第50話「宝石と眼球」
「それは、二つ理由がありますね」
「?」
「ひとつには、あの噴水がとても綺麗だったからです」
「ふふっ、君らしい答えだなあ」
綺麗なものが好きなアメリアらしい解答に、フィリップが目を細めていると。
「あとは、フィリップ様の目が欲しくなったからですわ」
「……目?」
「はい、人の体の一部で一番好きなところはどこかと言われたら、目です。目は口ほどにものを言うと言いますし、何より光り輝いています」
「なるほどねえ。フェチズムの話か」
考えてみれば恋人でありながら、そこまで踏み込んだ話をしてこなかったような気がする。
自分は、女性のどの部位が好きだろうかと一瞬考える。
エメラルドを思わせる、緑の瞳。
くるくるとロールした、ジェノベーゼに似た緑の髪。
断崖絶壁という言葉がふさわしい、薄い胸板。
「…………」
気づけば、フィリップは自分の手を強く握りしめ、爪を手のひらに食い込ませていた。
それに気付いているのかいないのか、アメリアはぺらぺらと喋る。
「フィリップ様は、目が好きですか?」
「う、うん。私も、アメリアの目が好きだよ」
フィリップは、ヴェーセルの目が嫌いだったことに今更ながら気づいた。
彼女は、まるでフィリップに興味を示さなかった。
いや、それ自体は良い。
もとより王族と貴族の政略結婚だ。
だが、彼女は、彼のことを見てすらいなかった。
フィリップはヴェーセルをずっと見ていたのに。
会うたびに、何を話そうかと悩んだり。
成績でヴェーセルに負けまいと頑張ったり。
贈り物を何時間もかけて選んだり。
なのにヴェーセルには、フィリップのことは眼中になかった。
一つの背景、舞台装置程度にしか認識していなかった。
わかってしまうのだ、ずっと接してきたから、心の内で何を考えているのかはわからないのに、興味がないことだけはわかってしまう。
それが悔しくて、許せなかった。
愛してくれるどころか、意識すらまともにされないというのは彼にとって一番いやなことだった。
ヴェーセルに比べればフィリップに恨みを持っている者達の方が、彼にとってはまだましであった。
そんな嫌な記憶を頭をふって追い出そうとした。
しかし、結果として追い出す必要もなかった。
もっと恐ろしいモノが目の前にいたから。
「私も、貴方の目が大好きです。今すぐにでも欲しいくらいに」
この時、はじめてフィリップはぞくりとした。
いつの間にか、アメリアの顔がキスでもするのかというほど近い距離にあって。
彼女の見開かれた大きな瞳は、フィリップの瞳に舐めまわすような視線を向けていた。
恋人で、婚約者の顔がすぐ近くにあるということは、決して嫌なことではないはずなのに。
「アメリア?」
「ようやく二人きりになれましたね。これで、貴方の目を独り占めできます」
「あ、いや、別にいつだって私の目は君に釘付けだとも」
違う女性のことを考えていた罪悪感をごまかすために、あわてて言葉を返す。
何かが変だ。
彼の中にある本能が告げている。
逃げるべきだと。
「これまでは、護衛や騎士団、あの仮面騎兵がいたりして色々と邪魔でしたが、ようやく手に入れられそうです」
「アメリア?」
「ふふっ、安心してください。何も怖がることなんてないのです」
「今日は、もう家に帰るというのはどうだろう。ほら、お義父さんやお義母さんも心配しているかもしれないし」
ドアに駆け寄ろうとして、しかし、それは阻まれる。
「うん?」
フィリップの眼前に突如出現した、黒い翼によって妨げられる。
その黒い翼は、アメリアの背中から生えていた。
「……あ、え?」
「うふふ、逃げようとしても無駄ですよ?」
異形。そういう言葉でしか説明できないその在り様に、絶句する。
人と見た目が異なる人間は、大勢いる。
ゴレイムに襲われて部位欠損したり、あるいは生まれつきだったり。
フィリップの耳も尖っているし、獣人と言われる動物の耳と尻尾を生やした人間がいると聞いたこともある。
だが、背中から羽が生えている人間など聞いたことがない。
「アメリア、その翼は、どうして」
「ああ、これですか?部屋から出られては困るので出したのです」
「いやそうじゃなくて、背中から翼が生えていたらおかしいだろ?空想上の天使というか、まるで人間じゃないみたいじゃないか」
「ええ、私は人間ではありません」
「すまない、何だか今日はもう疲れたんだ」
フィリップは、右手から【スタン・ボルト】という雷属性の下級魔法を放つ。
極々微弱な電流を飛ばして相手を気絶させる魔法であり、護身用や制圧用に使う魔法である。
当たれば、ごくごく普通の少女であるアメリアは簡単に気絶するはずで。
「もう、レディにいきなり魔法だなんて、失礼ですわよ、フィリップ様」
「は?」
しかし、何も起こらない。
アメリアは、まるで事もなかったかのように話を続けていた。
「あ、ああ」
フィリップは、気づいてしまった。
魔法が、まるで効いていない。
彼女の白い肌には傷一つ、焦げ跡一つついていない。
そんなことあるわけがない、人を気絶させる程度であっても皮膚くらいは焦げるだろうに。
「【サンダー・ボルト】!」
雷撃をうち放つ。
今度は相手を殺すための呪文。
雷撃の槍は、相手の肉体を貫いて穴をあけ、内臓を焼き尽くして殺す。
魔法に秀でているわけでもないアメリアを、二回殺して余りあるほどの大魔法。
これを受けて効かなかったのは、あの鶏ゴレイムだけだった。
「もう、あまり抵抗しないでください。無駄ですから」
「あ、え?」
彼女もまた、無傷。
人を焼き貫く魔法をもってしても、彼女は殺せない。
つまり彼女は、人ではないのだと、フィリップは理解できた。させられた。
そして、さらなる変貌が始まる。
「綺麗なものを見つけた、だから絶対に逃がしてはいけないと思った」
左翼のみならず、右翼も背中から生えていく。
顔の皮がぺりぺりとはがれて、エキゾチックな文様が描かれた絨毯に落ちる。
はがれた化けの皮の下には、鳥の顔があった。
黒い瞳、黒い体毛、黒い嘴。
まるで、
「あ、ああ?あああああああああああああっ!」
恋人が眼前で鳥頭の天使という異形に変わったことで、フィリップはもはや正気を保てなくなっていた。
「フィリップ様の目玉、頂戴」
ぎらりとした爪を向けて、彼女は己の願望を口にした。
「変身」
『Change――Rapid rabbit』
乱入者によって、その狼藉は阻まれる。
異形の天使の頭部を、『兎』の足が蹴り飛ばす。
「あ、え?」
へたり込んだまま呆然としているフィリップは、二つのことに気付く。
一つは、自分を助けてくれた人物は壁を壊して侵入してきたということ。
一蹴りで壁を壊して、その勢いのまま鳥頭を蹴飛ばしたらしい。
もう一つは、自分を助けた人物の姿と声が、既知のものであること。
紫のドレスアーマーと緑の複眼。
腰に取り付けられた、見覚えのある『仮面』。
何より、十年間ずっと聴き続けた声。
現実で、回想で、あるいは夢の中で。
だから聞き間違えるはずがない。
「ヴェー、セル」
「久しぶりだな、フィリップ」
どんな表情をしているのかはわからないのに。
へたり込んだ自分を見下ろしてくる彼女と、初めて目が合った気がした。
◇◇◇
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