同日、等身大

 その頃の第5支部では、魔力をほとんど使い果たした職員たちが氷の壁に隠れながら朱音のスピーチを聞いていた。


「おい、璃香! しっかりしろ!」


 皆を庇い、あちこちに怪我をした璃香がぐったりと座り込んでいる。その体から、瞬く間に傷跡がなくなっていくのを光は見ていた。クーリャ族の特徴であり、ずっと光が隠していたことだ。驚異的な回復力。例え刺されようと、斬りつけられようと、一瞬で治ってしまう。


(ただ、失った血液まで戻ってるわけじゃねえ……)


 少しでも休ませなくては。敵が朱音の話に聞き入っている間、光は彼女に医療魔法をかけ続けた。その甲斐あってか、璃香はうっすらと目を開けた。小さく掠れた声で問う。


「……朱音、は……?」

「あっち見ろ、始まってる!」

「よ、かった……」


 璃香は僅かに体を動かし、スクリーンが見えるように角度を変えた。ふらつく彼女の体を、光が支える。


 魔法のスクリーンには、普段の魔法衣を纏った朱音が映っていて、必死に演説をしていた。


「私は特別な人間ではありません。特別な魔法師でもありません。ただ、先祖が偉大な人物だった。そのことが嫌で堪らなかったときもあります。偉大な先祖と比べて自分はなんてちっぽけなんだろうと悲観し、伊藤天音を怨んだこともありました」


 聞こえてくるのは、1回目のスピーチとは異なる、等身大の朱音の言葉だった。映されている手元に、原稿はない。ありのままの自分の思いを語っている。


「ですが、私は先祖の思いを知りました。願いを知りました。英雄になりたくて戦った魔導師は、誰もいなかった。私の先祖も、本当は地位や名誉なんていらなかったんです。自由に魔法が学べる、平和な時代を作りたかった。それを知ったからこそ、ただの新人魔法師の私は立ち上がりました。子孫である私が言わなければ、誰にも伝わらないと、そう思ったからです」


 胸を張り、堂々と話す朱音。気づけば、璃香や光もこの場が戦場であったことすら忘れて話を聞いていた。


「……頑張ってるね」


 柚子が、眩しいものを見るようにスクリーンを見つめていた。


「私も、地位や名誉が欲しくてこの場に立ったわけではありません。ただ、魔法狩りがおさまって、先祖が望んだ平和な時代を取り戻したかった。それだけです」


 室内にいる恵美たちにも、この声は届いているはずだ。朱音の心からの叫びが、思いが響いている。


「何度でも言います。私は伊藤天音ではありません。まだ配属されて2ヶ月の新人です。確かに、先祖は私の年で既に魔法考古学省の大臣になりました。ですが、それは、魔法復活という歴史に残る偉大なことをしたという実績があったからです」


 100年前のことを思い出す。柚子にとっての、かけがえのない友人。人間の年齢はあまりわからなかったが、どこかまだ幼いような顔立ちの彼女。


(……懐かしいな。まるで、昨日のことみたいだ……)


 柚子は微笑み、氷の壁に背を預けて目を閉じる。光が慌てたように彼女の肩を揺すった。


「ですが、私は一体何をしたと言えるでしょうか。魔法狩りを止めた? いいえ、皆さんは私が『伊藤天音の子孫』だから私の話を聞いてくださっただけです。結果として、魔法狩りは終わったかもしれませんが、さらなる争いを生んでしまった。罪なき魔法師が襲われ、血を流し、互いに傷つけあうような状況になってしまった。そんな私が、魔法考古学省大臣になるべきでしょうか? 答えは、もちろんNOです」


 朱音はここで息をつき、カメラの向こう――こちらを、じっと見つめた。全国の魔法師に語り掛けるような視線だ。


「伊藤天音を忘れろとは言いません。私の先祖は、確かに立派でした。たった19歳で、この国の魔法を司る立場につき、その役目を全うしました。子孫の私からしても、尊敬すべき人物だと思います。そして……私も、いつかはそうなれたらと、思っています」


 この言葉に、璃香と柚子がピクリと反応した。光も驚いている。まさか、朱音がそんなことを言うなんて、思ってもいなかった。今までの朱音は、仕事は熟すが、言ってしまえばそれだけだった。いつもどこか不満げで、明確な目標を持っていなかったように感じていた。それが、ここまで大きなことを言い出すとは。


「ですが、今の私は大臣になるべきではありません。私は、まだ何も成していない。だからどうか、今はただ、『伊藤朱音』が一人前になるまで、大臣として相応しくなるまで、待っていただけないでしょうか」


 お願いします、と朱音は一礼した。カメラは朱音の小さな頭を映している。


「それまで、どうか……偉大なる魔導師たちが作り上げた平和な時代を、壊さずに守り抜いてほしい。それが、私の心からの願いです。今度こそ、この言葉が伝わることを、願っています」


 そうして、映像は止まり、真っ暗な画面がスクリーンに映し出された。


 辺りはやけに静かだった。さらに攻撃を仕掛けようとしているのか、はたまた朱音の言葉に胸を打たれて退却するのか。前線にいる3人の中では最も軽傷の光が、氷の壁から顔を出した。


「……マジか」


 光は思わずそう口にした。


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