我々へ

上雲楽

追憶

 かつて私は「我々」の中にいなかった。

 私が「我々」と発することで、「それら」の一員に加わることを希望すると、「それら」は小声で囁きあった。しかしその周波数は私にとって極めて聞き取りやすかった。「それら」の言語を把握するのに長い年月がかかった。「それら」が私について至るところで言及するのが絶えなくなるほどの年月が。

 「それら」の論点は、「それら」の言語を私が知っていることだった。「それら」にとって、「それら」の言葉で「我々」と語ることが「我々」である証拠だった。「我々」の外部は本来存在せず、イレギュラーである私を受け入れることに、倫理的、論理的問題が多かったと推測される。

 私が「それら」の言葉で最初に覚えたのは「何?」だった。それはカンガルーの都市伝説のように発されたのではなく、「それら」が「我々」ではないものを形容する人称を持たなかったことに由来する。未だに私は「それら」の言葉で「我々」と発することができないが、発声器官の問題ではない。

 私が「それら」とのコミュニケーションを果たす前、いくつもの人々が「それら」との物理的接触が行われ、融合、あるいは分断された。「それら」は特定の周波数で振動する大気中にタンパク質を形成したことで観測された。そのタンパク質は、逆説的だが、物理的接触を果たした人々によって再構築された。物理的接触を果たしたが故に物理的接触が可能になったというトートロジーは「それら」にとっては自明の論理である以前に、「我々」でないものを区別するすべがなかったことが原因だった。

 人々が「それら」の観測される周波数の逆位相の周波数を振動させたとき、「それら」は「何?」を発した。

 それから、「それら」とのコンタクトは進行した。人々は「何?」を知ったことで「それら」の主要な単語、文法を学んだ。そしてある言語学者が「それら」の自己認識機能、「我々」を発したとき、言語学者は恍惚の表情を浮かべて静止し、心肺機能が停止するのも時間はかからなかった。

 この現象は脅威として迎えられ、調査がなされた。最初は初期コンタクトと同様にタンパク質の融合、分断が発生し、大脳新皮質に障害が起きたと考えられた。しかし、増え続ける静止した、死体を含む人々の脳、神経、肉体すべてにいかなる障害も見つからなかった。

 静止の意味の糸口となったのは初期コンタクトによってタンパク質の変容を起こした人々からだった。その人々は決して二人称と三人称を発さなかった。そして母語こそ違えど、一人称は常に多数形として表現されていた。タンパク質の変容が脳に及んだ人々は即死したので、注目は生存者の四肢の奇形にのみ集まっていた。しかし、真に変容していたのは人々の自己認識だった。人々が「我々」と発するとき、「それら」が発生するのと極めて近い周波数が発生し、発声者を含めた周囲の人々に強力な恍惚をもたらした。それは性的なエクスタシーとも似ていたし、トランスに近い状態を与えた。自我の弱い子供や病人はその快楽に耐えきれないのか、目を見開き、よだれを垂らし、力なく倒れ込み、痙攣を起こした。しばらくしてから回復した人々は、その感情は共感と同調と親和を兼ね備えたものであると語り、ある人は愛であったと語った。

 「我々」という認知現象に何か変化が起きていると人々が気がつき始めたころから、「それら」はおそらく「我々」でないものの中でもさらに区別があることに気がついたらしい。

 最初期のコンタクトは大気中にランダムに、それからは逆位相の周波数が発された場所で、そして子供が「我々」と発するところに「それら」は発生した。すぐに事態は認知されたが手遅れだった。子供たちは「我々」の一員であることを自我を揺らがせながら自認し、歓びの中で死んでいった。父母も子供の声を聞き、そして「我々」の中に至ることを知り、感涙にむせぶ。

 一人一人が「我々」になり、「それら」の言葉を知りながら愛に抱かれる。

 どこからともなく「何?」が響きその意味は知れ渡る。

 そして私は私が知る限り最後の私だった。「我々」の概念は理解している。「それら」が「私」を理解していることも知っている。「それら」のさざめきは次第に増幅していった。私は愛を知ることを望んだ。

 「それら」の意志が私を取り囲む。それが許しであり、最後の言葉だった。

 そして今は我々は常に我々として在る。

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