第8話

「あー・・・溶ける・・・」


死にそうな声でそう呟くのは鈴香さん。声のする方を見れば彼女は仰向けで床に寝転んでいた。ぐでーん、という効果音が聞こえてきそうだ。


「鈴香さん、汚れますよ。」

「なっちゃんも寝てみなよ。床冷たくて気持ちいいわよ。」

「そうかもしれないですけど。」

「あー!!もう私床と結婚する!」

「・・・。」

「無視はやめようよ。」


鈴香さんが何か言っている(失礼)が、床に寝転んでいる鈴香さんの気持ちはよくわかる。暑さは日に日に増していて、ピークを迎えつつある。特に今日は暑い。とてつもなく暑い。太陽はカンカン照りで風もあまり吹いていなくて。もちろんここ葛木荘にクーラーが完備されているわけもなく。夏場頼りになるのは各部屋1台の扇風機だけである。


「本当に暑いですねえ・・・。」


私の言葉に鈴香さんが大きく頷く。外からはセミの大合唱がそこら中から聞こえてきていて、それが更に体感温度を倍増させている気がする。


「なっちゃん、アイス。」

「・・・私はアイスじゃありません。」

「アーイース―たーべーたーい―!」

「何歳児なんですか。」


寝転んだまま駄々をこねる鈴香さんに棒アイスを一本投げる、と聞こえてきたのはうめき声。どうやらキャッチし損ねたようだ、ごめん鈴香さん。私も棒アイスを口に入れ、寝転ぶ鈴香さんの横に腰を下ろして三角座りをする。ちなみに私は桃味、鈴香さんはソーダ味。鈴香さんの好みはもう十分に熟知している。


「・・・夏だねえ。」


アイスを食べて少し元気を取り戻したのか、鈴香さんが起き上がって胡坐をかき始めた。


「今日の夕飯何がいいですかねー。」

「そうねえ・・・。冷やし中華なんてどう?」

「あ!いいですね。」

「よーし決まり!涼しくなったら買い出し行きましょ。」

「はーい。」


じゃあそれまではダラダラする時間、と鈴香さんはまた床へと寝転ぶ。そして冷たい~、と笑いながら私の方を見上げる。なっちゃん、と私の名を呼んでぽんぽんと床を叩くから、私も真似をして隣へと倒れこんだ。・・・これは。


「・・・私も床と結婚します。」


予想以上に冷たかった、気持ちいい。

私の言葉に鈴香さんが吹き出す。少し目をつぶってみれば中々気持ちが良くて。そんな私を見て鈴香さんの笑い声はさらに大きくなる。


「笑いすぎじゃないですか?」

「だって・・・っ・・・結婚するって・・・」

「鈴香さんが先に言ったんじゃないですか!」

「そうだけど・・・ふふっ・・」


私が言い返すのを聞いて彼女はまた笑う。なんだか私も面白くなってきてしまって、しばらくの間2人で涙が出るほど笑い続けた。




「はい、これで完成!」


きゅっと、お腹のあたりが強く締められて、鈴香さんに鏡の前に立たされる。


わあ、と自分で思わず声を上げてしまい、その反応を見て鈴香さんも満足そうに頷いた。赤と紺色の浴衣を着た自分は普段よりも大人びて見える。


「すいません髪の毛まで。」

「何言ってるのよ、この鈴香さんに任せなさい!」


そう言いながら慣れた手つきで私の髪の毛を結い上げていく。器用だなあ、なんて感心していれば鈴香さんは微笑んで。


「なっちゃん本当に浴衣似合うわねえ。」


なんて褒め言葉までくれる。


夏休みも折り返しに入った今日。近所で行われる夏祭りに、千里と一緒に行く事になっていた。着付けも髪の毛も全て鈴香さんがやってくれて、いつもとは違う自分の姿に心が躍る。

全ての準備を終えた私を、鈴香さんは傍で本を読んでいた拓海さんの下へ引っ張り出した。


「じゃーん!どうよ、自信作!」

「私はお菓子かなんかですか?」


鈴香さんの言葉に拓海さんは顔を挙げて、そしてそのまま少しだけ固まる。沈黙の時間が恥ずかしくて目を逸らせば、はは、と拓海さんは笑って。


「なんか、妹の晴れ姿見てるみたい。」

「何その感想。他のあるでしょ。」


鈴香さんが文句を付ければ拓海さんは少し照れたように頭を掻いた。


「似合ってるよ、奈月。」

「・・・!」

「あ、ごめん、それはそれで気持ち悪いわね。」


おい!と拓海さんが声を荒げる。思わぬ言葉に照れてしまった私だが、バッサリと切り捨てた鈴香さんに思わず笑ってしまった。


「千里ちゃんとはぐれないようにね。」

「あんまり遅くなる前に帰ってくるんだぞ。」


玄関口まで送ってくれる2人に、はーいを返事をして手を振る。お兄ちゃんとお姉ちゃんが出来たみたいで、胸が温かくなった。




「奈月!」


聞きなれた声がして振り向けば、そこに居たのは紺色の浴衣に身を包んだ千里の姿。


「わ!浴衣かわいい!」


普段はあまり制服以外のスカートは履かない千里。そのため普段とは雰囲気に、少しどぎまぎしてしまって。


「ありがとう。奈月も似合ってるね。」


お互いに褒めあって、それもなんかまた照れくさくて。少し目を逸らしてからもう一度千里の方を向けば、ばっちりと目が合う。


「・・・なにこれ恋人の初デート?」


なんて千里が言うから、そのまま目を見合わせて2人で笑ってしまう。


「はい!私たこやきが食べたいです!」

「賛成!チョコバナナも食べたい!」

「からあげも絶対だね、あー、お腹すいてきた。」


なんていつもの雰囲気を取り戻しながら、人混みへと歩みを進めた。しばらく歩き回ってお腹も満たされれば、花火が上がるまであと少し。少し休んで最後にチョコバナナだけ買いに行こう、なんて話をして人混みをぬけて神社の境内へと座り込む。


「今日要くんは?」

「神谷くん達と行くっていってなかったっけ?」


慣れない下駄に疲労困憊の私達。2人して下駄を脱いで足をさすりながら(お行儀悪い)、暗くなった空に目を向ける。明かりの少ない境内では暗い空に光る星がよく見えた。少しだけ温度の下がった風が髪を揺らして、歩く事から解放された足がじんわりと疲れを訴える。遠くから聞こえてくる賑やかな声に耳を澄ませていれば、とても心地が良くて。しばらく2人で黙って空を見つめる。・・・心地いいなあ。


そんな時間に終止符を打ったのは、ガヤガヤと聞こえてくる話声と複数人の足音だった。ギャハハ、と笑う声と下駄の音からどうやら女の子の集団らしい。元気だねえ、なんて千里と目を見合わせて笑えば、そのうちの1人がおもむろに私たちの顔を覗き込む。


「あれ?千里??」

「ほんとだ千里じゃん!久しぶり!」


呼ばれた千里の名前に数人の女の子が近づいてきて、千里が驚いたように顔を挙げる。なんだ、千里の知り合いか。なんて軽く思いながら私も顔を挙げれば、そこにいたのは同い年くらいの女の子たち だった。中学校の友達かな?なんて考えながら千里の方を見れば、彼女の顔に浮かんでいたのは、戸惑ったような笑みだった。


「全然連絡くれないからさ~も~。」

「ごめんごめん。」


笑いながら千里は謝るけど、その顔に浮かぶ笑顔はいつもと全然違う。嫌な予感が体中を駆け巡る。


「あ、ごめんね急に。私達千里の中学校の同級生なの。」

「同じバスケ部だったんだ~。」

「そうそう。・・・千里サマの手下だったの。」


私の方をみてそう言った彼女たちは、ギャハハと目を見合わせて笑う。


その言葉に、視線に、感じてしまった。


「そう、なんだ。」


・・・そこにあるのは、明確な悪意だった。千里を嘲笑おうとする、彼女たちの悪意だ。心が冷えていくのを感じる。


「この子さ、余計な事言うでしょ?なんでもバサッと言っちゃうっていうか~」

「そうそう。自分の意見押し付けちゃうみたいな。あ、いやそこがいい所でもあるんだけどね?」


ね?とそのうちの1人が千里に同意を求める。千里は曖昧に笑って、でもその瞳は彼女たちを見ようとしない。ふつふつと怒りがこみあげてきて言い返そうとした私。そんな私に気づいて、千里がぎゅっと私の手を握る。驚いて視線を落とせば彼女の手は少し震えていた。数秒の間交わった視線、千里は小さく首を振る。

・・・何も言わない方が、いいのだろう。


「じゃあね千里。またね。」

「邪魔しちゃってごめんね~。」


言いたい事だけ言い終えた彼女たちはまた笑いながら集団の方へと戻っていく。彼女たちがいなくなった境内は、先ほどよりも更に静かに感じあ。しばらくの間、お互いに口を開かなかった。そのうち千里はふう、とため息をついて、そして勢いよく立ち上がる。


「・・・ごめんね変な空気にしちゃって!」


そう言って千里は浴衣の裾の汚れを払う。あ~たくさん食べた、なんて言って笑うけど、その目は一度も私を捉えてはくれない。


「ごめんねほんと。中学校の同級生なんだけどさ、私、ほら空気読めないから。」

「・・・千里。」

「部活の時もサボってるのとか許せなくてさあ。結構きついいい方しちゃったりして。」

「・・・ねえ。」

「結構色々言われちゃったんだよねえ。ほんと、私ってもうさあ」

「千里。」


少し大きい声で彼女の名前を呼べば、早口で話していた言葉が止まる。その視線はやはり私の方へ向けてはくれなくて、口を一文字に結んだ彼女は、しばし俯く。


千里。

もう一回名前を読んで、そして。


「ねえチョコバナナ、そろそろ買いに行こうよ。」

「・・・え?」

「花火見ながら食べたいし。ね?」


私の言葉が予想外だったのだろうか。驚いたように私の方を見る千里。ああ、やっと目が合った。千里は一瞬固まって、そして。少しの沈黙の後、ぷっ、と吹き出した。静かだった境内に千里の笑い声がこだまして、つられて私も笑ってしまう。千里の笑いは中々止まらない。


「え?そんな笑う?」

「だってあんた・・・どんだけなのよほんと・・・っ・・」


あー苦しい、と目に涙を浮かべて千里は笑う。その涙の量が少し多い気がして、でもそんなの、口にする事じゃない。

ひとしきり笑った千里は、小さく深呼吸をしてもう一度私の隣に腰かけた。


「・・・やんなっちゃうよねえ。」


ポツリ、と千里が言葉をこぼす。彼女たちの事だけじゃなくてきっと。自分の事も。


「・・・ねえ千里。」

「ん?」

「私は千里が好きだよ。」


私の言葉に千里が一瞬息を止めて、そして、うん、という相槌と共にゆっくり息を吐く。


「私は今見てる千里しか知らないし。別にそれでいいって思ってる。」

「・・・うん。」

「過去の事なんてどうでもいいよ。私は千里が好きだから。全部含めて千里だから。」


私は知っている。千里が誰よりも優しい事も、嘘がつけない事も。キツイ言葉を言ってしまった時、それを1人で後悔している事も。いつだって自分よりも人の事を考えている事も。


「誰がなんて言おうと、私は自分の目で見たものを信じるよ。千里の笑った顔が好き。すっごい元気貰えるんだ。」


「だから、たくさん笑って。」


しばらくの沈黙の後、少しだけ聞こえた鼻をすする音。聞こえないふりをして、空に浮か星をもう一度眺めた。綺麗だな、なんて思っていれば唐突に大きな音がして、星空に色とりどりの花が咲く。人々の歓声が聞こえて、吹き抜ける風が気持ちよくて。


「あんたの傍にいたら笑わずにいられないっての。」


なんて千里が赤くなった目で笑いながら言うから、私も笑い返して、2人で空を眺めた。

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