第96話「シャーレとアインス」

「あーっ!逃げないでください!」

「あら?」

「むう」



 ばたばたと階段を下りて追いかけてきた少女に対して、アインスとヴェーセルはそれぞれ疑問と困惑で返した。



「シャーレ!廊下や階段を走ってはいけないとあれほど言っているでしょう!」



 受付から肝っ玉母さん、という言葉がぴったりの女性が出てきた。



「ムスカおばさん、ちょっとぐらいいいじゃん!それにあの人だって!」

「人のことはいいの!まず従業員である私達がちゃんとしないとお客様だってマナーを守ってくれなくなるでしょうが!」

「ご、ごめんなさい」



 どうやら少女の名前はシャーレというらしかった。



「あの、アインス。アナタあの子に何かしたんですの?」

「いいや、顔には見覚えがあるが特に関わりはない。どこかで会ったような気がするのだが、どこで出会っていたのかな」

「何気にさらっと酷いこと言ってますねこの人……」

「そもそも人じゃなモガモガ」

「アルちゃん、ちょっと抑えて」

「とりあえず、ちょっと座りましょうか」



 宿の一階は、食事処になっていた。

 二階と三階が客間になっているのだとシャーレは教えてくれた。

 そんなテーブルのうち一つを使わせてもらっていた。



「いいんですか?」

「いいのよ、お客さんもほとんどいないし」

「まあ、そうですよね」



 はっきりいえば、ゴレイムのせいだ。

 怪物がいつ来るかもわからない辺境の都市に人は来ない。

 漁が止まるのみならず、人が来ないことで観光業すらも破綻している。

 以前アインスに連れられて行った、灯台から見える海など、正直なところかなりいい景色もあるのだが、それは結局まるで観光としては活かされていない。

 完全に荒廃してしまっているし。

 そもそも、ヴェーセルとしては宿が他にあったことすら知らなかった。

 ガンドックたちが取っていた宿は、貴族専用の公営の宿である。



「二年前までは結構繁盛していたんです。クルージングとかもあったので。でも、それが全部できなくなっちゃったから」

「まあ、正直どこも商売あがったりなのは同じなんですけどねえ」

「ううむ……」

「とりあえず、ここに住んだらいいのではありませんか?アインスは」

「は?」

「え?」

「うん?」

「ほえ?」



 ヴェーセル以外のすべての人間が(人間でないアインスも含めて)驚いた。



「正直なところ、こうして潜伏先を確保しておいた方がいいのではなくて?できればワタクシたちもここを拠点にしておきたいですもの」



 幸いというべきか、閑散としていて客は一人もいない。

 つまり、このスタッフたちが漏らさなければ

 アインスが潜伏するには向いているし、ヴェーセル達が一緒に潜伏してもよい。

 ヴェーセル達にとっても

 むしろ、彼女としては画期的なアイデアだと思ったのだが。



「だめだ、我はこの人達を巻き込みたくない」

「……アインス」



 ヴェーセルは、理解する。

 アインスには、人間の心がある。

 目的のためなら手段を択ばない……最悪何があっても、二人で一緒に守ればいいと考えているヴェーセルよりよほど人間らしいと言えるだろう。

 確かにガンドックがヴェーセルやアインスを建物ごと・・・・吹き飛ばす可能性まで考えるとうかつにここにいていいとは言えないかもしれない。



「あ、あの、私はアインスさんに滞在してほしいです」

「貴様、シャーレといったな」

「はい、シャーレです!」



 名前を読んでもらえたことが嬉しいのか、シャーレはキラキラと目を輝かせる。

 まあ、十歳くらいであろう彼女にとってはアインスは憧れのきれいなお姉さんに見えているのかもしれないが。

 ヴェーセルからすると同年代であるという認識が先行してしまうのだけれど。



「我は、言ってしまえば逃亡犯でな。追われている身ゆえ、貴様に連絡をかけること

になってしまうのだ。だから、ここを出る。街からもなるべく離れるつもりだ」



 シャーレは、表情を変えずにじっと見つめて、口を開く。


「それは、何か事情があるんですよね?」

「いやまあ、それは」

「私知ってますよ。アインスさんはいい人だって、追われているのだって悪い人に騙されたりしたからなんじゃないですか?」

「……なぜそう思う?」



 確かに、とヴェーセルも思った。

 アインス・オーキドマンティスはこのオデュッセイアでほとんど人間と関わっていない。

 すれ違ったことくらいはあるだろうが、街の外でゴレイムを狩り続けていた彼女にそんな機会があるわけもない。



「それは、私が助けていただいたからです。ゴレイムに襲われたところを」

「え?」

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