンと私の肩を叩いてニヤリとして見せ、きびすを返して足早に私の病室へと向かっていった。


──さぁ、私も行こう……!!


 スマホを見ると19時ちょうど。面会時間は20時まで。松本は面会時間ギリギリまで看病していると言っていたので、まだ部屋にいるはずだ。


 万莉まりの病室は6階。エレベーターに乗り込み、6のボタンを押す。ドアが閉まると、私は目を閉じて大きく息を吸う。


──万莉の家での惨劇、そして、さっき藤沢のホテルで見た映像の冷酷で残忍な松本の形相が思い出され、足がすくみそうになる。あの残虐な殺人鬼とこれから対峙しないといけないんだ──


 壁に取り付けられた鏡を見つめ、自分を叱咤しったするように頬を両手でペシペシと叩く。


『しっかりしないと。屋上まで連れて行くだけだよ、後はミカと警察がなんとかしてくれる──冷静に。冷静に……』


 エレベーターのドアが開く。ナースセンターを通過して、万莉の病室の前に来た。ドアのノブを掴む手が小刻みに震えている。


「こ……こんにちは……」


 蚊の鳴くような声で呟き、ドアを少しだけ開けて中の様子を伺う。


──いた、松本だ!!


 松本貴之まつもとたかゆきは、万莉が寝ているベッドのすぐ横に腰掛け、身じろぎひとつせず彼女の寝顔をジッと見つめていた。その横顔からは何の感情も感じられず、私は両腕が瞬時にあわ立つのを感じる。


──とにかくまず、あの男を万莉から引き離さなければ──


 私の気配に気づいたのか、松本がゆっくりとこちらを振り向く。


 彼は微かに目を見開いたが、すぐに柔和ないつもの表情を取り戻し、優しげに微笑んで見せる。


「あぁ、あなたは……昼間のルミさんですね?また来てくれたんですか、ありがとう。万莉はまだ目が覚めなくてね……」


 私は口から心臓が飛び出る程の鼓動を感じながら、声を絞り出す。顔が我ながら引きつっているのがわかる。


「あ、あぁ。ハイ……また心配になってしまって……ハイ」


「本当に、早く目を覚ましてほしいものだね……目覚めたら何をしてあげようかと楽しみにしているのに……」


 その言葉に息が止まりそうになり、心の中で悲鳴を上げる。


──目覚めたら何をしてあげようか……?!何をするつもりなの──?!!


 冷静に、冷静に……私は何度も心の中で自分に言い聞かせ、震える拳を握りしめる。


 とにかく彼を屋上に連れていかなければ──


「……松本さん、ちょっと万莉ちゃんのことでお話があるのですが……一緒に来てもらえませんか?」


「ほう、万莉のことで?」


 松本は一瞬沈黙してからこちらに向き直る。彼の目は、私の真意を見透かそうとするかのようにいぶかしげに細められていた。


「ハ、ハイ。少しだけ話したいことがあるんです。ほら、外の空気も吸いたいし…」


 私は松本の目から顔を背け、窓の外を指さして見せる。我ながらわざとらしいがこれが精一杯だ。


「……? まぁ、私も外の空気を吸いたいと思ってた所ですから、少しだけなら構いませんが──」


 松本はしばらく万莉の寝顔を見つめた後、ゆっくりと立ち上がった。


 その時、私は見てしまった。温和な表情の下から一瞬現れた、松本の光のない空洞のような目を。


──この人は一体……?本当に万莉の叔父さんなの?人間味が全く感じられないよ──!!


 私は張り裂けそうな心臓を必死になだめながら、松本を連れて部屋を出る。


 廊下は薄暗かった。天井の古い蛍光灯が弱々しい光を放ち、その明かりが廊下全体に不気味な影を落としている。


──その時。


 スマホが光りメッセージが届いた。この時間軸の私を病室で足止めしているはずのミカからだ。どうかしたのだろうか?


 何気なくメッセージを読んだ。


「!!」


▶︎▶︎ 姫、まずい。こちらの眠り姫が病室にいない。この病棟のどこかにいるはずだ。


 私は叫びそうになり、焦って両手で口を覆う。松本にジロリと見られ、咳込むように誤魔化した。


「ルミさん、大丈夫ですか?」


「あ、え……ゴホっ。だ、大丈夫です!ハイ」


 松本はいかにも心配そうに私の顔を覗き込んだ、空洞のような目で……。


 私は咄嗟とっさに顔を背けた。


──私が私の病室にいない?それって……どこにいるの?? 私が入院している時にそんなことあった?記憶にないけど……??


 松本は私の尋常じんじょうでない様子に気付いたのか、後ろから声をかける。


「ルミさん、まだ調子が悪いのですか……?本当に無理なさらないように……」


 先ほどの火災で痛めた声が、恐怖でさらに裏返る。


「だ、大丈夫です。ハイ……」


 心の内がすぐに顔に出る自分が恨めしい。せめて顔色を悟られまいと、松本から顔を背け続ける。結果、私の態度がさらに怪しくなる。


──その時、突然院内放送が流れた。この声は……看護師のイナべさんだ。


「703号室のルミ様、至急同階のナースセンターまでお越し下さい、ミカ様がお呼びです」


 私は天を仰ぐ。あぁ、ちょっとミカさん……なぜこのタイミングで院内放送をするのかな……


 ミカの大雑把おおざっぱな作戦は、私を窮地きゅうちに送るのが得意らしい。松本は怪訝けげんそうな口調で問うてくる。


「──ルミさん。何かナースステーションで呼んでいるようですが、行かなくて良いのですか?」


 私はうまい返答が思い付かず、そのまま彼に背を向け無言で歩く。


 松本も再び黙り込み、杖を突きながら私の後を付いてくる。コツコツと杖の音だけが廊下に響き、重苦しい空気に押し潰されそうになる。


──ああ、状況は最悪だ。今の時間軸の私と絶対に鉢合わせしないようにしないと……そうしないと、私は時空の狭間に飛ばされて……


 冷静に。冷静に……


 辺りを用心深く見渡し、同時にこれ以上挙動不審にならないよう精一杯気をつけながら、6階の廊下を進む。


 屋上に続く廊下の十字路に差し掛かったその時。


「え?」


 視界の隅を、ふと見覚えのある入院着が横切った。右手の通路の先だ。目を向けると──


 周囲をキョロキョロと見回しながら、頼りなく歩く後ろ姿。


「!!」


 薄暗い照明の中でも見間違えようがない、それは間違いなく、今の時間軸の私だった。

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