黒い首 白い首

燦月夜宵

第1話●むかしばなし

 これは昔むかしの話。魔界に住む、とある魔神のお話だ。


 魔界に生きる悪魔や魔族の中には、特出した魔力を有する魔神と呼ばれる種族がいた。魔神たちは良くも悪くも力を奮い、求められる願いを叶えることができた。そんな魔神たちは自分達に比べて短命で、しかし欲望に満ちて生き抜く人間が好きだった。

 人間という生き物は知能と感情を持ち合わせた短い生であっても、どの命あるものより欲望に底が無い。生き様は前向きにも後ろ向きにもなり、他者の介入によっても大きく分岐する。

 招かれた魔神たちは皆、求めに応じて魔力を存分に振る舞った。振る舞われた側は富や名声、望むものを得たあと――飽きられると少なからず屠られることもあった。悪魔は望みのために魂を対価として契約を結ぶが、魔神は契約を結ばずに願いを叶える。代償を必要としない反面、飽きたり気に入らなければ食い、殺しされもする。

 ていのいい玩具。暇潰しの浪費相手。魔神にとって人間とはつがえば生まれ、死んでも増えていく有象無象でしかない。

 そんな魔神のなかに、少し変わり者がいた。彼も人に願いを叶えさせるのが好きだった。歪んだ愛玩として認識は他の一族と同じだが、彼は他よりさらに魔力の無尽蔵さに特出しており、与えすぎる傾向があった。与えて肥大した人間の変貌を見届け、一方で壊れていく様を見るのも愉しみとしていた。

 召喚されれば毎回魔力を湯水のように使い、邪悪にも優雅に人へと応えた。誰よりも望みをもたらす力は大きく、故に呼び出す労力も比例した。それでも様々求められるのは当然だったと言えよう。

 よく思わないのは、他の魔神たちだ。あれでは我らの糧も取られてしまう。独占は許さない。人も無尽蔵に生まれるが、彼以外の魔族の魔力は有限だ。後ろ指を刺された魔神は遂に魔界の理を統べる長から外界の召喚に制限を受けた。

 簡単な節制だ。全て召喚できないようにすればいい。魔法には魔力の容れ物になる肉体の安定が必要になる。強い魔力を持っていても、顕現する体が小さければ必要以上の魔法は扱えない。魔神は召喚されても体の一部分しか出せなくなった。

 手だけ。足だけ。目だけ。ツノだけ。それでも人は彼を求め、彼は人に応えた。だがいつしか『欠片の魔神』としての特徴だけが広まり、中途半端な力しか持たないハズレの召喚だと伝えられた。

 魔神本来の姿や能力は噂の片隅に追いやられ、そのうち誰もその魔神を召喚しなくなった。


  ◇  ◆  ◇


「――かくして。魔神の名は世から忘れられた。ごく僅かな真実の伝承や、魔術書の中の小さな記述として語られるのみとなった。しかし彼が受けた節制には間違いがある」

 古びた応接間に灯していた明かりが消えていた。埃だらけのテーブルに置かれた蝋燭も、錆びた燭台もだった。

 声が響くのは隙間風が吹く洋館の一室だ。人に忘れられて何十年が経過しており、強く足を下ろせば踏み抜けるまで腐食した床には魔法陣が描かれている。

 円と文字が幾何学的に混ぜ合わされた図の中央で、手を組んだ少女が宙を見上げていた。覚えさせられた呪文を唱えた唇は薄く開いたまま、それ以上を紡ぐのを放棄する。左右で違う色を持った双眸が声のする方向を見て、今は同じ驚きに染まっていた。

 側に立つ男たちも手元のランプが消えたことに気づかず、全員が視線を一点に集中していた。見開かれた目には驚愕もあったが、少女と違い、高揚が沸き上がっている。瞳の底で期待と恐怖、果てしない欲望が渦巻いていた。

 言葉を発していない彼らとは別の声が言葉を滑らかに紡いでいく。

「ひとつ。彼は一部分でも十分に魔力を発揮する。自然に満ちている魔力を、我がものとして扱えるからだ」

 深いまろやかなテノールだ。紳士めいた礼儀正しさと、不敵な雰囲気を漂わせている。消えたはずの明かりが徐々に勢いを取り戻していた。

 視線を注がれる空中で、何かが反射している。水晶のように青く透き通った、複雑に枝分かれした四本のツノだった。ツノとわかったのは、人の頭ほどある大きさの球体の側面に生えていたからだ。上に向かって長いもの、下に向かって短いものが左右対称に伸びている。

「ひとつ。彼が魔力をコントロールするのはツノだ。それ以外の部分だけが出された状態では、いくら自身でも容易ではない。残念だが上手く応じることができなかった」

 重力に逆らって浮く球体は黒い。つるりとした卵形だ。縦に大きな亀裂が中央に走った表層は割られかけた茹で卵と言っても、過言ではないだろう。

「ひとつ。召喚できる部位は無作為だ。どこを召喚できるかは相手と、その機会によって異なる。つまり、」

 縦に入っていた亀裂が割れ、表皮よりも暗い闇が覗いた。その瞬間、やっと誰かが叫んだ。

 漆黒の隙間には金に輝く二つの目玉があり、ぎょろりと人間を見下ろしていた。

「おめでとう。首を召喚した者は、私の総てを得たに値するだろう」

 とある魔神の顛末を語っていたのは、その本人である生首だ。一人の叫びを皮切りにして、男たちは興奮のまま口々にどよめく。

 まじか。本当だった。本物の古文書だ。盗んできたのは俺だぞ。やったな。コレも用意したかいがあった。生け贄様々だな。

 讃え合っている内容は酷くきな臭い。魔神の審美眼では彼らは魔力の欠片も保有していなかった。

 では。本命は此方か。一応は無い耳を傾けつつも、未だ座り込む少女に話しかける。

「召喚者は……君かね、少女よ」

 音もなくゆっくりと降りてきた生首に、少女は怯えながらも素直に頷いた。呼び出せる魔力を秘めた人間を見るため、魔神は側にあった蝋燭を浮かせて照らした。

 畏怖によって動かせない瞳が持つ色に、彼は驚いた。

 右には夕闇の紫。左には白昼の水色。しかも奥底には溢れる魔力が星影のように輝いている。

「これはこれは【異双色】オッドアイに【星纏い】とは恐れ入った。確かに首を引き当てる力がある」

 誘拐されたか。そもそも迫害されていたか。どのようにして此処にいるのか。彼女の出生や経緯は問題ではない。むしろどうでもいい。魔神は少女が秘めたる才能の魅力に感動し、素直に一目惚れしていた。

「さあ、少女よ。汝の願いを言いたまえ。敬意を持ってして全身全霊を込めて尽くし、ありとあらゆる望みに応えよう」

「おい!? 待てよ! 話が違うだろ!!」

 異形の異種が放つ丁寧で物腰優しい言葉に反応したのは少女ではなく、男たちだった。

 座ったままの少女を魔神の前で乱暴に蹴り飛ばすと、声を荒げて双方の間に割り込んだ。少女の掌がささくれる床を擦る。魔法陣は血で擦れ、同じく役目を終わらされた。

「何勝手に決めてやがる。お前は召喚されたんだぞ!?」

「ガキはくれてやってもいいが、俺たちの願いを叶えろ」

「誰も相手にしないお前をわざわざ探して、呼ぶ場を整えたのはこっちだ。対価ってもんを知らないのかよ!」

「役立たずじゃねーんだろ! 魔神ならさっさと仕事しやがれ!!」

 次々と異口同音に飛び出す罵詈雑言は、やはり少しも魔神に響かなかった。裂け目の目玉は倒された少女だけを見ている。鈍い動作で倒れた身を起こし、虚無に慣れた瞳で場の成り行きを待っていた。

 従属に染まった憐れな姿でも、瞳に散る星は強い煌めきを失っていない。暴言を吐き続ける人間と荒れ果てた屋敷が織りなす薄汚い世界で唯一、魔神の目には麗しく映る。

 少女もおそらく似た感情を抱いていると魔神は直感していた。

 この男たちよりは、お互いはまとも。

 見つめ合う眼差しは、見えない引力で繋がっているとも示唆している。与えられた時間に終わりがなければ、魔神はずっと少女の答えを待っていられただろう。しかし待っていたくとも、不幸なことに今は意味のない雑音を喚く害獣がいる。

「騒がしい」

 ため息を堪えた魔神は呟く。目の瞳孔が縦に細まった瞬間、再び場には静寂が戻った。雑音の根源は消えていた。元から場には少女と魔神しかいなかったように、以外の人影は消失した。埃のひとつすら許されなかった者がどこに消えたか、魔神は歯牙にもかけない。

 どんな次元に飛ばされて、いかに捻れた物体になろうが、一切どうでもいいのだ。

 男たちは魔神がどういった存在か理解していないかった。願いを叶える行為を彼らは『仕事』といった。召喚に応じた『対価』といった。それは間違いだ。

 魔神は人智で図る相手ではない。人の望みを成就させるための、都合のいい存在ではない。欲望を娯楽として見ている、尺度の異なる種族である。

「これで聞こえやすい。大丈夫かね、少女よ」

 距離を詰めてくる異形の生首に少女はまた頷いた。魔神のツノが青く淡く光ると、蹴られた箇所の痛みが引いていく。擦り剥いた掌の傷も綺麗に消えていた。

「……ありがとう」小さな唇から戸惑いながら紡がれた礼に魔神は満足げに目を、罅を細める。笑っていた。浮遊する首に笑顔を感じられる程度には、此処に連行した野蛮な輩よりも友好的だと少女は思った。

 危害を加える様子もない。現時点では味方である安堵が胸のうちで芽生えていた。

 怖い。けれど、優しい。今の私なら、彼は何よりも信じていい。

 少女は立ち上がり、みすぼらしい衣服を払って魔神と対峙する。同じ視線に合わせて浮く魔神に、問いかけた。

「何でもいい?」

「嗚呼。構わない」

「今の願いで、いいの?」

「思うものを口にすればいいのだよ。願いは無限に生じる。何も叶うはひとつだけではないのだ。次、その次も可能だ。何を望むのかね?」

 欲するものと言われて、少女ははっきりと答えた。

「家。誰かと一緒に、住める家。あなたでもいい。私と一緒にいてくれる誰かがいる所が欲しい」

 生首を召喚するに至るまで、少女は全てを失っていた。奪われ続けた彼女のなかには荒み渇ききった砂漠が広がっている。失ったものを癒すために、初めに欲したのは頼れる拠り所だった。

 生きる場所。帰るべき場所。迎え入れてくれる場所。

 まずはひとつの願いだけでいい。以外の望みが考えられなくとも、魔神は次があると示してくれた。何をすべきかを見つけるのは、その後でもいいだろう。願いとは満たされるために浮かぶものだ。

 何を望まれるかと悠長に構えていた魔神は少々驚いた。確かに一目惚れはしたが、まさか己が同居相手候補に任命されるとは考えても見なかった。

「いいのかね。首がいても」

 意外な返答に少女は首を傾げた。くすんだ茶色い毛先が顎の近くで微かに揺れる。

「……すぐ戻りたいの?」

「まさか。では素直に甘え、感謝しよう」

 小さく笑う魔神が会釈すると、少女の右腕が自然に上がっていた。魔神の力と思った時には指先が頬らしき部分に触れた。

黒い皮膚は硬くとも指に吸い付く。人よりも低い体温を感じたと同時に、少女の頭にはある単語も浮かび上がる。

「読めただろうか。さあ、好きに呼びたまえ」

 桜色の唇が震える。息を軽く食んで飲み込み、整えられる。

「――エクス」

 少女の目から無数の細かい星が放たれた。光の粒は瞬きながら彼女自身や魔神を包み、覆うように広がっていく。魔力の奔流に呼応して魔神のツノは青い輝きをさらに発光させていった。


「エクス。ここに、私たちの家を」

「喜んで。星の子、ラピス・ラズリ」


 これが始まり。

 デウス・エクス・マキナご都合主義の自由者が人間と初めて約束を交わした、長くて短い一部始終の始まりだった。

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