生首先輩と僕
冴吹稔
僕の奇妙な先輩編
第1話 むかしばなし
放課後の廊下をてくてく歩いて、今日も別棟の旧校舎へ。
二度にわたって持ち上がった取り壊し計画を退けて、今なお赤レンガの荘重な外観を誇るその二階建て校舎の一角に、僕が所属する文芸部の部室はあるのだった。
――やあやあ。待ってたよ袴田君。今日も私が一番のりだな。
窓際に置かれた机のところから、安物のヘッドホンを通したような声が響いた。びりびりとノイズ混じりでもなお、耳を蕩かすような心地よいアルト。
「終ってから直で来ましたけど、そりゃ最初からいる人にはかないませんよね」
部室で待っていたのは腰までありそうな黒髪を垂らした、涼しげな切れ長の目が印象的な美少女、
「ああ、実はね袴田君。私は、人じゃあないのだよ」
「知ってますって」
見ればすぐわかる。何せ――
スン、とばかりに表情を消した彼女の顔は、机の上に折りたたんで置かれた黒いセーラー服の上に直接載せられていて――そこから下に続くべき部位がいっさい存在していないのだ。
「……君は面白みの薄い男子だね。まあ聞きたまえ、昔々その昔のこと、豪胆で名の知られた武士がいた。だが戦で主家が滅び、彼は二君に使えるのを良しとせずに、出家してしまった」
「はあ」
「雲水となって諸国行脚の旅に出た彼は、ある時甲斐の国を訪れた。道行くうちに日も暮れ、さて今夜は野宿でもしようかと考えていると、薪の束と斧を背負った一人の男がやってきたのだ。彼は『この辺りは化け物が出るので危のうございます』と言って、雲水に一夜の宿を提供しようと申し出たわけだが――」
僕はため息をついた。その話はほぼほぼ、昔読んだことがあるやつだったから。
「からかわないで下さいよ、先輩。それは小泉八雲の『ろくろ首』でしょう?」
木こりの男は中国伝来の「飛頭蛮」と呼ばれるタイプの、首が頭から分離して飛び回るタイプのろくろ首だった。
雲水を食おうと目論んだが、彼がずっと誦経に勤しんでいたため襲うことができずに、かえって夜間、体から分離したすきを突かれて体を隠され、戻れずに死んでしまう――というのが大まかなあらすじだ。
「ぬう」
化野先輩は先ほどにもまして不満そうな表情で、僕を睨んだ。涙目になりかけのふくれっ面が、可愛い。
「私はその小泉何とかのことは知らん……だいたい日本の近代小説にはあまり興味がないんだ。こういうとなんだが、狭苦しい内心に籠った私小説ばかりで、ちっとも面白くないからな」
「えぇ……」
こっちの方が不満げな声になってしまう。確かに言いたいことは分からないでもないが、それは往年の文豪たちになんぼ何でもあんまりだ。
「あのですね。先輩は小泉八雲の『茶碗の中』とか読むべきです。あと横光利一とか」
八雲は日本の民話や怪談話を英語圏に紹介した文化交流の功労者だし、日本の近代文壇には、遠い時代や未知の世界に思いをはせて、芳醇な想像力を糧に壮大な
「大体ですね、先輩がろくろ首だってのはいまいち説得力ないでしょ。体に戻ったとことか見たことないですし、戻らなくても死にそうにないし」
「よ、世の中の伝説や伝承には、必ずしも事実とは一致しないケースもあってだね……」
しどろもどろになって言いよどむ。うむ、可愛い。
それはそうと、彼女は「茶碗の中」について興味を惹かれたらしく、そのあらましを僕に聞こうと、机の上をぐいっと十センチほどこちらへにじり寄ってきた。
あいにくとこの部室の書棚に、八雲の「骨董」や当該短編の収録された書籍はなく、僕は彼女にかいつまんで――ちょうどさっき彼女が「ろくろ首」らしき話を始めたときのように――概略だけを説明したものだ。
「こわい」
青ざめた顔で、彼女はそういった。推定「ろくろ首」についてはなおもそれが自分自身の体験談であると強弁したが、僕は取り合わずに先輩の分もインスタントコーヒーを用意した。
さてだらだらと綴ってきたが、要するに化野数多とは。
大文字学園高校の北側区画に残された明治以来の旧校舎に住まう、一個の生ける生首にして文芸部の永世部員なのである。
歴代の文芸部員は皆こう呼んだ――「生首先輩」と。
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