刻まれた痕


 モルンが丸くなっている。

 そばに置いておいた羊の肉をほぐしたものや水の器を、新しくしてやる。手をつけた跡はなかった。目を覚ます様子もないので、僕はひとり外出した。



「木札の見習いか。こいつはオルテッサの街だけのものだな。ここでは使えん。登録しなおしな」


 クローパニの街には冒険者ノ工舎はある。建物の裏に訓練を行う場所があり、使うには工舎に再登録が必要だった。


「よし、これで訓練場を使ってもいいぞ。短杖と剣か。魔法もちょっとは使えるのか? しっかりやりな」




 裏の訓練場を見てまわる。猫たちが宿からずっと遠巻きにして、僕についてきている。


 盛土の前に的となる丸太が立っているところでは、弓を練習する者たち。ひとり槍をふるっている者、木剣で打ち合う者たち。それぞれが熱心に訓練している。

 みんな体のどこかを怪我していて、血で汚れた包帯を巻いている。


 僕は弓のとなり、空いている場所に立ち、短杖を丸太の的にむける。短く詠唱し、氷の槍を放つ。


 こつん。


 槍にならない小さな氷がゆっくり飛んで、的にあたって跳ね返ってしまった。


「……刺さらない。速度が遅い。魔力量は?」


 ブツブツつぶやきながら何度か放ったが、的まで届かないものもあり、一本も刺さらなかった。


「おいおい、あの小僧。魔法が使えるのか?」

「けどあれじゃな。角ネズミも仕留められねえぜ」

「お、いい短杖使ってんじゃねえか。でもなぁ、魔法は全然ダメだな」


 後ろから冒険者たちの声が聞こえてくる。


「……ほんとにそうだ。これじゃあもう魔術師と名乗れない。どうして!」



 僕は、改めて短杖をかまえ、火魔法を詠唱する。

 小さな小さな火弾が、へろへろと飛んで的の手前で地面に落ちて「じゅっ」と消えた。


「ヒャハッハッハッ。まあ、見習いぐらいにはなれるんじゃねえか?」

「あいつの歳じゃあ無理かもな。見習いってもっと幼いんだろ?」

「だけどよ、発動できるだけましだって。俺らにゃできねえからな」

「そうは言ってもよぉ……」


 何発か火弾をはなつ。

 的に届くものもあったが、「ぱち」と音を立てて微かに跡がつくだけだった。僕はガックリと肩を落として、的の列から離れた。


「……もう魔力がない。」




 広くなった場所で剣を抜く。キアーラに教わった型をゆっくりとなぞる。速度を上げて素振りをし、仮想敵と戦う。


「……くっ! 動きが悪い!」


 体が大きくなったことで、以前の動きができなくなった。剣の返しも、剣速も、足さばきも、ぎこちなく感じる。

 先ほど僕を批評した冒険者たちが遠巻きに見ていて、また声が聞こえてくる。


「一応は使えるみたいだがなぁ」

「ああ、だが、どうしてああもギクシャクしてるのか」

「パーティーの新人候補としては、ちょっとつらいか?」

「だな。訓練してやる時間はないからな。荷物持ちぐらいか」


 僕はなおも剣をふるい続けたが、思ったようには体が動かず、汗まみれになって腰を落とした。荒い息で剣をじっと見つめていた。


 ボサボサの髪、尖った鼻、キツネに似た顔の男が、口元を歪めて僕を見ていたのに気がつかなかった。この頃から目をつけられていたと知るのは、もっと後のこと。




 宿に戻ると、モルンはまだ目覚めていなかった。

 丸くなった背をゆっくりと撫でる。規則的な寝息をして、前足で顔を覆っている。


「……魔法が使えない……体も動かない。オルテッサの街に戻ったほうがいいのか? それともガエタノに相談したほうが……」


 モルンを撫でながら、思いが乱れる。ふと気がつくと、モルンが目を開けてじっと僕を見つめていた。


「起きた? 目が覚めたかい?」


 ゆっくりと体を起こしたモルンは、目がいつもと違っている。部屋は陽の光が差し込んで明るい。細長くなるはずの瞳孔が、丸く大きく開いていた。


『テオ』


 その声はモルンのものだが、太く低い声がまじる。


「え?」

『テオ。両の手のひらを、こちらに向けなさい』

「モルン?」

『さぁ』


 僕は両腕を伸ばし、手のひらを差しだした。


ときが満ちた。与えよう。受け取るがいい』


 そう言うとモルンは両の前足を僕の前腕におき、爪をたてた。両前足が光りだす。


「痛っ!」

『我慢して』


 引っ込めようとする腕に前足の力がかかる。


『耐えなさい。腕を動かさずに』


 モルンの前足が爪を立てたままゆっくりと引かれる。痛みに反して血がでないが、爪痕がおぼろに光りだす。僕の指先まで十本の光る筋が刻まれた。


『我らを導きたまえ』


 そう言うと、モルンはそのまま崩れるように横になる。

 僕は、寝台に倒れこんだ。

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