第15話 父の思いを胸に抱き
礼人は出かけていた。六月の第三日曜日のことである。
テスト期間中であるため、休日とはいえ、生徒の外出は歓迎されることではない。だが、礼人は特別な申請をして、帰宅することになった。
それを聞くなり暴れ出したのが、文芸部二年生眞鍋雪である。
「阿蘇くんばっかりずるいー! きっとテスト勉強なんてちゃんとしてない非行少年にちがいないんだー!」
そんなことを言い腐って、勉強会に集まっている文芸部員たちの耳を賑わせた。
聖浄学園のテスト期間は、大体の部活が勉強会と称して部員で集い、いつ出るとも知れぬ妖魔に備えるのが常となっている。
既に四月からこっち、それなりの戦績を出している文芸部は、他の部のように妖魔に身構えるというより、ほとんどの部員が真面目に勉学に励んでいた。学生の本分である。
静かな中に眞鍋の騒ぐ声が響く。これが十回を越えた辺りから皆数えるのをやめたが、まあ何度も何度も繰り返されているのである。
誰もが思っていた。五月蝿い、と。
学年主席の三年生水島優子はそろそろ自分の精霊を使って眞鍋を黙らせようか、と考えていたのだが、優子が動くより先、意外な人物が反応した。
「薬合タイプ技能『砂鉄・磁石』」
その呟きと共に床に砂鉄と思われる黒い粉末がばらまかれる。それに引き付けられるように、眞鍋が砂鉄の海へ自動でダイブすることになった。砂鉄は磁石と化した眞鍋の口の中にまで入ってこようとしたため、眞鍋は咄嗟に口を閉じる。しかしそこに容赦なく貼り付く砂鉄。眞鍋は口を文字通り開けられなくされてしまった。
薬合タイプをこの部で使えるのは一人しかいない。──万能タイプの長谷川まことだ。
長谷川まことが何故眞鍋の口を封じたか。それはひとえに五月蝿いから……だけではない。
阿蘇礼人が今日いない理由を察していたからだ。もちろん、礼人と幼なじみである水島姉弟も理由を知っていた。
六月の第三日曜日。それは父の日である。
礼人の外出理由は「墓参り」だった。
阿蘇礼人は実質のところ孤児である。
母である河南真実は礼人を産んですぐ失踪、父である阿蘇明人は物心ついてから失踪した。
そういう運命とか、廻り合わせとかを礼人は嘆いたわけではない。ただ、失踪してから七年が経ち、二人共死亡扱いになっているのは確か。故に、墓が存在する。
妖魔討伐技能の発展において、真実も明人も大きな貢献をしたということで、多額の謝礼金が財産として遺されていた。
真実の神社は改築するほどぼろくもないし、財産は使い道もなく、ほぼ手付かずで遺されていた。相続は礼人になっており、血肉を争う相続争いも起きることはなく、恙無く相続の手続きが済んだ。礼人は未成年であるため、一応の後見人がついたが、悪どいことを考えるような人間でもなかった。
周りに恵まれた礼人が、相続金でまず最初にやったのが、両親の墓を買うことであった。
二人共、遺骸はない。ただ死んだ扱いになっただけだ。故に、まだ幼い礼人が真っ先に採ったその行動を周囲は不審がった。
普通、親の死なんてそうそう受け入れられるものではないはずなのだが。礼人は顔色一つ変えることなく、親の死を受け入れ、墓前に花を供えた。……もう、何年目になるだろうか。
礼人が明人と真実の子どもと知っていれば、大抵墓参りという名目で察しがつく。わからない眞鍋はまあお子さまなのだろう。
礼人は今時古いラジカセを持って墓に来ていた。制服姿で。いつもは少し着崩しているが、今日はネクタイをちゃんと締めている。墓前だからだろう。
父と母の名が刻まれた墓の前に礼人はラジカセを置く。当然、カセットも持ってきていて、セットする。かちかちと動く音が空回りしてから、やがて、音声が語り出す。
「礼人か。礼人がこれを聞いているんだとしたら、俺はもう、お前の傍にいないのだろうな」
そう語り出した低い男性の声。深みのある声の持ち主は礼人の父、明人のものだ。このカセットは幾度となく聞いているが、何度聞いても懐かしいと感じる声だ。きっと、幼い頃にずっと傍らにあった声だからだろう。
「ああ、聞いてるよ、父さん」
礼人は答えるわけもないラジカセに返した。少し感傷の色が漂っていたかもしれない。
カセットは続ける。時折ノイズを放ちながら。
「悪いがこれは礼人以外が聞いても意味のないものだ。礼人じゃないなら、再生を止めてくれ」
礼人はラジカセをそっと撫でた。
「俺だよ、父さん」
そう返ってくるのを待っていたかのように、ラジカセは紡ぐ。
「礼人……まえ、には、す、ない……をした。お前……は、あるもの……が……る」
ノイズがひどくて聞き取りづらくなる。それでも礼人は聞いていた。
「……れは、かい……た、だいでは……も……も、なる。だから」
何故かひどいノイズはそこで途切れ、次の一言が明瞭に聞こえる。
「どうか、
魔泉路とは、黄泉路が更に混沌を極め、より強い妖魔を生み出す穢れた路。そう伝えられている。実際に魔泉路を見たという者はいないが、この音声を聞くに、礼人の父、明人は魔泉路があることを確信していたらしい。そして魔泉路を封じる研究をしていたことも、以前住んでいた家の書斎を調べたら発覚した。
故に、礼人は思い、信じている。父も母も本当は生きているのだと。そうして、自分たちの知らないところで、魔泉路封印のために奔走しているのだ、と。
カセットがかたかたといって止まると、礼人は静かに墓前に誓う。
「俺は、魔泉路を封じる記号を見つけ出してみせる。そして、父さんと母さんも見つけ出す」
そう、礼人は父と母が死んだなんて、これっぽっちも信じちゃいないのだ。妖魔に関わる何かに巻き込まれて行方不明なだけ。そう信じている。
だから、見つけると誓う。この胸に埋められた「何か」の正体と共に。
黄昏時。またの名を「誰そ彼時」。夕暮れの朧気な光の中で人を判別するのが難しい時間。
そして、人に紛れて人ならざるものが活動し始める時間。
墓前にいた礼人はそれを肌でひしひしと感じ取っていた。胸がずきずきと痛みで反応を示す。ここが墓地であることを考えれば、答えは自ずと出た。
礼人は冷静に、木刀を構える。その柄には素朴に「阿蘇」という文字が書かれていた。
「いいか、礼人。電装剣というのはこうやるんだ」
男手一つで礼人を育てた阿蘇明人は自ら切り開いた記号タイプの技能を直接礼人に指導した。彼が愛用していたのも、同じく木刀だ。
礼人が今握る木刀は、明人が愛用していたもの。明人の残した置き土産の中でも、礼人が最も大事にしているものだ。
「いつか、返すから」
記憶の中の父に告げ、彼と共に叫ぶ。
「標的を確認。攻撃用記号構築」
標的は墓地の淀みから湧いた熊型の妖魔。その巨体を臆することなく見据える。
標的をはっきり視認することが電装剣の基本だ。
「悪鬼を切り裂け、人の造りし刃よ」
その言霊で人間が造り出した電子の揺らめきを纏わす。言霊によって固定された電装は人ならざるものにも触れることが叶う。
「記号解放!」
その一言で電装が高まり、刃が鋭さを増す。言霊に違うことなく、一太刀で悪鬼を切り裂いた。
そして、その一太刀は浄化の作用も放つ。何故ならその木刀は古来より退魔の力があるとされる桃の木で作られ、更には最高峰の浄化の歌姫、河南真実によって、まじないが施された木刀であるからだ。
だが、まだ前哨戦にしか過ぎない。
人気のない墓地で淀む空気は次から次へと発生し、礼人の胸は締め付けられるように痛みを増す。……そう、黄昏時は始まりに過ぎないのだ。
「いくらでも来い。俺は、強くなる」
何体もの妖魔を前にして礼人は宣言する。
「そしていつか、辿り着く。父さんたちのいる場所へ、必ず!」
礼人が袈裟懸けに斬り上げる。
妖魔の時間はまだ、始まったばかりだ。
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