第34話「食・料・事・情」
「いい匂いがしますね!」
「壮観ですね」
「パン工場、日本のとさほど変わらないですわね……」
「にほん?」
パン工場では、パン生地を裁断し、それを熱してパンを焼くという工程を踏んでいくことでパンを作っていた。
そしてこちらでも、概ね同じ。
唯一の違うのは、動力が魔道具であるという点だろうか。
工場で働く人たちが魔力を込めて複雑な機械を動かしている。
魔法がある異世界でも、暮らしの基盤は現代日本とさほど変わらないというのは少し面白いかもしれない。
いや、ここがゲームの世界ならむしろ現代日本と変わらないのは当然か。
黒電話とはいえ、一応電話もある世界だし。
「でも、馬車は馬車で、車はないんですわよね」
「車?」
「いえ、何でもありませんわ」
あまり日本や前世のことを考えるのはよそう。
昔のことを思い出しそうになってしまう。
思い出せるほどのことなんて、何一つないのに。
今回の社会科見学の目的は、市井の暮らしを学ぶということ。
「工場でパンを作るだなんて、なんて独特の発想なのかしら!」
「そうですわね」
貴族街に住む貴族は、パン工場で作られたパンは食べない。
各々の家が抱えている料理人にパンを作らせる。
ヴェーセルたちも、グラスホッパー家の料理人が作ったパンを食べている。
使用人も、それは同じだ。
大体は料理人の作ったまかないを食べている。(アル、ルーナ、ジニーのような特定の個人直属の使用人は、主の希望で主と同等の食事を与えられている場合も多い)
一方、市民が食べるパンは、概ねこういった工場で作られたものだ。
「こんなにたくさん作られているなんて、本当に改めてたくさんの人がいるんですよね」
「確か、王都だけで百万人いるもんね」
「この工場一つで百万人分のパンが作られているわけではありませんが……。それでも壮観ですわね」
パンというのは、人にとって重要なものだ。
「人はパンによってのみ生きるにあらず」という言葉があるが、パンがなくては生きていけないのもまた事実。
食というのは、常に人とともにある。
食事をとって生命活動を維持し、人は生きているのだから。
「あの、あれは何でしょうか、ヴェーセル様」
ラベンダーが、指さす方向を見ると、普通のロールパンなどとは違うものがあった。
「ああ、あれはたぶん人型のパンですわね」
型を使って、人型に成形されたパンである。
特に意味はない。味も、他のパンと大差がないだろう。
「なるほど、そういうパンも市民は食べているのですね」
「ヴェーセル様、本当に何でも知っていますわね」
「あ、ありがとうございますわ、おほほ」
ラベンダーやパンジーといると、悪い気分ではない。
命を助けられたことに加えて、そうでなくても元々貴族同士だ。少なくとも建前上、こちらを持ち上げてくれる。
あとは、フィリップに対しての反発もあるのだろうか。
別に悪名であっても、広く知ってもらえるのならそれでもいいのだが、やはりまともに会話できる程度によく思われている方が都合がいい。
「か、かわいい……」
アルが、じっと人型のパンを見つめていた。
「あら、ヴェーセル様、随分かわいいメイドさんですわね」
パンジーの言葉を聞いて一瞬皮肉だろうか、と思ったがなんとなく表情や雰囲気からそうでないと気づく。
元々、嫌いな相手に対しては、露骨に嫌な態度を取っていた二人だ。
皮肉を使うという発想自体がないのかもしれない。
純粋にアルのかわいらしさが伝わっているのだろう。
「おーほっほっほっ!ワタクシのメイドは世界で一番可愛いですわ!」
「ヴぇ、ヴェーセル、くっつかないで。あとそれ、どうせジニーやルーナにも言ってるでしょ……」
◇
ただ工場の見学をするわけではない。
実際に食してみるというのも、見学の一環である。
ヴェーセル達は、従業員用のスペースを特別に借りて、食事をとっていた。
ちなみに、スペースの都合で使用人のアルは、ヴェーセルの膝の上に座っている。
ヴェーセルにとっては、彼女の体重と体温と髪の甘い匂いが伝わってくるので逆にありがたかった。
「うーん、焼き立てパンおいしいです!」
「工場の量産品がこれほどうまいとは……」
「おっほっほっ、それは良かった」
そういいながら、ヴェーセルは別のことを考えていた。
それは、ゴレイムのこと、そしてフィリップのこと。
もしもフィリップがロックゴレイムであるとするのであれば、彼は自分を守ろうとした配下をゴレイムに食わせたことになる。
ゴレイムが人を食べる動機は、よくわかっていない。
ロックゴレイムは捕食した人間に擬態できるようだが、逆に言えば一人食えばそれ以上殺す必要はない。
だが、少なくとも今回のロックゴレイムは何十人と殺して食っている。
王都以外のゴレイムであれば、アルの住んでいた村のように、何百何千という犠牲者が出たりするケースもある。
ジニーやルーナも、ゴレイムによって両親を失っている。
どうして死んだのかもまるで分からないままに。
「そんな悲劇は、もうたくさんですわね」
人型のパンの手をちぎって、口に放り込んだ。
「こ、これ食べるの?」
「アル、それは生き物ではなくってよ……」
新たなかわいい一面を見せているメイドに癒されながらも、ヴェーセルは視線をフィリップ達から切らさなかった。
◇◇◇
ここまで読んでくださってありがとうございます。
「おもしろい」「続きが気になる」と思ったら評価☆☆☆をお願いします。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます