追いかけっこ


 ブリ婆さんが鼻をスンスンいわせてから、僕をにらんだ。


「テオ、今日はいつもより臭うよ。魚運びした後は体を洗いなっていってるだろう。井戸で洗っておいで」

「あら、私たちかしら。魚運びをお手伝いしたからね。うーん、テオ、まだ動ける? 剣の訓練をしてから、水浴びすることにしましょう」



 裏庭にみんなで出て、僕はモルンを肩から下ろした。


「武器を使う第一のコツはね、相手より速く動くことよ。十歳ではまだまだ体が出来ていないから、重い剣の訓練より体を作ることを目標にするわ。テオ、モルンを捕まえて。モルン、テオに捕まえられないように逃げて」


 キアーラの合図で追いかけっこが始まった。


 モルンがパッと駆けだした。僕が追いかけて走りだす。

 裏庭いっぱいを使って、モルンが走る。追いつかれそうになると、樽や木箱に向かう。衝突しそうになり、木箱を蹴って方向を変えた。


「くっ!」


 不意をつかれ転んだ僕は、急いで起き上がりモルンを追いかける。

 モルンは、地面を走りながら、後足を踏んばって方向転換。

 僕がまた転ぶ。立ち上がって、なんとかモルンを追う。

 モルンの速度が落ちてきて、僕が両腕を広げて、モルンにせまる。


 あと少しで、モルンが捕まりそうになった時、キアーラが声をかけた。


「そこまで! 止まって! 休憩!」


 ふたりとも荒い息をしている。


「あとちょっとだったのに!」



 キアーラが僕の文句を聞き流し、モルンを呼んだ。


「テオは息を整えててね。モルン、ちょっとこっちに来て、この樽の上に座って。テオは向こうに行って、話を聞かないようにね」


 ちょこんと樽に座ったモルンに、キアーラが、なにやら身振り手振りを交えて話している。



「では再開しましょうか。モルン、言った通りに動いてみてね。始め!」


 僕が走ってくると、モルンは、先ほどとはちがう動きをした。


 捕まえようとする手を、ぎりぎりでサッと横によけて、僕を見あげる。

 さっきは庭いっぱいに走り回って逃げたが、今度はよけた後に止まって、僕を待ち構えている。

 僕は踏み込んで、横からモルンのお腹をすくい上げようとする。ピョンと手の届かないところに下がるモルン。

 それからは走って逃げずに、僕が手を伸ばすたびにスルッと身をかわした。何度もかわされた所で、キアーラの声が飛んでくる。


「テオ! 体勢が高い! 棒立ちで腰を曲げただけではだめ! 腰を悪くする! 膝を軽く曲げ腰を落として!」


 僕はいわれた通りの格好をして、モルンに飛びかかる。


「モルンの動きをよく見る! 相手がどっちに動くか、予測して!」


 段々と僕はモルンの動きに慣れてきた。モルンがかわす先へと、ついていくようになる。


「テオ! もっと小刻みに左右に動いて、相手を迷わせて!」


 両腕をゆるく広げ、低い体勢で左右に動き、モルンを樽のところまで追いつめた。

 モルンが僕の伸ばした手をかわして、低い姿勢から、パッと前に飛ぶ。身をおどらせて僕の肩に乗り、背中を駆けおりた。


「ああ!」


 僕は悔しくて声を上げながら、あわてて振り返った。モルンは、トットッと僕から距離を取り、うずくまる。

 僕が迫ると、モルンは大きく両前足を広げて、顔めがけて逆襲してきた。


「わっ!」


 思わず腕をあげて顔を下げると、モルンは僕の頭を踏んで背後に飛んでいく。


「そこまで!」


 キアーラの合図で訓練を終える。

 結局、僕は一度もモルンを捕まえられなかった。僕は荒い息をしていて、モルンは、てちてちと毛づくろいを始めた。


「どうだった、テオ?」

「くー。ちょこまかと。ちっちゃいのに、動きが速い」

「ちっちゃい、いうな!」


 モルンの文句に、僕とキアーラが声を上げて笑った。



「さあ、今日はこれで終了ね。パエーゼ、どう思った?」

「テオはよくついていったけれど。でも、これが、子猫を追いかけるのが、剣の訓練とは思えません」

「ふふふ、若いのに頭が固いのね。みんな剣の訓練というと、剣の使い方を思い浮かべる。でも大事なのはそこじゃなくて、体の使い方を覚えることなの。魔術師にも必要なことよ。特に相手と戦う時にはね」

「相手と?」

「赤珠に充填したり、結界構築だけが魔術師の仕事じゃない。いざとなれば人を守るために戦わなくてはならない。そのための引き出しは多い方がいい。ガエタノは剣は不得意と言ったけど、自分は剣士じゃないって意味。そこらの兵士よりも使えるのよ。戦場では突っ立って詠唱する余裕なんかない。剣士と同じように、動き回りながら魔法を使うのよ」

「戦場ですか? 戦争はないでしょう?」

「戦争が、絶対に起こらないなんて誰にもいえない。仲の良いはずの隣国が、侵略してくることもある」

「え? でも隣国は王妃陛下の生国で」

「だからこそよ。……現に、北方の国では貴族たちの内乱で、戦いが起こっている。備えとは、最悪のことを予想することよ。想定していませんでした、なんて、自分が死ぬ時に言ってもなんの意味もない。戦争だけじゃない、魔物の大暴走も起こらないとは限らないしね」

「しかし」

「自分にできる全てのことをやっていく。力を尽くして生きていく。それが大切なのよ」

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