どこかのだれかの物語集

秋宮

都合【男女恋愛/創作テーマ:クズ/舞台:現代】

 アラサーOL、水原は虚しい日々を送っていた。恋人もおらず、熱中できる趣味もなく、ただただ出勤、労働、退勤、家事のルーティンを繰り返すだけの日々。

 友人や同僚たちはみな恋人と素敵な日々を過ごすか、趣味に没頭していた。しかし水原には彼らのように熱中できるものが何もなかったのだ。物欲もなければ趣味もない。税金や生活費が引かれてなお微々に貯まる貯金にさえ、「お前には何もない」と言われているようで素直に喜べなかった。次第に友人たちとも疎遠になり、水原はより孤独になった。

 そんな水原の日々の楽しみといえば、適当にテレビやユーチューブを垂れ流しながら酒を流し込むこと。酒を飲んでいる時だけは現実から逃れられた。

 そんな虚しいアラサーOL、水原の日々が一転する出会いは突然のことだった。



 ある金曜日の夜。一日のルーティンを終えて疲れた体を癒すため、一息つこうとした時だった。珍しく心躍りながら冷蔵庫を開けた水原に突きつけられたのは、週末の相棒であるビールがないという現実。てっきり先週のうちに必要分を買っていたと思っていたのだが、やけ酒で必要以上に飲んでいたことを忘れていた。

 近くのコンビニに買いに行けばいい話なのだが、今は生憎の雨。先ほどまでおとなしかった雨音は、冷蔵庫を開けた後から激しいものに変わっていた。

 普段ならば諦めていたが、その日は何故か我慢できずに外出の準備をした。労働のご褒美として楽しみにしていたビールがないという悲しみ。それを癒すことを出来るのはビールしかない。そう自分に言い聞かせ、レインコートを身につけ財布を片手に外へと出た。

 暴風雨に晒されながらも、無事コンビニでビールと少しのおつまみを手に入れることが出来た。ここまではいつも通りだった。

 少し雨が弱まった帰り道。とはいえども、夜で街灯もあっても視界良好とはいいにくい。行きに通った道を早足で進む。そんな時、違和感を抱いた。道端の真ん中に大きな黒い物体が落ちている。縦長の布だか袋に入った物みたいだが、暗くてよく見えない。

 気味が悪いので別の道を行きたかったが、残念ながらここから家までの道は一本道なため、ここを歩くしかない。不審物から距離を取りながら早足で歩く。

不審物の横を通り過ぎて安堵したその瞬間、左足首を何か、いや誰かに掴まれた。足元を見れば、白い手が私の足を掴んでいた。大きな悲鳴と共に反射で足を蹴りあげて手を振り払い、後ろへ飛び退いた。

 その白い手は落ちていた不審物から伸びていた。落ちていたのは物ではなく人だったのか。いや、幽霊か、それとも幻覚か。よくわからず頭が混乱する。

 混乱で脳がフリーズしたまま動けずにいると、倒れていた人の顔があがった。お世話抜きで顔が整っている美青年だ。だがそんな綺麗な顔は雨による寒さ故か白くなっており、唇が少し青紫になっているようにも見える。

「あの、俺を、拾ってくれませんか?」

倒れていた美青年が述べた言葉はそれだけであった。

 冷静なときの水原なら放っていたであろう。もしくは警察か救急車を呼んでいたはずだ。しかし今は生憎にも携帯を持っていなかった。

 そして、あまりの疲労に脳が疲れていたのだろうか。気づけばその美青年を背負いながら帰途についた。素直にその美青年を連れ帰ってしまったのだ。

 助けを求める彼の姿がまるで捨てられた犬のようで、実家でも犬を飼っていた犬派の水原は、彼を放っておくことができなかった。「他人を家にあげるのは何年ぶりだろうか」と疲れた脳の片隅で水原はぼんやりと思った。



 帰宅後、倒れていた彼を真っ先に風呂に入れた。水原自身はとりあえずタオルで体を拭いた。そして彼が風呂に入っていて一人でいる間、突然冷静になってプチパニックを起こしたが、まあここまで来たらしょうがないと謎の諦めモードになっていた。言い訳を脳内に並べて今の状況をなんとか正当化し続けては、きっと大事にはならない大丈夫、と自分自身に言い聞かせる。

「お風呂上がりました」

「わっ!びっくりした……」

 背後から聞こえた声に驚きながら振り返る。倒れていた美青年が立っていた。先程までの真っ白な顔面とは違い、血色が戻っていた。服も、悲しきかな彼氏なんておらず元彼の服もなかった水原の家には男性用の服が無かったため、愛用のゆるめサイズ男女兼用スウェットを貸したのだが、無事着れたようだった。

 背負って帰ってきた時も感じたが、恐らく彼は成人男性の中では軽く細いのだ。身長と見た目的には成人しているはずだが、それにしては骨格は細い。そして顔も中性的。そして恐らく髪を伸ばしてメイクをしてしまえば女装も似合うであろうほどには顔がいい美青年ときた。まるで少女漫画のような展開。

 まじまじと見つめる水原に気まずく感じたのか、美青年が口を開く。

「あの、突然なのに助けてくれてありがとうございます」

「いや、別に……。救急車呼ぼうにも携帯持ってなかったし。とはいえあのまま帰っても気が気じゃなかったろうから……」

 水原は顔の良い美青年からの素直な好意とその眩しさに顔を直視出来ず、つらつらと言い訳がましく言葉を述べる。するとどこかからか元気なお腹の音が聞こえた。おそらく、美青年のお腹から発された音。

「えっと……何か食べる?簡単なものしか作れないけど」

「いいんですか!?ありがとうございます!」

 幻覚の耳としっぽが見えそうな彼の返答にまた目が顔の良さでやられた水原は顔を背ける。急いで適当にご飯を作った。一人暮らし歴も長く、なんか趣味に出来るのではないかという下心もあり料理をしてきた水原はズボラ飯には多少の自信があった。

 酒のつまみにするつもりだったもやしと豚バラ肉をフライパンで焼いていき、ゴマ油、鶏ガラの素、豆板醤を目分量で適当に入れて炒めてしまえばなんか美味いやつ炒めの完成。それをご飯にのせて卵をのせれば、一人暮らし女のなんか美味いやつ丼の完成である。

 他人に料理を振る舞うなんて久々であったがため少し緊張したが、出された料理を美味しそうに食べる美青年を見れば、その緊張も落ち着いた。

「美味しい!」

 そう満面の笑みを浮かべながら食べ続けている美青年を見ているとほっこりした。彼氏がいたらこんな感じなんだろうなあ、しみじみしていると、気づけば丼の中身は空になっていた。

「ごちそうさま!美味しかった!」

「ならよかったよ」

 食器を台所に持っていき洗い物をしていると、いつの間にか彼が隣まで来ていて、私の顔を覗き込んだ。

「お姉さんって彼氏いるの?」

「いないよ」

「へぇ、意外。そんなに綺麗で、料理も美味しいのに」

「そんな褒めたって何も出ないよ」

 自分で言いながら、虚しさと滲み出るおばさん感に苦笑いしか出なかった。

「ならさあ、また俺にご飯作ってよ。ダメ?」

「ぇ、?」

 突然の提案に水原は挙動不審になっていた。だって、ほっこりしたから忘れていたけど、考えてみれば今日初めて会った他人だし、そもそもこの人の身元とかもよく分からない。

「急にそんなこと言われても……」

「今日の分のお礼もしたいしさ。それに、」

 ぐいと彼の顔が水原の耳元に寄せられる。

「お姉さんって彼氏いないんでしょ?なら都合のいい女になってよ。そしたら俺、お姉さんの都合のいい男になってあげる」

 ダメ?と後押しされてしまえば、水原の心の弱い部分が揺らいでしまって、思わず本能で頷いてしまう。あー、もうどうにもなってしまえ、とやけくそモードになっていた。

「ん、ありがとう。そしたら連絡先交換しよ」

 メッセージアプリの連絡先を交換する。彼のアカウントのプロフィールの名前欄には「三毛猫」と書いてあった。

「三毛猫?猫飼ってるの?」

「いや、飼ってないよ。それあだ名。三毛って名字だし、猫っぽいって言われるからそれにしてるの」

「そうなんだ。そしたら三毛くんってよんでいい?」

「いいよ〜」



 その日から、水原と三毛くんの奇妙な生活が始まった。

 彼は大体週末に水原の家に遊びに来ては彼女の作るご飯を食べる。そんな生活。最初は「この生活を続けていいのだろうか」と悩んでいた水原だったが、そんな感情は、これまでの孤独感を埋められる穏やかな日々を経て徐々に薄らいでいった。

 料理を食べてくれる相手がいることのありがたさを水原はこの生活を通じて身に染みて感じていた。彼が水原の料理を毎回喜んでくれるため、回数を重ねる度に水原は料理に手を込むようになった。料理自体だけではなく調理家電にも手を出し、彼に出す料理のレベルを上げていった。

 ついには料理を共に食べるだけでなく水原は彼と休日にでかけるようになった。水原が「一人じゃ行きにくいから」、と足が遠のいていたカフェや映画館に三毛くんと共に行くようになった。「まるでデートみたい」と水原が言えば、三毛くんはにっこりと微笑んだ。それがうれしくて、水原は余計に三毛くんとの時間を増やした。彼もそれを拒否することなかった。後には体を重ねることもあったが互いに拒むことなく受け入れていた。

 最終的に、水原の趣味は「三毛くん」になっていた。

 彼に喜んで貰えたらそれでよかった。水原は心の底からそう感じていた。感じていたはずだった。



 ある日の仕事帰り、職場から駅までの道にある雑貨屋さんの前で水原の足が止まる。店の入り口から見えたのはかわいい猫のマグカップ。三毛猫柄のマグカップを見た水原は、そのマグカップに一目惚れしてしまい、即購入を決断した。新たに三毛くん用のマグカップを買おうとしていたところだったので、ちょうどいいタイミングで出会えた、と水原は思った。

 るんるんで店内から出た水原の視界に入ってきたのは、三毛くんだった。声をかけようとした水原の体は、フリーズして止まった。

 三毛くんの隣には綺麗な女性がいたからだ。二人ともいい笑顔で話しながら歩いている。残念ながら、二人が話している内容までは聞こえなかった。それは距離のせいなのか、周りの雑踏のせいなのか、それとも襲いかかってきたショックの大きさ故かはわからなかった。

 水原は遠くに行ってしまった二人の姿を、最大限ズームしたスマホカメラで写真に収めた後、そそくさとその場から離れて帰宅した。何故か見てはいけないものを見てしまったかのような罪悪感に襲われてしまったのだ。今の水原と三毛くんとの関係は、何も悪いことはないはずなのに。自分でそう思いながらも頭は黒いもやにかかり、冷静な判断が出来なくなっていた。

 帰宅後放心状態になっていると、スマホに三毛くんかららメッセージが来ていた。アプリを開いてメッセージを確認すると、『今週末、遊びに行ってもいい?』の文字。水原はすぐに承諾した。

 そう、三毛くんの隣で歩いていた女のことを確かめるために。ここではっきりさせなければならない。そう強く思った。



「やっほ〜お姉さん」

 週末、水原の家にやってきた三毛くんはいつもと変わらない調子でやってきた。まるで何事も無かったですよって面で堂々とやってくるものだから、あまりの白々しさに水原は腹が立った。しかしぐっと堪えていつも通りを装う。

いつも通り、水原のつくるご飯を食べ終えた三毛くん。そして三毛くんから夜の誘いが来た時、水原は本題を切り出した。

「ねえ、三毛くん。聞きたいことがあるんだけど」

「ん~?何?」

「この女の人、誰?」

 そして水原は雑貨屋を出た後撮った写真を三毛くんに見せた。彼は顔色を一切変えずに淡々と答えた。

「あー、その人も都合のいい女の人。お姉さんには関係ないよ」

 あまりな言い分に水原は堪忍袋の緒が切れ、テーブルに自分のスマホを思いっきり叩きつけた。

「関係なくないでしょ。ねえ三毛くん?どういうこと?彼女とどういう関係なの?」

「別にお姉さんに言う必要なくない?関係ないでしょ」

「だから!関係なくないって言ってるでしょ!今三毛くんの前にいるのは誰?三毛くんのご飯作ったのは?私だよね!?私が三毛くんの誘い断ったことある?お願い断ったことある?なら私、都合のいい女だよね?なら私以外の女いらないよね?別れてよその人と!」

 怒りのあまりに水原は思ったことをそのままぶちまけてしまった。一方三毛くんの方を見れば、出たのはため息一つ。その余裕そうな状態の彼に、水原は余計に苛立った。

「なんとか言いなさいよ」

「なんとか言えって言われてもさ。別に俺関係もってる人は一人って言ってないし。別れる必要なくない?今まで通りの関係続ければいいじゃん」

「は?なんで?なんで私いるのにあの人と別れないわけ?都合のいい男になるって言ってくれたよね?全く都合よくないんだけど。どういうこと?自分だけよければいいわけ?この嘘つき!」

 感情を吐き出しつくしてしまえば、水原にはドッと疲れが襲いかかってきた。その時水原の視界に入ってきた彼の表情は、今まで見た中で最も冷たく、ひどくつまらないと物語るものだった。

「めんどくさ。てか、俺嘘ついてないよ。俺さ、都合のいい女になってくれたら、都合のいい男になるって言ったよね?」

「今のお姉さん、都合のいい女じゃないよ。彼女面が度過ぎてきてるなって思ってたところだし。正直、面倒なんだよね」

「都合のいい人以外いらないんだよね、俺。他にも代わりはいっぱいいるし」

「それじゃ、ばいばい〜。お姉さん」

 ただ自分の主張を述べるだけ述べた三毛くんはそそくさと水原の家をあとにした。恐らく、もう二度と彼はこの家に戻ってこないだろう。水原は直感でわかった。

 メッセージアプリでメッセージを送るが既読がつく気配はない。ブロックされたのだろう。彼に言われた言葉が水原の脳内を延々とめぐる。

「何よ、都合のいい女じゃないって何よ。今まであんなに尽くしてきたのに。どんな要望に応えて来たのに。でも結局は私の元から去るなんて。お前こそ、都合のいい男になってくれなかったじゃない。何よ何よ何よ!」

 溢れた感情のままに暴れて我に返れば、視界に広がるのはただただ荒れた部屋。そして残されたのはみっともなく暴れていた家主ただ一人。怒りさえ空虚な気持ちに変わっていく。どうしようもなさに襲われて、その場にへたり込む。

「……しょーもな」

 自嘲とともに残されたのは、虚しさと中身が何も無い空っぽな元の日常だけであった。

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