第6話 覚えのない話

「嘘はついてないです」


「ふっ……ふっ……」


 隣に座る枝元さんから鼻をすする音がした。


 校長先生、学年主任、担任の目は枝元さんに向けられていた。


 その全ての眼には可哀そうという感情が文字として見えるほどに、僕に向けられたものとは全く違う眼差しだった。


 恐る恐る隣に視線を向けると鼻をすすって泣いている枝元さんの姿があった。


「――っ⁉」


 驚いた。今の流れの中で悲しむ場面などは無かったはずだ。


 理解しきれない状況に、追い打ちをかけるように枝元さんは僕の右手を握った。


 目元が赤く滲んでいる枝元さんはじーっと上辺使いでこちらを見つめる。


 表情の意図と、右手を握っているという謎の行動に頭の中での整理が追い付かない。


「……ふっ……野々山君。……ふっ、私たち……の」


 枝元さんの息は荒く、上手く話せていない。


 周りの大人たちは枝元さんから目が離せないで前のめりになっている。


 とりあえず、できれば早くこの手を離してほしい。


 誤解が生まれる前に。


 枝元さんは上目遣いでいる状態から一度目を閉じて、目を見開いて僕の右手を自身のお腹へ持っていく。


「……赤ちゃんがっ……出来たの」


「……」


 脳内で「赤ちゃん」という言葉がやまびこの様に何度も響く。


 想定外過ぎる言葉に脳が考えることを止める。


「野々山、枝元と付き合ってるんだろお前」


 ゆっくりと声のする方へと振り向く。


「付き合ってる?」


「あぁ、枝元が言ってたぞ。お前と付き合ってるって」


もう一度、僕の右手をお腹に当てている人物へと視線を戻す。


「付き合ってないですよ」


「なんで、なんで、嘘つくの野々山君。……ふっ……ふっ」


「なんで嘘つくの? なんで、嘘をついてるの枝元さん」


僕は枝元さんの顔は見れなかった、どんな顔をしているのかが怖かった、知りたくなかったから。


 ここからの記憶は曖昧だ。


 枝元さんが言って、僕が反論して、担任の先生に問い詰められて、反論して。


 僕を信じる人はいなくて、僕が反論し続ける状況に皆がイラつき始める。


「野々山、それは男としてやっちゃいけないことだ!」


「やっちゃいけないこと……?」


「枝元を見ろよ、お前が嘘をついてるから泣いてるんだぞ!」


「それは、僕もわかりません」


「野々山くん。流石にこれは往生際がわるいんじゃないかな?」


 学年主任の鋭い眼差しが僕の心を見透かしているような気がした。


「いえ、僕は……嘘は、ついてない」


 冷汗が垂れ、そんなに熱くないはずなのに喉が乾く。


 ここにいる大人は僕の言葉を聞く耳はなく、一方的な思いの言葉しかぶつけてこ

なくなっている。反論してる意味がないと思わせるほどに。


 そんな緊迫した状況の中で枝元さんが机に頭を突っ伏した。


「うわぁぁぁぁぁぁぁぁ」


 叫びに近い枝元さんの泣き声が、校長室に響き渡る。


 正面で座っていた二人は立ち上がり担任を含め、あたふたする。


 僕はその光景をみて、ただただ呆然とするしかなかった。


「野々山、もういい。この続きはまた明日だ!」


 枝元さんが話せる状態ではなくなって、話しは明日へと持ち越すことになった。

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