捕まりました -The Real World-
井荻のあたり
第1話 捕まりました
いろいろまずい条件が重なったのだということはわかっています。
初めて行ったヨーロッパ。ドーバー海峡を渡ったところで、捕まりました。
1993年。二十六歳の頃でした。
海外放浪を続けていたぼくは、たとえバブルがはじけたとはいえ、出稼ぎ気分でポンっとお金を稼げるつもりで、数年ぶりに日本へ帰国したのです。
まったく甘く考えて、沖縄やら九州、四国をふらふらしながら職探しをしましたが、まぁちょいちょい仕事にありつき日銭を稼いではいたものの、いまいち所持金は減る一方で、精神の持って行き所を間違えた日は、途方にくれてあえぐ夜もありました。そろそろ手持ちは、十五万円を切っていました。
でもまだ、もう何ヶ月間とかしのいでいられれば、きっと日本経済は復活する、だって日本だもんね、割のいい仕事がいくらでも見つかるさ、とバブルを経験したからこその、根拠のない信頼を日本経済に寄せていました。←(まさか三十年も続くとは……)
とはいえ、取りあえずの先が読めません。住みかも無い、仕事も無い、で十五万でどこまでもつのか。バブルの余韻残る物価高の日本では、“すぐにジリ貧”は見えていました。
安く時間をつぶせる方法、何か無いか。安いとこ、安いとこ……、て、安いといったらアジアじゃね? そうだ、日本経済が復活するまで、しばしの間、アジアに冒険の旅に出ようじゃないか。
そうしてぼくは神戸港に向かい、船賃三万円で中国は天津行きのフェリーに乗ったのです。
天津から北京、北京から西安と、大陸を奥地へ奥地へ向かいます。
西安の外国人用ホテルで、ネパールとの国境、チベットから自転車で走ってきたというアメリカ人青年二人と同室になりました。誘われて、ぼくも西安の城壁西門路上マーケットで「こいつ、動くぞ」と呟きながら白いマウンテンバイクを買い、しかし、場所的に長安(西安)城壁西門ですから、内と外の違いはあれど、ほぼドンピシャの”獣のチャリ”と名を付けて、二人と一緒に北京まで走って帰りました。
途中、外国人入域禁止区域をかわすために貨物列車に乗ったら、自転車込みでたったの百五十円だったから、ほんの数駅のつもりだったのに、半日以上かかるとんでもなく遠くの町まで行ってしまい(というのも当時の日本円換算百五十円と言ったら、中国の工場で八時間働いた時の平均日当よりも上だったのかも知れません)、ルートを大きく外れてしまったので、仕方なく揚子江まで南下して、例の武漢(!)から漢口まで、まる三日間フェリーに揺られたりもしました(三等寝台で七百円)。
でもそれを除けば毎日平均百五十キロ、実走距離にして三千キロも走って帰りました。
一緒に走ったアメリカ人たちは、そのままシベリア鉄道に乗ってロシアに行くと言っています。でもぼくはもう所持金も心もとなくなってきたので、北京では日本行きの船の切符を買いに行きました。来るときは三万円でしたが、帰りの船賃は二千元。日本円換算で二万円です。
切符を頼んで待っている間に、アメリカ人たちが乗ると言っていた列車の番号が、同じ窓口の黒板に書いてあることに気がつきました。彼らはシベリア鉄道だと言っていましたが、実際はトランスシベリアではなくトランスモンゴリア。つまりモンゴル縦断のモスクワ行きで、北京-モスクワを結ぶ最短ルート。値段は日本行きの船と同じく二万円。
なんとなく「その鉄道の切符、まだありますか?」と聞いたら、服務員は「ホラよ」と、船の切符ではなく、列車の切符を投げてよこしました。
え……じゃ……、これでいいや。
それでね、モスクワに行ってしまったのです。モスクワはエリツィン大統領が出てきて三年目の、ロシア新憲法をめぐって、もうまるでさながら戦争前夜、内戦勃発寸前のものすごい緊張感で、恐ろしいほど殺気に満ち満ちて、思わずむせ返ってしまうほどでした。誰もが戦争になるとわかっています。実際、その後、議会派勢力が立てこもり、新大統領を打ち立てたロシア最高会議ビルは、どてっぱらに戦車の砲撃で大穴が開いたものでした。
まぁそんな戦場一歩手前の混乱からぼくは、ぼくをトランスモンゴリアの車中で見かけたと言い「お前、死ぬぞ」と話しかけてきたポーランド人青年の助けもあって、まるで「さよなら銀河鉄道999」の鉄郎よろしく、命からがら国際列車に飛び乗って、ウクライナに脱出することができました。そのままポーランドの首都ワルシャワに到着すると、なんとワルシャワ発の長距離バスには、行き先がロンドンのものがあったのです。
おお~っ、西側の響きロンドン!
英国までたどり着けたなら、ぼくはここで死なずに済むかもしれません。はっきり言って、一秒でも気を抜いたら死ぬ! 死ぬぞ! 一秒たりとも……! と自らを叱咤し続けた、二十四時間全集中(の呼吸)を強いられたモスクワでの極限状態、一瞬が、一秒が、というレベルからは格段にゆるくなっていたとはいえ、いつアウトになるかわからん、という切羽詰った状況であることに、まだまだ疑いの余地はなかったのです。
ロンドン行きのバスに乗ることで、ようやく生きた心地がしてきました。ドイツやフランスを通過したはずですが、バスはまるで停車することなく、あれよあれよという間にバスごとフェリーに乗り込んで、ドーバー海峡を越えました。
イギリスの港に着くと、そこで初めてパスポートチェックがありました。全員一度バスから降りて、荷物も持って、イギリスの入国審査を受けるのです。
「渡航の目的は何ですか」
「観光です」
ここまでの過酷な旅程で、ぼくはいかにも疲れきり、みすぼらしい格好だったのだと思います。
「ふーん。出国用のチケットと所持金を見せてください」
旧ソ連の小額紙幣と、あと日本のお札で二万円。それがそのときの全財産でした。出国用のチケットはもちろん、クレジットカードもありません。
「いや、今はこれしかないけど、実は親がロンドンの銀行にお金を送ってくれているから、それを取りに行かなくちゃならないんです」 ウソだけど。
「だめ。信用できません」
まじかーっ。
ロンドン行きバスの乗客からは、ぼくともう一人、手ぶらの白人のおじさんが入国審査をパスできなかったと、様子を見に来たバスのコンダクターのお姉さんに告げられました。
イヌイットの氷の家「イグルー」を石で再現したような、あるいは円形闘技場のようにも見える窓の無い大部屋に、今度のフェリーで渡ってきたぼくたち入国拒否られ組が集められました。けっこうな人数がいたと思います。
ぼくを連れてきた入国審査官たちが、難民みたいだった他の人たちとは明らかに毛色の違うぼくについて話しています。
「あれ? 彼は何だい?」
「日本人だってよ。でもキャッシュをろくに持ってないのよ」
「言葉は?」
「英語しゃべるよ」
「ああ、ふーん、そりゃあ、だめかな」
そうかぁ。察するに、英語をしゃべれるところを見せてしまったのが失敗でした。銀行に金が振り込まれていると言った嘘を見透かされたというよりも、金を持っていない × 英語をしゃべれる=不法労働をする可能性が高い、つまり「犯罪者予備軍」である、と判断されてしまったのだと思います。だって普通、日本人なら金があることを疑われないし、言葉なんか全然しゃべれないから、金をじゃぶじゃぶ落としていく以外何にもできっこない、と思われているものだからです。
失敗したー。ぽけーっとして、何を聞かれても、おどおどしてYesYesと言っていたなら、もしかして呆れて通してくれてたのかもしれません(猿岩石だって入国してるし)。
続いて、ぼくだけ警察官に引き渡されて、港湾警察の交番のような事務所に連れて行かれました。制服のおまわりさんはとても優しく、何も聞かず、にこにこと笑って紅茶を入れてくれました。おお、さすが紳士の国。これがイングリッシュティーというやつですか。
「お茶持って二階に上がってな。ソファーとテレビと有るから、くつろいでいるといいよ」
振り返ると背後に階段があり、上り始めたら後ろでガシャーンと鉄格子が閉まりました。
これ……、留置所じゃん!
二階に上がると、確かにソファーとテレビと有りましたけど、相撲取りみたいに巨大な若い黒人の男がでーんと座っていたのです。しばらくするとまたガシャーンと音がして、巨大な黒人がもう一人、ドスドスとこの留置部屋に上がってきました。二人はソファーでしゃべり始めましたが、たぶんフランス語なので、ぼくにはさっぱりわかりません。
お茶をもらったのはぼくだけみたいで、ティーカップ持って立ち尽くして、あわわあわわわ……、居場所ねー。
こ、このままお泊り? 途方にくれていると、おまわりさんが階下でぼくを呼びました。ふー、助かったぁ。
「君ね、強制送還が決まったからね、フランスに」
え、フ、フランスって……何でぇ!?
「あの、それなら日本に送って欲しいんですけど。後でちゃんとお金払うし」
「直前に通った国に受け入れ義務があるんだよ。もう有り金全部使っちゃってから来たらだめだぞー」
おまわりさんは最後までにっこにこで、パトカーでぼくをフェリーまで送ってくれました(護送)。
フランス行きのフェリーが出航すると、すぐに警察に没収されていたパスポートをカウンターで返してくれました。英国入管のスタンプに、ボールペンで何枚も下に跡が付いているほど、がっつりと入国拒否の十字マークを書かれていました。そしてそのまま船内ではもう自由。
フランス側の港カレーでは、入国審査も何もなしに、普通に国内移動のごとく皆さん下船していきます。え、でも、せめてパスポートに入国のスタンプとか押さないの? このままではフランスを出るとき、密入国の疑いを掛けられたりするのでは? 一生懸命説明するも、(当時の)フランス側では英語がまるで通じません。
ぜんぜん理解してもらえず、困り果てた船員に指差された建物に行くと、そこはフランス側の港湾警察でした。そこでもやっぱり話が通じず、スタンプスタンプと懇願するぼくのパスポートに、「やれやれ」と困ったおまわりさんが押してくれたのは警察のスタンプ!
不法入国者ではないという証に入管のスタンプが欲しかったのに、なんかパスポートにはあるまじき、Policeなんてスタンプを押されちゃったよ。これ……まじかー。
ますます怪しいパスポートになっちゃいました。どうすんの? これ、もう、どうすんのよ。
とにかくパリだ、と思いました。このままではあっという間に、にっちもさっちもいかなくなります。まだ二万円持ってるうちに、フランスの首都パリを目指して、ぼくは走り出したのです。
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