ふぞろいな旅人たち

月雲

それは、変わった出会い(1日目:むかしばなし)

 夏の蒸し暑い空気がようやく去り、涼しい風が吹き抜けていく季節になった。

 庭からは、姿は見えないが美しい声で鳴く虫の声が。どこからか、金木犀の濃密な甘い香りも漂ってきている。

「気持ちの良い日だね、正君」

「そうだな、おっちゃん……」

 開け放った窓の側にあるソファで、二人の男が酒を酌み交わしていた。

 一人は声音柔らかで、艶やかな黒髪をオールバックにして口ひげを生やした、三十代半ばくらいに見える優しげな面差しの紳士だ。きっちりとしたブラウスにネクタイを締め、それにベストとスラックスといういでだちは彼によく似合っている。

 もう一人は紳士よりだいぶ若く見える。年の頃で言うと二十代前半くらいか。ややぼさぼさの黒髪にいかにも正直そうな黒瞳、そしてはきはきとした声が印象的だ。青年はパーカーとデニムという楽な服装で、寛いでいる。

 黒髪をオールバックにした紳士、ランフォード――今滞在する地では黒木嵐くろきらん と名乗っている――は、ゆっくりと杯を傾けた。その隣に座る青年、荻原正 おぎわらただしも同様にほのかに甘い酒をのんびり楽しんでいる。

 ランフォードは人間ではない。異種族だ。魔族という、この地球という大地とは並行に存在する異世界を生まれとする生命体だ。身体の核を破壊されない限りは、その生命は半永久的に続く。魔族であるランフォードが地球に滞在しているのには、色々とわけがあった。人間社会をしっかりと楽しんでしまっているのは、もののついでだ。

 荻原正は正真正銘の人間だが、ランフォードの友人だ。ランフォードが人間ではないことを知っても、正はその存在を丸ごと受け入れ、大事な友人だと公言してくれる。そのことにランフォードは心より幸せを感じているのであった。

 

 今夜は気持ちの良い夜だ。過ごしやすい気温に、美味い酒と肴。そして傍らには、気の置けない友の姿。もう少ししたら、月も昇ってくるだろう。

 夜空を見上げながらランフォードは、ちびりちびりと芳醇な日本酒を口に運んでいた。こうした夜を、これから何度、正とこうして過ごせるだろうかと思いながら。

 魔族と人間とでは、当然ながら寿命が違う。半永久的な生命を持つランフォード達とは違い、人間はいずれ、この現世を去って行く。何度大切な人間を、ランフォードは見送ってきたことか――

「……俺はまだ大丈夫だよ、おっちゃん。今すぐなんて、絶対行かない」

「――どうしてそんなことを言うのかね、正君?」

「おっちゃんがそんな目をしていたからだよ」

 傍らに座る正を見やると、正はにっと笑った。幼い頃から、変わらぬ真っ直ぐな眼差しをして。

 これだから、人間は賢いと思うし、わからない。そんな人間の全てを、ランフォードは愛しく思わずにはいられない。――そう、昔出会った、少々変わった友も同様に。

「――まだ時間はあるね。正君、少し私の昔話を聞いてくれるかね?」

「勿論だよ。今日はどんな話を?」

「私の変わった友人の話だよ……」

 そう、彼と出会ったのはこんな季節の夜だった――

 ランフォードは静かに語り始めた。

 自分にとっては少し前、人間達にとればかなり昔の時代に知り合った、友の話を。


 

「ずいぶんと血腥い風だね――」

 その地に降り立ったランフォードは、眉をひそめた。風になびく、オールバックにした長い艶やかな黒髪と黒いマントまでもが、濃い血糊の臭気で粘つくような気がする。

「仕方ないだろう、ラン。ここは戦場のど真ん中のようだからな?」

 傍らに立つ、ウェーブのかかった長い金髪とシトリンの瞳を持つ、痩身で背の高い男が肩をすくめた。足元に転がっていた剣に、長い足をかけながら。

「ジェフ。剣に足をかけるのはやめたまえ。持ち主への冒涜に当たるだろう」

「冒涜のつもりはなかったぞ? 魔界の屋敷に持ち帰ろうかと思っただけだぜ?」

 長い金髪をかきあげながら、くっくっくと愉しそうにジェフは含みのある声音で笑う。鋭い犬歯を隠そうともしないジェフは、ランフォードと同じく、魔族であった。二人の所属している部族は違ったが。

「痛ましいね。争い事が起こるから、こんなに血が流れてしまう」

 ランフォードは周囲を見渡した。辺りには、重なり合うようにして倒れた、人、人、人――。

「ほら、見たまえジェフ。こんなに若いのに、彼はここで短い生を終えてしまったのだよ」

 ランフォードは近くに倒れていた薄い金色の髪を持った男の側に膝をつく。碧い瞳を見開いて、倒れている鎧姿の若い男だ。服装と持ち物から見ると、この男は騎士なのだろうと思われた。丈の長い鎖帷子は鋭い物で貫かれていて、赤黒く染まっていた。恐らくそれが彼にとっての致命傷だったのだろう。木製の盾も持っていたが、汚れている上に割れていて、その紋章は読み取れない。

「何と言うことだ。ここで命尽きたばかりではなく、彼は首まで落とされているよ。全く惨いことだ」

 せめて弔ってやろうと考え、身体を持ち上げようとしたときに気付いたのだ。その身体と頭部は、首の部分で切られていることに。

「ジェフ。彼の首を接いでやれないだろうか」

「俺様がか? ラン、やりたきゃお前がやれ。もっとも、そんな風に一人一人を哀れんでいたら時間がいくらあっても足りないと思うがな。そんな死体、ここにはごまんとあるぜ?」

 全員まとめて、送ってやればいいだろ――金色に輝く炎を浮かべ、諭すような口調で言うジェフに、ランフォードは頷いた。ジェフの言うのももっともだ。

 見開いている瞳を閉じてやるくらいはしてやろう。ランフォードはその首の碧い瞳を閉じてやった。

「若き騎士君、安らかに眠るのだよ」

「おいあんた、何をするんだ。俺の目を勝手に閉じるんじゃない。というか、勝手に眠らせるな」

 ……ランフォードが閉じてやった目が、勝手に開いている。おまけに、口まできいている。張りのある、よく響く声だ。

「ジェフ。悪い冗談はやめてくれたまえ」

「待て。俺様は何もしていないぜ?」

 ――ジェフの顔を仰ぎ見る。いつも面白いことを探しているそのシトリンの瞳は、嘘をついているようには見えなかった。

「ジェフがやったのではないのなら、今のは何なんだね?」

「俺が喋ってるに決まってるだろ」

 ……目の前の首が、また口を開いていた。碧い瞳がランフォードを強く、見据えている。

「……君……なのかね? どう見ても、首だけになった騎士のようにしか見えない、君が話しているのかね?」

「だからそうだって。というか、首だけになった騎士って誰のことだよ」

「……君のこと、なのだがね」

 ランフォードが胴体と頭部が泣き別れになっている箇所を指さすと、その若い騎士は目を見開いた。

「本当だ! 俺、胴体と頭が繋がってない!」

 ついにここで、なりゆきを見守っていたジェフが声を立てて笑い出した。

「くくくっ……首無し騎士デュラハーンってのは俺様聞いたことがあるが、首だけ騎士ってのは初めてだ。確かにこの世界は愉快なところだ。まさか首だけ騎士なんてのもいたとはなあ」

「誰が首だけ騎士だよ化け物! 俺にはコンラートという名前がある!」

「ほう? 誰が化け物だ? 首だけ騎士よりは俺様普通だがなあ」

「あんた達二人ともだよ! 明らかに普通じゃないだろ!」

 ……初対面で化け物と言われるのは初めてだ。ランフォードは軽く瞠目した。

「ええと、コンラート君だったかな。どうして私達が普通じゃないと思ったんだね?」

「……気配も違うし、虹彩の形も違うし。あと、後ろの男は松明も無しに火を出してるし」

 首だけ騎士――コンラートは思いのほか素直に答えてくれた。なかなかの観察力だ。ランフォードもジェフも、まさか生存者(?)がいるとは思ってなかったから、瞳までは人間に擬態していなかったのだ。

「確かに私たちは人間ではないよ、コンラート君。でも人間に害意は持っていない。それはわかってくれるかな?」

「……そうなんだろうな。特にあんたは」

 コンラートはランフォードの方に視線を向けると、頷いてみせた。

「ん? ランは害意を持ってないように見えるか。じゃあ俺様はどうなんだ、首だけ騎士?」

「あんたは気分次第で何でもやりかねない気がする! てか俺はコンラートだって! 誰が首だけ騎士だ!」

「ほう? よくわかってるじゃないか首だけ騎士。観察眼はなかなかだな」

 辺りに倒れている人間たちの持ち物を手に取って見ながら、ジェフは喉の奥でくくくっと笑った。――これは相当に、愉しんでいそうだ。

「ジェフ。だから人の持ち物を漁るのはやめたまえ。――そろそろ彼らを送ってあげよう」

「やっと納得したか、ラン」

 ジェフが更にいくつもの炎を生み出す。金色の炎は、戦場を照らし、そして包み込んでいく――。

「熱っ! あんた、わざと俺も焼いたな!」

「よくわかったな、首だけ騎士。ついでにお前も送ってやろうとな」

「ジェフ。コンラート君をいじめるんじゃないよ。――行こうか。コンラート君はどうする? ここにいては焼けてしまうよ」

「焼けてたまるか。俺もここを出ていくさ」

「ほう? どうやって? 今のお前は首だけだぞ?」

「ぐっ、そ、それは――」

「いいよ。私がコンラート君を運んであげよう。ここで焼けてしまうのは酷だからね」

 愉しそうなジェフの言葉にぐっと詰まったコンラートの首を、ランフォードは両手でそっと抱え上げる。そして大地を蹴ると、飛び立った。

「と、飛んでる!」

「済まないね、コンラート君。飛ばないと、いかな私達でも炎にまかれる可能性があるからね」

 ランフォードの後方に着いて、ジェフも飛んでくる。蝙蝠状の羽を広げて。――コンラートにその正体を、ジェフは隠す気が無いようだ。

 戦場を焼く、炎が明るい。

 金色の光が照らす漆黒の空を、ランフォードとジェフは飛んでこの場を去ったのだった。



「騎士の生首だよな……それは変わった友達だな、おっちゃん」

「そうだろう、正君? コンラート君はとびきり変わった、友人だよ」

「おっちゃんは、そのときからおっちゃんらしいよな。……ついでにあのおっさんも」

「ジェフは昔からああいう男だよ」

 ランフォードはまた杯を口に運んだ。空になった杯をテーブルに置くと、正がすぐさま酒を注いでくれる。

「済まないね、正君」

「何てことないよ。――おっちゃん、そのコンラートって友達の話って、まだある?」

「いろいろあるよ。よかったら聞かせてあげようか」

「おっちゃんがいいなら、喜んで聞くよ」

 さて、どこから話そうか――。

 夜はまだこれからだ。もしあまりに遅くなったら、正には家に泊まっていって貰えば良い。

 ランフォードは少しずつ正に語り始めた。数多ある、コンラートとの思い出を。

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