第15話 私のとるべき道   


       🌊 


 まだ、殿下の手の温もりが残っている気がする⋯⋯


 自分の研究室を持たない私は、教官用の研究棟の殿下の研究室を辞した後、最上級生用の学舎のエリアにあるカフェテリアに来ていた。

 クレディオスとの魔法論を行わなくなって以降、私は他の人とは研究を共有しなかったので専用の研究室を持たず、図書館で古書や先達の書き記した魔道書などを研究していた。


 最後、殿下のもとを辞する前に、家庭のこと、魔法のこと、進路のこと、何でも、相談する相手がいないなら、自分でよければ聞くから、話して欲しいと、手を取り優しい声で気づかっていただいた。


 他の人にいきなり手を取られたら、驚くしゾッとするかおぞましさに手を引っ込めてしまったり、或いはルヴィラで攻撃をしていたかもしれない。

 公爵令嬢である私の手を許可なく取る人や前触れなく突然近づく男性はいない。

 父も私には触れてこない。頭を撫でてくれたり寒い夜に抱き締めてくれたり、子供の頃も抱き上げてくれたりもしなかった。

 クレディオスは、結婚まではと節度ある距離感を保っていたし、エミリアと親しくなってからは、それまで以上に距離を取っていた。


 だから、男性との接触には慣れていない。


 でも、崖から救い上げてくれた時も、馬車の中で手を取って励まされた時も、先ほど気遣っていただいた時も、驚いたし居たたまれないような居心地の悪さがあっても、嫌な気分にはならなかった。


 彼は、何が違うのだろう。


 王族──第二王子殿下だから、尊い方で、先の災害の勇、魔法士学校の生徒代表委員長で皆の目標でもある。


 それ以上の関わりはない。今のところ。




 落ち着きたくてハーブティーを飲んでみたけれど落ち着かず、諦めて図書館に行って魔道書を眺めても何も閃かないし、なにより内容が頭に入らない。


 今日はもう無理だと思い、迎えに来ると言っていたヘンリッキには申し訳ないけれど、今日はもう帰ろう。


 なんとなく広げていた書籍をまとめ、カフェテリアを後にした。





 学生用乗合馬車で貴族屋敷街まで戻り、三カ所ある停留所の中で一番アァルトネン邸に近い場所で降りる。


 正門ではなく、もちろん使用人用の通用口でもなく、屋敷でお茶会を開いたときに使う、庭に面した飾りフェンスに設えられた鋳物の門扉から入る。

 庭師や警備の騎士も心得たもので、突然そんなところから帰宅する令嬢を、誰も咎めない。

 騎士は黙って門扉を開き、私が通り過ぎたら閉めるだけ。

 庭師はにこやかにお帰りなさいと、鐔広の帽子を取って挨拶をする。


 子供の頃、お母さまのお好きだった矢車菊を何色も何種も植えたり、お祖父さまのお好きだったハイデ(エリカ)の花の世話をする時に、仲よく手伝ってもらった庭師は、屋敷の中でも雇い主側と使用人の立場に気後れすることなく声をかけてくれる数少ない人だ。


「お嬢さま。矢車菊はもうすぐ終わりですが、いっぱい咲いてますから、お部屋にお持ちしましょう。ハイデも」

「ありがとう。いつも丁寧に世話をして、綺麗に咲かせてくれるから、お母さまもお祖父さまも、きっと喜んでるわ」

「勿体ないお言葉。儂は、これが仕事でございますから」


 そのまま、お茶会などに使う薔薇園や芝生は避け、母や祖父の花を植えている小庭から自室へ戻る。


 私の部屋を過ごしやすいよう調えてくれるメイド達が私に気づき、庭に面するテラスの扉を開けてくれる。


「お帰りなさいませ、お嬢さま」

「今日は、ちょっと早く帰ってしまったの。迎えに来ると言っていたヘンリッキには申し訳ないと、明日、またお願いすると伝えておいてちょうだい」

「かしこまりました」


 部屋の空気の入れ換えや、いつでもお茶を淹れられる準備をするメイドを残し、侍女が伝言を伝えに行く。


 体調不良というほどではないけれど気が晴れないので少し休みたいとメイドを下がらせ、ソファに沈み込んだ。


 義母や妹に会いたくなくて庭から帰るのは初めてではない。

 だから、誰も何も言わないし何も訊かない。


 私の部屋や、部屋の前庭には精霊たちがたくさん居て、ソファに沈む私のまわりを飛び回って元気づけようとしてくれる。


「ありがとう、あなた達。大丈夫よ。もう、腕や首をヽヽヽヽ切ったりヽヽヽヽ浴槽にヽヽヽ沈んだりヽヽヽヽしないから」


 目を閉じて、殿下の気遣う言葉を反芻したり、セオ従兄にいさまの言葉を思い出したりする。


 私に精霊魔法を教えて欲しいと請われた。

 私と、共同魔法の研究をしたいと申し出られた。

 誰にも言えない悩みや不安なことがあれば、相談にのると、手を取って力づけられた。

 クレディオス様と無理して魔法を語るより、殿下の研究を手伝う方が有意義だと言われた。


 ──私は、どうするべきなのだろう


 殿下の申し出を受けるのは、父の自尊心やコンプレックスに障るだろう。それは、益々、自分の家に居づらくなると思われる。

 けど、殿下は、私のために宿舎を用意するとまで言ってくださった。


 そうしたら、エミリアと睦まじく過ごすクレディオス様を見なくて済むだろう。


 殿下の申し出を蹴る。それは、不敬になるのだろうか。

 父の心持ちは刺激しないかもしれないけれど、アァルトネン公爵家としてはどちらが良いのか。


 本当に、私が殿下の研究の助けになるのだろうか。


 エミリアは、クレディオス様と婚姻するとしたら、この屋敷で暮らすの? クレディオス様やアーヴィッコ侯爵家が、エミリアとの新居を用意するの?


 ここで暮らすのなら、私の存在は、息苦しさを感じる元であったり、目障りだろう。

 私は、アァルトネン血族の後継を残すはらとしての役目も、妹エミリアに奪われたのだろうか。


 だったら、成人後この屋敷に残りたくはない。


 でも、お祖父さまやお母さまの残した財産や魔道書を置いていきたくない。


 私は、どうするべきなのだろう。中々答えの出ない、解決策の見えない問題を抱え、深く息を吐き出している内に、いつの間にか眠りに落ちていた。


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