かつて愛したもの(4日目:温室)

 朝の爽やかな空気の中、三人……というにはいささか怪しい彼らは、空を飛んでいた。

「コンラート君。こちらの方角で合っているかね?」

「ああ。もう少し行けば、俺の屋敷だ」

 ランフォードはオールバックにした艷やかな長い黒髪を風になびかせながら、気持ち良い陽射しを味わっていた。雨上がりなのもあって、大地はきらきらと輝き、大気はどこまでも爽快だ。ランフォードが両手に抱えている生首、騎士のコンラートもこの状況に少し慣れてきたのか、その碧い瞳をいっぱいに見開いて、空の旅を楽しんでいるようだった。

(ジェフ。その羽は目立ちすぎないかね?)

 ランフォードは後方を飛ぶジェフに、心話しんわを送った。心話は魔族ならば誰でも使える能力だ。声に出さずとも会話を可能とする。

(――まだ大丈夫だろう。人里に近付いたら、流石にもう少し擬態するぜ、ラン)

 ジェフは先程と同様に、蝙蝠状の羽を広げて飛んでいたのだ。人の目につきやすい時間帯に、あまりに人とかけ離れた姿をしていたら、この大地の人々を驚かせてしまう。それはランフォードの本意ではない。

(それよりも――ラン。お前、心構えは出来てるだろうな?)

(……心構え? 何のだね?)

 ランフォードは怪訝そうな表情になった。心構え――何かそのようなものが必要になることがあるのだろうか? ただ、コンラートの家を訪ねるだけのことに?

(理解らないか。まあいい。――どうなってもお前、動揺するなよ)

 ジェフの、ため息交じりの声が実際に聞こえてくるようだった。――彼は一体何を憂慮しているのだろう?

「――ああ、あそこだ。あれが俺の屋敷だ」

 前方に、屋敷が見えてきていた。外壁に蔦を絡ませた、石造りの家。あれがコンラートの家なのか。確認したランフォードは、頷いてみせる。

「そうなのかね? では、この辺りで地上に降りて家に向かおう。流石にあそこまで飛んでいっては、コンラート君のご家族を驚かせてしまうからね」

 ここで降りるよ、ジェフ――心話を送ってから、ランフォードは徐々に高度を下げ始めた。



「あんた達、本当に自在に姿を変えるんだな……」

 瞳を変え、先程よりもより人の姿に擬態したランフォードとジェフを見て、コンラートは感嘆の声を上げた。

「まだ完全には擬態しきってないよ、コンラート君。まだ力は制限していないからね」

 傍目にはオールバックにした長い黒髪と、優しい光をたたえた黒瞳を持つ中肉中背の紳士にしか見えないランフォードは、コンラートの生首を持ち上げ、目を合わせて笑んでみせた。

「……で、あんたは目、そこまで変化させないんだな」

「俺様、充分に擬態してるがなあ?」

「虹彩の形が変わっただけだろ! そんな色の瞳、ここでは珍しすぎるぞ!」

 コンラート君の言うことが正しい――ランフォードは口には出さなかったが、そう思った。見事なウェーブを描く長い金髪はともかくとして、シトリンの瞳はあまり無いだろう。痩身で背が高いから、なお目立つ。

「よく分かっているな、首だけ騎士。俺様、しっかり相手を観察出来る奴は嫌いじゃないぜ?」

 愉しそうにくっくっく、と喉の奥で笑いながらジェフはコンラートの頭をその大きな手で撫でる。

「待て! 俺は子どもじゃないぞ! こう見えても俺は二十一だ!」

「ほう? 俺様よりだいぶ歳下じゃないか。俺様、長い時を生きてるからなあ?」

 ……当たり前だ。ランフォードとジェフは魔族だ。人間とは違う長命種だから、コンラートとは生きてる歳月はその桁からして違う。ランフォードは大きなため息をついた。

「ジェフ。コンラート君をからかいすぎだよ。――では、そろそろ行こうか」

 陽射しは暖かだが、吹く風はなかなか冷たい。

 ランフォードはコンラートの首を抱え直すと、ジェフと並び立って屋敷目指して歩き出した。



 その屋敷は、朝早いからか静まりかえっていた。

「おや。私たちは早く着きすぎたかね?」

「……そうかも知れない。使用人はもう起きてるかも知れないが、父上達はまだだろう」

 コンラートがランフォードの呟きに答える。なるほど、もう少し日が高くならないと訪問に適した時間ではないのだろう。

「どうするね、ジェフ。出直そうか」

「それはこいつに決めさせたら良いだろう。――おい、首だけ騎士。お前はどうしたい?」

「……出直さなくてもいいだろう。屋敷の裏に回ってくれないか? あんた達に見せたいものがある」

「裏に回ればよいのだね、コンラート君。では、行こうか」

 コンラートの見せたいものとは何だろうか。ランフォードとジェフは、言われるがままに屋敷の裏側に向かった。



「――ほう? なかなか立派な温室じゃないか、首だけ騎士」

「何だ、温室を知ってたのか。これは、俺の温室なんだ」

 入ってくれ、とコンラートが言ってくれたので、ランフォードとジェフは温室の中に入った。

 ガラス造りのその小さな建物の中には、今は寒い時期に向かっている頃にも関わらず、花が咲いていた。

「綺麗に咲いているね、コンラート君」

「ありがとう。――鍛錬の合間に、ここの世話をするのが俺は好きだったんだ」

 一番見事に咲き誇っている花の側にコンラートの首を置いてやると、コンラートはじっくりと花の香りを楽しんでいるようだった。頬は紅潮し、口元には穏やかな笑みが浮かんでいる。

「――彼は、こういう人間だったのだね」

 ランフォードはしみじみと呟く。花を愛で、神を愛し、武芸を修め――コンラートとは、そのような若者だったのだろう。若くして首だけになってしまって、さぞかし無念だっただろう。

「首だけになっても意識があるんだ、あいつにはこれからまた別の道があるだろうよ」

 温室の中を見て回っていたジェフが、ランフォードの隣にいつの間にか立っていた。後ろ手に何かを持って。

「どうだ首だけ騎士、ここで花達と共に過ごすってのは? こいつなんか、お前にぴったりの大きさだぜ?」

 ジェフは大股にコンラートのいる場所に近寄ると、手に持っていた空の植木鉢に、コンラートの首をおもむろに置いた。

「俺様の思った通りだ。似合いだぞ、首だけ騎士」

「俺は花じゃない! ここから出せー!」

 コンラートがジェフに噛みつこうとするが、難なくジェフは躱している。

「全く、あれはかなり愉しんでいるよ。ジェフも仕方が無いね」

 もう少ししたら、止めに入ってやろう――ランフォードが温室の入口を見ると、屋敷のお仕着せと思しき服を着た女性と目があった。

「あなた方……どちら様ですか?」

 女性はランフォードを不審の目で見て――それから奥のコンラートとジェフの方に、目をやった。

「――アメリアか? 私だ、コンラートだ!」

 女性のことをコンラートは知っていたようだ。弾む声音で、コンラートは女性に呼びかけた。

「コンラート……様? え、こ、コンラート様の……な、生首!」

 甲高い声で女性――アメリアは叫ぶ。叫びながら温室を出て、屋敷の方へと走り去ってしまった。これはそう遠くないうちに、騒ぎになるだろう。

「――まずいことになったね」

 さあ、これからどうしようか? 弱ったね、とランフォードは苦笑いを浮かべる。

「どうするもこうするも無いぜ、ラン。――早速来たぜ、首だけ騎士の家人達がな」

 ジェフは植木鉢からコンラートの首を片手で持ち上げながら、肩をすくめる。

「……お、お前たち――な、何者だ!」

「不審者め! こ、拘束させてもらうぞ!」

 こうして及び腰で槍を構える兵達に、ランフォード達はあっという間に包囲されてしまったのだった。

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