第12.5話

「あれ、鈴香さん。お出かけですか?」


秋晴れの日曜日。パジャマ姿のまま居間でスティックパンを齧っていれば、お洒落した鈴香さんが入ってきた。現在の時刻はAM9時。基本的に午前中に起きてくること自体が珍しいのに(失礼)。


「そうなの。同僚とちょっとね。」

「珍しいですね。どこ行くんですか?」

「車で隣町まで行く予定なのよ。お買い物。」

「え~いいな~。」


鞄の中身を確認する鈴香さんは珍しく鼻歌まで歌っていて、よほど楽しみなのだろう。同僚とお出かけというのも私は初めて聞いた気がする。


「あ、ねえなっちゃん。グミとか持ってない?」

「へ?あ、持ってますよ。ちょっと待っててくださいね。」


鈴香さんにそう言って自分の部屋へと駆けこむ。通学用のリュックを開ければ、そこには小腹が空いた時用の非常食がたくさん入っている。確かグミもあったはず。あ、なんかたくさん種類あるや。全部持ってこっと。


「鈴香さーん。どれがいいですか?」


リュックごと持って行ってテーブルの上に広げれば、鈴香さんはとても申し訳なさそうに手を合わせた。


「ねえなっちゃん本当にごめん。このグミとこのチョコレート貰ってもいい?」

「全然いいですけど。どうかしたんですか?」

「これから会う子、お子さんがいるのよ~。昨日のうちにお菓子買っておこうと思ったのにすっかり忘れてて。途中で買ってこうとも思ったけどもう迎え来てくれちゃうみたいでさ。」

「なるほど。全然いいですよ。好きなだけ持ってってくださいね。」

「や~~~ん助かる~。」


このご恩はいつか必ず、なんて武士みたいなことを言い残して、彼女は手を振って居間を出て行った。と思ったが一度戻ってきて、部屋へと駆け戻る。忘れ物をしてしまったようだ。

今度こそ、と鈴香さんはもう一度鞄の中身を確認し私に手を振った。私もいってらっしゃーいと手を振り返して、食べかけの菓子パンをまた齧る。


・・・鈴香さん、なんかとっても嬉しそうだった。しかも多分あれ新しいカバンだな。あれ、相手もしかして男の人?でもまって子供いるって、ん?シングルファーザー?え、いや、既婚者?なんて勝手に思考回路が爆走してしまって慌てて止めた。よくないよくない。こうやって勝手に想像してしまうのは良くない。いや、想像だけならいいのか。思考は自由だもんな。口に出さなければいいのか。いやでもなんか・・・


「ひぇっ!」


突然首に冷たいものを感じて、変な声が出てしまった。驚いて後ろを振り返れば犯人はケラケラと笑っている。


「ちょっと!拓海さん!」

「悪い悪い。あまりにも険しい顔してたから。」


私の眉間のシワを人差し指で伸ばしながら、拓海さんはしばらく笑い続けていた。首に当てられたのは冷蔵庫にあったヨーグルトで、拓海さんが食べようとしていたみたいだけど奪い取った。当然の報いだ。今はもう私の胃の中にしっかりと納まっている。


そんな拓海さんは、なんだかステキなスーツを着ていた。出勤する時とは違う、ブラウンのスーツ。


「拓海さんも今日何かあるんですか?」

「も、って?」

「鈴香さん。もう出てったんですよ。同僚と出かけるって。」

「え!!?嘘だろ!!!?」

「そこまで驚く?」


あの寝ぼすけの鈴香が、と拓海さんが呟く。それには全く同意だ。鈴香さんの寝起きの悪さは葛木荘では皆周知の事実だ。拓海さんは休日は遅くまで寝ているというよりも、土日でも出勤しているイメージが強い。休みの時はそもそも1日中部屋から出てこない(それは言いすぎか)ような気もする。だからこの時間に居間にいることがそもそも珍しいのだ。


「今日友達の結婚式あってさ。」

「へえ、おめでとうございます。」

「めでたいよなあ。」

「拓海さんは?予定は?」

「ド直球だなおい。ねえよ。」


高校生怖、とおどけて首を振る拓海さんに思わず笑ってしまう。拓海さんは鏡の前でこれまた普段度は違う派手な柄のネクタイを結び、ふう、ひとつ息を吐く。


「奈月は?今日は?」

「何もないです。何もないので菓子パン食べてヨーグルト食べて歯磨きしたらもう一回寝ます。」

「なるほど。まあそのヨーグルトは本当は俺のだけどな。俺の唯一の朝食だけどな。」

「まあまあそうカリカリしないで。あ、ラムネありますよ、食べます?」


先ほど鈴香さんのために広げっぱなしだった非常食たちの中からラムネを取り出せば、拓海さんは意外にも食う、と受け取った。あれもしかしたら本当に結構お腹空いてたのかな。それはなんかごめんなさい、もう食べちゃったけど。


「拓海さん、マシュマロもクッキーもありますけど、食べます?」

「いや、大丈夫。ありがとう。ていうか奈月、どんだけお菓子ストックしてんの。」

「私のお腹、音が豪快なもんで。」


私の言葉に拓海さんはまたケラケラと笑う。ちょっと、結構本気の悩みなんですからね。授業中のお腹の音ってどうしてあんなに恥ずかしいのかしら。きゅるる、とかじゃないんだよ私。もっと轟音なの。そう拓海さんに力説したが余計に笑われてしまった。


「じゃ、行ってきます。」

「行ってらっしゃーい。」


ひときしり笑った拓海さんは、ひらひらと手を振って玄関を出て行った。再び1人になった居間で、少しだけダラダラとテレビを見る。少ししたら歯磨きをして部屋に戻った。有言実行だ。ああ、二度寝ってなんでこんなに幸せなんだろう。


再び目を開ければ、時刻は午前11時過ぎ。意外と寝てしまったなあ、と思ったけれど悪い気持ではなかった。休日の醍醐味だもんね。すぐには起き上がらず、スマホをいじる。寝てしかいないのだが小腹が空いたため冷蔵庫を覗きに下りれば、台所からいい匂いがしていた。


「ずいぶん遅いお目覚めだな。」

「・・・得意の二度寝です。」


匂いにつられるようにドアを開ければ、そこにいたのは雨野さんだった。今日はお客さんが少なかったようで、ゆっくり葛木荘でお昼ご飯が食べられるみたいだ。雨野さんの目の前にはコーヒーと、カリッと焼かれたウインナー、チーズの乗ったトーストとポテトサラダ。完璧な昼食だ。いい匂いの正体はこれか。


余程見つめてしまっていたのだろう。ふっ、と雨野さんが笑って、「奈月も食べるか?」と声をかけてくれる。お腹が空いているのがバレバレで恥ずかしかったが、ありがたく頂くことにした。カチッとガスコンロの音が鳴って、少しすれば油の跳ねる音とウインナーの香ばしい匂いがする。台所に立った雨野さんの後ろ姿を見ながら、欠伸がこぼれる。窓から差し込む温かい光が眩しくて、心地よい。


「要は?」

「多分まだ寝てます。」

「そうか。」


確認していないがまだ一度も姿を見ていないという事は部屋で寝ているんだろう。二度寝した身で言える事ではないが、要は本当によく寝る。どうしてそんなにずっと眠っていられるのか不思議なくらい、よく寝る。小さい頃からの七不思議のひとつだ。


イスの上であぐらをかいて、ボーッと雨野さんの後ろ姿を見つめていた。寝ぼけているのか、頭がポワっとしていてなんだかまだ夢の中にいるみたいだ。すっきりしない頭のまま、ポロッと言葉がこぼれる。


「・・・私、割とひとり得意なんですよね。」

「ひとり?」

「そうです、ひとりの時間。ひとりでご飯食べたり、買い物したり、ダラダラしたり。得意というかむしろ好きというか。自分にとって大切な時間というか。」

「ふうん。」

「でもやっぱり、こうやって人がいると嬉しいし、誰かと一緒にいれる時間も幸せだなあと思うんですよねえ。」

「・・・。」

「朝起きたらおはようを言う人がいて、帰ってきたらただいまを言う人がいて、くだらない話を聞いてくれる人がいて。ちょっと騒がしかったりもするけど、疲れることもあるけど、安心するというか。」


ゆっくりとこぼれる言葉を、雨野さんの背中に向ける。雨野さんの背中には何とも形容しがたい安心感がある。全ての答えを知っていそうな、そんな感じ。そんなわけはないんだけれども。


気付けば雨野さんは私のご飯を作り終えてくれていて、テーブルに並べてくれる。ウインナー、チーズの乗ったトースト、ポテトサラダ、そして雨野さんのお皿にはなかったベーコンとスクランブルエッグものっていた。コーヒーの代わりにはホットミルク。優しさになんだか胸が温かくなる。うう、雨野さんありがとう。


ナナメ向かいに座って、雨野さんと一緒にお昼ご飯を食べる。一口食べたら自分が思っていたよりもお腹が空いていた事に気づいて、夢中で食べてしまった。ごちそうさま、と手を合わせてお皿を下げる。作ってもらったお礼に雨野さんの分も私が洗う事にした。


今度は私が台所に立って、雨野さんは座ったままで。

私の背中に、今度は雨野さんが言葉を向ける。


「さっきの話。」

「さっきの話?」

「ひとりが得意な話。俺も、ひとりは得意だな、昔から。」

「それは・・・想像つきます。」

「だろうな。」


ふっ、と雨野さんが笑う。そのまま彼がコーヒーを啜る音が聞こえてきて、私もしばらく静かにお皿を洗った。


ひとりは得意だ。得意だし、むしろ好きだ。でもやっぱり人と一緒にいるのも好きだし、誰かがいる家に帰ること、とても近い距離に人がいること、夜に電気を消すのが自分じゃないこと、全部全部、いいなあ、と、思う。まあ結局は。


「ないものねだりなんですよね、きっと。ずっとひとりだと人と居たくなるし、ずっと人といるとひとりになりたくなるし。」

「・・・そうだな。」

「わがままですねえ、人って。」


そうだな、と、また頷くかと思ったけれど、意外にも雨野さんは小さく首をかしげた。


「わがまま、か。そうだな、そうかもな。でもきっと、必要なんだよどっちも。どっちも大切だし、それでいいんだよ。わがままでいいんだ。」

「わがままで、いい。」

「ああ。自分に大切なものなんだから、わがままでいいんだよ。」


洗い物を終え、イスに座って今度は温かいココアを飲む。窓の外には銀杏の葉っぱが地面に散らばっていて、もうすぐ冬だなあ、なんて少し寂しくなる。


そっか、わがままで、いいんだ。

仕事に戻る雨野さんに手を振り一人になった居間で、さっきの言葉を繰り返す。自分に大切なものなんだから、ことなんだから、わがままでもいいんだな。欲張ってもいいのかな。


お腹がいっぱいだからなんとなくまた眠くなってしまって、ふああ、と欠伸がこぼれた。さすがにもうひと眠りはやめておこう。少し、散歩に行こうかな。冬の心臓が縮まってしまうような寒さは苦手だけど、でもコートを着てマフラーをして手袋をして、冬の匂いがする街を歩くのは好きだ。これも矛盾か。でもいいんだ、どっちも自分の本心だから、ね。





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