君と死の淵で生のダンスを
森陰五十鈴
興奮
「いやぁ、最近退屈だったんだよねー」
その薄暗い円形の広間を訪れたクロメルは、興奮を抑えきれなかった。なんとか自分を宥めようと左手中指に嵌まった指輪を弄るが、声が上擦ってしまうのを止められない。目はにんまりと三日月型、口角も上がってしまって、平凡と呼ばれた顔には、誰が見ても分かるほど喜悦の表情が浮かんでいることだろう。
「張り合いがないっていうの? お仕事が来ても、楽勝な相手ばかりでさ。もうつまんないったら」
両手を天井に向けて、肩を竦める。大袈裟な仕草は、クロメルの常。ただ今は、ちょっと酔っているかもしれない。気分はどんどん高揚し、身体はどんどん熱くなる。胸が高鳴って仕方がない。クロメルの口は勝手に開き、ぺちゃくちゃと心情をまくしたてる。
「だから正直、今回も期待してなかったの。雑魚ばっかりだろうってさ。――でも、そうじゃなかった」
左中指の指輪が光る。金色の台座に埋まった赤い石から出現したのは、細く長い十字剣だった。宙に浮かんで留まるそれを、クロメルは掴み取る。刃を水平に、おしゃべりの相手に突きつけた。
それは、少年だった。十三、四。中途半端な身体の大きさから、そのくらいの年齢だ。灰色の髪は短く立って、水色の瞳は暗闇の中でも爛々と輝いている。両足を開いて身を屈め、地面に片手を付いて唸る様は、まるで犬や狼だ、とクロメルは思った。
――てゆーか、頭の三角耳といい、ふさふさの尻尾といい、確実に狼人じゃん。
いわゆる亜人と呼ばれる、人間とは異なる種族である。
彼は敵意を剥き出しにし、向けられた剣に臆しもしなかった。やる気満々。戦闘態勢。
「これ。お前さんがやったんでしょ?」
剣をすい、と動かし、周囲に転がるものを指し示す。血が滲みる金属の床に打ち捨てられた、たくさんの死体。一見して人のよう。だが、よくよく見れば、獣と合わさった異形の姿。これらも亜人。死体にはたくさんの傷が付き、殺し合いの跡が見て取れる。
まるで悪趣味な
誰がどんな目的で戦いの場を用意したのか、憶測でしか分からないが。どんな思惑の結果だとしても、変わらない事実が二つある。死屍累々としたこの場所で出会ったこの狼少年は、唯一の勝者だということ。そして、少年がクロメルの〝狩り〟の対象だということ。
「……なんだ、お前は」
唸りに混じって発せられた、かすれ声。今更な誰何に、クロメルは大仰に手を広げる。身に纏う祭祀服を見せびらかすように。
「俺? 俺は、サライア教会から派遣された異端審問官――通称〈狩人〉」
サライア教会。ストルア大陸の各地に広まる宗教団体。クロメルはその教会の一員で、つまりは一応聖職者。ただし、その仕事は少々特殊で、人間とは異なる姿をした化け物を狩ることだ。
そう言うと、狼人間の子どもは険しい顔をする。
「……オレは、化け物なんかじゃない」
「神の祝福を受け損なった亜人ってだけで、十分バケモノさぁ」
それがサライア教会における教義であり、異端審問官の異端判定の基準だ。
「それに、これだけお仲間殺しちゃってさ、『自分、普通です』なんて言えると思ってるの?」
図星を突かれたのか、狼少年は沈黙する。悔しさに歯噛みしているのかと思うと、クロメルは嬉しくなった。もっと敵意を剥き出しにすればいい。そうすれば、これからもっと楽しくなる。
「というわけで、君は俺の獲物なわけよ。さあ、どうする? 大人しく殺される?」
投げかければ、狼少年は再び構える。背を丸め、足を踏ん張り、歯を剥き出しにして唸る姿に、クロメルは破顔した。
「だよねぇ」
狼少年が床を蹴る。人の背の高さを楽々と越える跳躍。振り上げた左手を、クロメルめがけて振り下ろす。
「
左手に装着された武器を冷静に見極めたクロメルは、右脚を引いただけで狼少年の攻撃を躱した。次いで繰り出される裏拳。再度引っ掻き攻撃。振り回される左手の凶器を、クロメルは剣でいなす。
「いいねぇ」
ひゅう、と口笛。右足の蹴りを左腕で受ける。相手がバランスを崩したところに剣を突き出す。少年は左足だけで大きくバックステップ。距離を取って体勢を立て直す。
左手を後ろに引き半身に構えた狼少年の姿に、クロメルの心が踊る。
「もっと来いよ」
大きく手を広げ、わざと無防備な姿を晒す。少年が顔を歪める。挑発行動。彼は軽率に動かない。
「じゃあ、こっちから行くよ?」
長い足を前に踏み出す。身体を前に倒し疾走、音なく狼少年に接近する。右下からの斬り上げ攻撃。ひらりと剣を翻して袈裟斬り。狼少年は退くことなくクロメルの剣を掻い潜り、隙を見つけては長い爪を突き出した。
クロメルの上着が裂ける。
「ちっ」
たいした手応えを感じなかったのか、少年は突き出した腕を引き、下がる。逃さずクロメルの剣が追う。打ち鳴らされる金属音。三回、四回、と繰り返されて、少年の空中転回でひとまず止まる。
「ああ」
上着の裂け目をなぞり、クロメルは満足げに吐息を漏らした。肉に届いていないとはいえ、攻撃を受けたのは久しぶりだった。
ずっと味気ない日々を送っていた。逃げ惑うだけの獲物たち。たまに反抗してきても、それはなけなしの一手でしかなくて。
まるで弱い者いじめだった。悲鳴を作り出すだけの仕事。さしものクロメルも、相手を憐れに思うほどだった。〝狩り〟に抵抗のなくとも、一方的な虐殺は好まない。
――違う。
鈍化する心の奥で、ずっと不満が燻っていた。そうじゃない。殺したいわけじゃない。血濡れた剣を握りしめても、身体は渇きを訴えていた。欲しいのは悲鳴じゃない。懇願でも涙でもない。卑屈になって死ぬ奴なんかに興味はない。もっと、もっと、
――鮮烈な、生の輝きを。
「いいねいいね! すごいよ、お前!」
ずっと渇望していた戦いが、そこにあった。クロメルを殺さんと襲い来る狼少年は、生の躍動と活気に満ちていた。やけっぱちでない、意志を伴った攻撃。その爪の先には死の気配が纏わりついていて、だからこそ生がひときわ輝きを放つ。
「もっとやろうよ! さあ、おいで!」
「気狂いが……っ」
長い犬歯を剥き出しにして、苦々しく少年が呻く。その言葉に、クロメルは笑った。
「否定しないよ? 俺もどうかしてると思うもん。でもさあ、お前さんも、それ言えるの?」
分からないのか、少年は眉を顰める。そうか、気付いていないのか。そう悟ると、クロメルは刺激せずには居られなかった。
人差し指で、少年の顔を指差す。
「さっきからずっと、笑っているよ?」
爛々と瞳が輝き、牙を剥き出しにして、喜色にまみれたその顔を。
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