11月21日、支部長の記憶

 幸いにして、昨日は何も事件が起きなかったようだ。戻って来た朱音と入れ替わりに、直が実家に帰っていった。彼は定期的に実家に顔を出している。


「……熱心」


 家から持ち出した本を読んでいると、璃香が静かに近づいてきた。彼女は気配が薄いので、こうして話しかけられるたびに密かに驚いている。


「なんだ、その本」

「あ……家にあったものです。支部にはないものなので、参考になるかと思いまして」

「休みの日まで仕事してんのか」

「気になるので」

「ふうん」


 読んでもいいか?

 光がそう聞いてきたので頷く。調べるために仕方ないこととは言え、高祖母の話をずっと1人で読んでいるのは辛かったのだ。


「ずいぶんあるんだな」

「たくさん」


 璃香も気になるのか、光が読み始めた本を後ろから覗き込んでいる。


「捲って」

「まだ読み終わってねえ」

「遅い」

「文句言うな」


 別の本を読めばいいのでは、というツッコミが喉元まで出かかった。この2人の距離が近いのはいつものことだから気にしてはいけない。


「昨日、どうでした?」

「ここらじゃ何も起きてねえよ」


 本から視線をそらさないまま、光が答えた。後ろで璃香が両手でバツ印を作っている。何もない、のアピールらしい。


「その代わり、地方じゃあちこち騒ぎが起きてるらしいぞ」

「北部、あちこち」


 南部の次は北部か。朱音は脳内の地図に印をつけていく。


 だが、疑問点が残った。何故事件は天音がいた旧第5研究所のこの地ではなく、地方からなのだろう。


 第5研究所にも、北部や南部の研究所出身者がいたからか。はたまた、他に何か理由があるのか。朱音は首を捻った。


「お、やってるね~」

「支部長……」


 昨日のことがあるからか、やって来た柚子を怪しんでしまう。彼女はそのことに気づいていないのか、いつもどおりの間延びした口調で話しかけてくる。


「私は何もしてないのに~、偉~い」

「誰か直呼び戻してきてくれ。コイツぶちのめそう」

「働く、大事」

「うわ~ん、部下が優しくな~い」


 わざとらしい泣き真似をする柚子。その様子を、朱音はじっと見つめていた。


「うん? どうしたの~?」


 見つめていた視線でバレてしまったようだ。朱音は慌てて誤魔化す。


「あ、いえ、ええと、今日はお早いんですね!」

「このあとまた寝るよ~」


 時刻は午前10時。今しがた起きたばかり(今日は休日なのでおかしくないが)だというのにまた寝るのか。この人、いつ起きて仕事しているんだろう。


「最近ますます眠くなってきたんだよね~。寒いからかな」

「そう?」

「璃香は寒さに強いねえ」


 寒さに強い。その言葉に、朱音はつい反応してしまった。柚子と同じく、天音から魔法を授かった人物の候補、クーリャ族のリスティかもしれない。クーリャ族は酷く寒い島に住んでいたと、高祖母の日記に書いてあった。


「鍛え方が足らねえだけだろ」

「脳筋~」


 いや、ただ単に鍛えているだけだ、これ。朱音はひっそりと溜息をついた。日記を読んでから、人を疑いすぎている。これではいけない。彼女たちは共に働く仲間なのだ。


「お、その本、知ってるよ~」


 光が読んでいる本を指さして、柚子は何かを思い出すように宙を見上げた。


「あれだよね~、ちょっと前に書かれて、すぐ教科書に載ったんだっけ?」

「60年くらい前の本じゃねえか、これ……」


 発行年数を確認したのか、光が少し引いた顔をしている。妖精の「ちょっと前」を信じてはいけない。


「光、次」

「もうちょっと待て」


 璃香はマイペースに本を読み続けていた。光よりもずっと速いペースで読んでいるので、毎回ページを捲るように急かしている。


「懐かしいな~、その本。天音ちゃんはずっとそういう本書かれるの恥ずかしがってたよ~」

「俺だって生きてる間にこんなモン書かれたら恥ずかしいわ」

「確かに」

「私もそうですね……」


 自分がそんなものを書かれるとは思えないが、もしそうだったとしたら恥ずかしすぎて断りそうだ。高祖母の場合、断ることすらできないほどの有名人になってしまったわけだが。


「天音ちゃんは嫌がってたけど、恭平くんに言われて仕方なくOK出してたな~」


 高祖父の名前が出て、一瞬ドキリとした。朱音の小森姓は、そこから来ている。高祖母ほど有名ではなく、かつ、さほど珍しくない名字ということもあって名乗っているのだが、こうして話題に出されると身構えてしまう。


「なんで?」

「それだけのコトをしたんだから、残すべきってね~。天音ちゃんはなんだかんだ旦那さんに弱かったんだね~」

「聞いてたみたい」

「うん? ああ、そうだよ~。本が書かれるたびに天音ちゃんが恥ずかしそうな顔して言うからさ~。私も、書かせてあげるべきだって言ってたな~」


 懐かしいや。

 柚子は目を閉じて、昔の光景を思い出しているようだった。


「ね、朱音。私にも何冊か貸してくれないかな……思い出せるかもしれない」


 あの子が死んで、悲しくて。私は無意識に記憶を仕舞ってるのかもしれないから。

 本を撫でながら、柚子はそう呟いた。

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