第一章 新たなる出会い(1)
一角の女神に祝福されし地、フォルド大陸。
この広大な大陸は、主に四つの地域に分けられる。
北部一帯を支配する北の覇者――オルドラン帝国。
南部一帯を統治する南の伝統国家――フォルセウス王国。
様々な諸侯・都市国家・豪族・部族が乱立する東部紛争地帯――東方。
そして、大陸西端の島国――エストリア公国。
このエストリア公国こそ、この世界でもっとも魔法技術が発展した魔法国家。
そして、世界最先端の魔法研究と、魔術師達の育成教育が日々行われる世界最高峰の魔法学院――エストリア魔法学院が存在する国である。
そこは、世界中から魔術師を志す若者達が集う地。魔術師達の聖地。
そんなエストリア公国へと向かう一隻の定期船の中に、リクスの姿はあった――
「この広大な海の先に……かのエストリア公国があるのか」
シャツにズボン、オーバーコート……簡素な旅装に身を包んだリクスが、船の甲板上に立ち、手すりにもたれかかりながら、目の前の雄大な水平線を見つめている。
心地良い潮風が、休むことなく吹き流れている。
それを三本のマストに張られた帆が捕らえて、リクスを乗せた船は、アーリア海の荒波を斬り裂くように力強く進んでいく。
見上げれば、抜けるように青い空。
耳を澄ませば、穏やかな潮騒。
揺れる海面は、天頂の日の光を乱反射させ、キラキラと輝いている。
今までとは違う希望に満ちた何かが、きっとこれから始まる……そんなことを予感させてくれる清々しい海の光景を。
「おぇえええええええええええええええええええぇぇぇーーッ!」
リクスは、手すりから身を乗り出して吐き散らかした吐瀉物で、盛大に汚していた。
「うぇっぷ……ぎもぢわるい……ッ! 来るんじゃなかった……ッ!」
そして、早くも後悔していた。
リクスは歴戦の傭兵だが、どうしても船の上は昔からダメだったのだ。
おかげで水上戦となると、途端にポンコツの役立たずになる。
このような長い船旅は、リクスにとって地獄の宴だった。
「くそぅ……もう、ダメだ……ッ!」
がくん、と。燃え尽きたように、リクスがその場にくずおれる。
「なんだこれは……今まで経験したどんな戦場よりも辛いぞ……ッ!
死ぬのか……? 俺、死ぬのか……ッ!? こんな所で……ッ!?
くっ……どうせ死ぬなら……ッ!」
リクスがこの世界の全てに絶望したような目で、腰に吊ってある剣の柄に手をかけた……その時だった。
「ええと……そこの君……大丈夫?」
「おい、お前……大丈夫かよ?」
リクスの左右から、同時に声がかかった。
「ん?」
「あっ」
「お?」
リクスが顔を上げれば、左側には少女が、右側には少年が立っていた。
二人とも、リクスと同じ十代半ばだろう。
少女は、両肩に垂れる二つ結びにした亜麻色の髪、優しそうな群青色の瞳、女性としては平均的な身長。まるでお人形のように美しく整った顔立ちをしているが、化粧っ気や飾り気がなく、いまいち垢抜けてなさがある。
だが、それでも思わずドキリとするほど美しい。美しいというより可愛い。野に咲く花の素朴な、それでいて可憐な美しさと可愛らしさだ。
対して少年は、短髪の茶髪、茶色の瞳。リクスより上背がある。美男子……とまではいかないが、顔立ちは程よく整っており、人を引きつける不思議な愛嬌が感じられた。
二人とも旅装姿だ。
「君達二人は、何者だ? まさか追い剥ぎ? 弱った俺を狙って……? くっ!?」
「ンなわけあるかよ。とりあえず、そこの彼女は俺も初だ。
でも、多分、俺と同様、お前のことが気になって声をかけたクチだと思うぞ」
「う、うん……なんか、凄く気分悪そうだったから……」
すると、少女は懐から小瓶を取り出した。中には丸薬が入っている。
「君、船酔いだよね? 良かったらコレ使う? すぐに楽になるよ?」
「……なるほど、毒か。ありがたく受け取るよ……」
「なんでこの流れで毒なんだよ!? しかもありがたく受け取んな!」
失礼極まりないリクスに、少年が思わずズビシと突っ込む。
「酔い止めだよ! 酔い止めの魔法薬! 俺でも知ってる結構有名なやつだよ!?」
「いや、楽になるっていうからさ……」
「介錯的な意味じゃねえよ!? いいから、とにかく飲んどけ!」
少年に促され、リクスは少女から小瓶を受け取るのであった。
結論から言えば、少女がくれた酔い止めは効果覿面であった。
ものの数分で、リクスは普段の調子をほとんど取り戻していた。
「いやぁ、ありがとう。君は命の恩人だ」
「い、命の恩人だなんて、あはは、そんな大げさだよ……」
「いいや、命の恩人さ! 俺、もう少しで自決するところだったからね!」
「自決!? しかもなんでそんな爽やかに!?」
「え? だって、普通、あえて死にたくはないけど、苦痛が長引くならいっそ……って、思うものじゃないの? 違うの? 皆、そうだったけど?」
「うん……俺、お前に声かけたの、ちょっと後悔しかけてるわ……」
リクスの言に、少女は目を瞬かせ、少年は目を虚無の半眼にするしかなかった。
「と、とにかく、まずはお互いに自己紹介だよね? 私、アニー=ミディル。今年、エストリア魔法学院に入学することになった新入生だよ。ピカピカの一年生」
少女――アニーが、朗らかに微笑みながら言った。
「ああ、なんだ。やっぱそうか。だよな、この時期にこの船に乗る連中っていったら、そうに決まってるよな」
「ということは……君も?」
「おう。俺の名は、ランディ。ランディ=ラスター。今年からエストリア魔法学院の新入生だ。よろしくな」
少年――ランディもそう名乗ると、リクスを見る。
「……となると、お前もそうなんだろ?」
「ああ。俺は、リクス=フレスタット。この度、エストリア魔法学院へ入学することになり、こうして死地にやってきた」
すると、アニーとランディが驚愕に目を見開いて、叫んでいた。
「ええええっ!? 君が!?」
「あのリクス=フレスタットなのか!?」
瞬間、反射的にリクスは腰の剣に手をかけ、周囲を錯乱気味に警戒し始めていた。
「な、なぜ、俺を知っている!? まさか賞金首の手配書がここまで出回って!? ひぃいいいいいいいい!?」
「違う! 違う! っていうか、俺、お前に声かけたこと、本格的に後悔してきた! マジで、なんなのお前!?」
「え、ええと……落ち着いてね、リクス君。
君は、私達今期の新入生の中では、結構有名人なんだよ?」
周囲を警戒するリクスを宥めるように、アニーが言う。
「特待生。本来、公正で厳格な入学試験と適性審査を合格しないと、決して入学できないエストリア魔法学院が、その全ての手続きを無視して、特別に招待入学させる生徒。
学院側がどうやって、特待生を選別しているのか、ちょっとわからないけど……特待生は皆、例外なく、普通じゃない魔法の才能を持っているらしいの」
「今年は、二人もその特待生が出たって話で持ちきりでな……まさか、お前がそうだったとは」
「……!」
寝耳に水な話に、つい押し黙ってしまうリクス。
確かに、リクスが傭兵をやめて魔術師になろうと思ったのは、以前どっかの戦場で、仲間達と一緒に仲良く死体から戦利品漁りをしていた時、突然、リクスの前に現れた変な妖精から、一通の手紙を受け取ったのが切欠だった。
それが、今、リクスの胸ポケにある『エストリア魔法学院特別入学招待状』。
二行以上の文章なので、襲いかかってくる眠気を必死に堪えて、なんとか読んでみたところ……なんだかようわからんが、魔法学院にタダで入れてくれるらしい。
あの時は、ラッキーとしか思ってなかったが、この二人の反応を見るに、結構な大事であるらしいようだ。
そもそも、なんだかんで十代思春期まっただ中なリクス君。
普通じゃない、特別……そう言われて悪い気はしない。
というか、むしろドヤりたい。
「そっかぁー? 普通じゃないかー? 俺、普通じゃないかぁー? 参ったなぁ~」
「まぁ……普通じゃねーわな」
「うん」
浮かれるリクスに、ランディが半眼で、アニーが曖昧に微笑んで頷く。
「ところで、お前って、どんな特別な魔法使えるんだ? 特待生っていうくらいだ……もう魔法、使えるんだろ? 教えてくれよ」
「だ、ダメだよ、ランディ君。それはいくらなんでも失礼だよ? 魔術師にとって自分の手の内は隠すものなんだから」
興味津々とばかりに聞いてくるランディを、諫めるアニー。
「い、いや……どんな魔法を使えるも何も、俺は……」
魔法なんて習ったこともない……リクスがそう答えようとした、その時だった。
どぉおおおおおおおんっ!
海の上だというのに、まるで大地震のような衝撃が、突然船を襲った。
「うわぁ!?」
「きゃあ!」
突き上げられる衝撃で、ランディとアニーの身体が浮いて、その場に転倒する。
「ん? なんだ、今の」
リクスは何事もなくその場に立って、辺りをキョロキョロしている。
まるで船そのものに根を下ろしているかのような、抜群の体幹と安定感であった。
「あ、あれ? リクス、お前……なんでそんな平然と……?」
そんなランディの疑問を遮るように、叫び声が上がった。
「海魔だぁああああああ!? 海魔が出たぞぉおおおおおおおおおーーッ!?」
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