7話 ジーナの場合 後

 ジーナは、家から出る決心をした。

 そのとき思い出したのが叔父からもらったバッグだった。

 何の変哲もないそのバッグを、かつて息子に取り上げられたのだ。言葉としては「借りる」だったが、いまだに返してもらっていない。それを思い出した。


 息子が気まずそうに、そして嫌々ながら婚約者をなだめに行かなくてはならない、と言うので自分のせいだから自分が謝ってくるとジーナが言うと、途端に気楽そうに、

「そうだな。ジーナをかばったせいだものな。義理の姉妹になることだし、謝って仲直りしてきなよ」

 と、言ったのに内心呆れた。

 そして、ふと思い出したように、叔父からもらったバッグを返してほしいというと、あからさまに嫌そうな顔になった。


 以前なら、その顔を見た途端に「やっぱりいい」と発言を撤回しただろう。だが、そのバッグだけは返してほしかった。

 再度返すようにうながすとめんどうそうに「あとでな」と言われた。おそらく、その「後で」はいつまで待っても訪れないのがわかったので、「それなら、返してもらってから謝りに行きます」ときっぱりと言うと、憤慨した様子で部屋に戻り、漁り始めた。そして、「ほらよ! 返したんだからとっとと謝りに行けよ! 恩を仇で返しやがって、覚えておけよ!」と怒鳴り、しわくちゃのボロボロになったそれを投げつけてきた。


 そのバッグを見て、この家族の自分への思いがしみじみと理解出来た。

 ――一度も使ったことのない、叔父からの贈り物を取り上げて返さず、こんなふうにして投げてよこして謝罪もないどころか罵倒する、それが私への扱いだ。

 両親を失った私は、家族愛に飢えていた。だから、安っぽい言葉に騙されたのだ。叔父は、真摯に誠実に自分の思いを告げていた。行商人をしている自分は裕福ではないし両親と同じ愛情を私にそそげないだろう。だが、騙して飼い殺しにするよりはマシな扱いはできる、と。


 クシャクシャのバッグを抱え、ジーナは豪商の娘に会いに行った。

 娘はなかなか会ってくれなかったが、二時間ほど門前で立っていたところ、ようやく面会できた。

 会ってすぐ、ジーナは深々と頭を下げてこう言った。


「私はあの家を出たいんです。どうか手助けをしてください」と。


 娘は絶句したが、低い声で尋ねた。

「……本気で言ってるの?」

「本気です! 私は出たいんです! でも、このままでは飼い殺しで一生日陰者になる道しかないんです! あの両親も彼も、無意識で私にそれを強いてきていますが、私はそんな人生を送りたくないんです! お願いします! 今、いくらかのお金と着替えをもらえたら、すぐに旅立ちますので、どうか助けてください!」

 娘は絶句したまま立ち尽くしていた。ジーナはそのままずっと頭を下げ続けた。


「――――わかったわ」

 ようやくふっきれたように娘が言った。

「その鞄に詰めろってこと? ずいぶん汚いけど」

 ジーナはとうとう泣きながら言った。

「こ、これは、叔父、に、もらいました。これだけ、は、私の物、だって。でも、取り上げられて、今まで、兄が、持ってて、ようやく、返してもらったら、こんなにされて」

「……わかった。わかったから。バッグに着替えと私のお小遣いを入れるから。その代わり、すぐ旅立ちなさいよ! ぐずぐずと居座ったらアンタが私をゆすって小金を奪ったって警備隊に突き出すからね!」


 娘は諦めたように怒鳴り、言った通りバッグにいろいろ詰めて持ってきた。

「汚いバッグだけどイイモノじゃない。これ、マジックバッグよ。見た目より容量があって、しかもどれだけ詰め込んでも軽いの。お金に困ったらこのバッグを売るといいわ。とても高く売れるから」

 と、言って渡した。

「ありがとうございます……! 本当にありがとうございます!」

 ジーナは頭を何度も下げた。


 それは賭けだった。

 彼女は自分を追い出したいと思っているはず。だったら逃亡の手助けをしてくれるかもしれない、と思ったのだ。

 彼女が助けてくれない限り、自分は逃げようがない。何せ無一文なのだから。家のお金を盗んだらすぐ捕まる。捕まって、連れ戻されて、今度は絶対に逃げられないようにされるだろう。


 彼女は、変装用に衣類まで着替えさせてくれた。

 何度も頭を下げて彼女の家を出て、あとはひたすら歩いた。


 追っ手がかかるかもしれないと思ったが、歩くしかない。自分は馬車に乗れないから。

 ひたすら歩いて、二つ町を抜けたところでようやく安堵の息を吐いた。

 追っ手がかかるほどに執着はされていないと思うが、もう二度と顔を見たくないのは確かだ。

 先行きの不透明さが不安を煽るが、それでも飼い殺しでいびられまくりの人生よりははるかにマシだろう。


 これからどうしようか……もう少し先の町に行きたいが、これから先の一人歩きは危険だと教えてもらった。

 だが、馬車には乗れない。

 困っていたときに見かけたのが、家畜を連れた幼女だった。

 次の町に行くらしい。

 父親らしき男と話していた。

 同行させてもらえないか頼んでみることにした。

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