いらない僕⑩




母親の言葉を聞いて心臓がドクンと激しく鼓動した。 母親に接してきたのはほとんどがクロである。 そして、クロと母親の関係は良好なもの。 だから今の言葉は本来有り得ないはずなのだ。

クロと要という二人の人格が存在していることを母親が知っていない限り。


―――・・・どうしてあんなことを言ったんだろう?

―――だってクロはあの人のことを本当のお母さんとして扱って・・・。

―――いや、そんなことよりこのまま代わりに行かせてしまってもいいの?

―――確かに手紙は大事だけど、お母さんにとっては寧ろ・・・。


手紙は大切に保管しているわけではなくいつでも見れるように机の上に堂々と置いてあり、目にしたことがあるかもしれない。

中まで見ているとは思えないが、元母からの手紙だということは外からでも分かる。


―――いや、俺が今考えるのはそのことじゃない。

―――このままだとお母さんが・・・ッ!


「お、お母さん待って!!」


母は立ち止まって燃え盛る家を見つめていた。


―――お母さんが俺のために炎の中手紙を取りにいこうとしてくれている。

―――だけど大分時間が経って家はもう全体に火が回っている。

―――・・・今お母さんを行かせたらお母さんこそ戻ってこないのかもしれない。


「・・・行かないで」

「・・・」

「行かないでよ、お母さん」


そう口にした要の目からは涙が溢れ出ていた。 母は近付いてくる。


「でも手紙は大切なものなんでしょ?」


その言葉に力強く頷いた。


「だけどきっともう手紙は助からない。 お母さんが今行ったらお母さんまでも失うことになる。 ・・・そんなの、俺は嫌だよ」


そう言うと母も涙を浮かべながら要を優しく抱き締めてくれた。 母はとても温かかった。


―――この家は前のお母さんも住んでいた場所だ。

―――それが全て燃えてしまった。

―――これで前のお母さんとの繋がりが完全になくなったんだ。

―――・・・だけどどうしてかそれが悲しいとは思わない。

―――良が言っていたことはこういうことだったんだ。

―――昔を忘れて今を見る。

―――これから新しいお母さんと新たな家で思い出を増やしていくと思えば辛くない。

―――俺は手紙を捨てて今のお母さんを選んだ。

―――この選択をして後悔はしていない。

―――・・・昔のしがらみから断ち切れたならこれでよかったんだ。


昔よりも今を大切にしようと思った。 今ある温もりを大切にしていきたいと思った。 大切だったと思っていた手紙を失ったことにより自分を縛っていたものがなくなり逆にスッキリしていた。

本当はそれが自分を過去に縛り付けていると気付いていたのだ。 気が緩むと全身の力が抜け意識を失いそうになった。 その瞬間カチッという音が聞こえた。


―――おっと。


倒れる寸前にクロと代わることができたため転倒することはなかった。


「要、大丈夫?」


目の前には至近距離で母がいる。 自分がいない間でも抱き締められていたことにより母との関係がよくなったのだとクロも安心した。


―――要、上出来じゃねぇか。

―――もう俺の出番はこれで最後なのかもな。


要は自分で取捨選択ができ本当に大切なものを守ることができた。 母との関係も良好でもう代わる必要がないと思ったのだ。


「これからもよろしく頼むよ、母さん」

「・・・」

「気付いていたとは思うけど、もう俺の役割は終わったから」

「・・・そう、なのね。 それはそれで寂しくなるわね」

「いつかはこんな日が来ると信じていたからこれでよかったんだ。 これ以上話していると俺の決心が揺らぎそうだからさ」


これは要からではなくクロから母へと伝えた言葉だ。 母は目を瞑り静かにその言葉を聞いていた。 そうしているうちに消防車が到着した。


「こちらに住んでいる方ですか? 無事で何よりです」


救急隊に助けられ安全な場所へと移動する。


「息子さんが怪我をしている! 早く手当てを!!」


足は思った以上に腫れ上がっており病院で検査を受けた方がいいとのことだった。 母に付き添われながら診断した結果骨折しているのだと分かった。


―――これからしばらくは松葉杖生活か・・・。

―――ちょっとやり過ぎたか?


あれから時間が経ったためか痛みは随分と和らいだ。 ただその痛々しい傷跡はなかったことにはならない。


「しばらくは不自由だと思うけど何かあったらお母さんに言ってね。 お母さんは何があっても要の味方だから」

「うん」


母親はもう要と入れ替わったのだと思っているのだろう。 本当は入れ替わってもよかったのだが、クロ自身がもう少しこの時間を生きていたいと思ってしまった。


―――・・・その言葉、要に聞かせてやりたかったな。

―――そろそろ代わるか。

―――どうせこの後、行くところがあるんだろ。

―――母さんはああ言ったけど要の一番の味方は俺だからな。

―――・・・あぁ、クロとして母さんと対面できるのはこれで終わりか。


クロが母へ向かって微笑むと同時に最後のカチッという音が聞こえた。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る