第27話 物語


 私は妹としてここにいる。シャハラザードの妹、ドニアザードの一人として。

 王の寝所は塔の一番上にある。こぼつわれつ倒壊を続ける蜃気楼の塔の中で、妃たるシャハラザードは永遠の夜を敷いて王に語り続ける。同じ名を共有する複数の妃たちは階下に控えていて、王が眠りに入った隙に次のシャハラザードと入れ替わり、王が目を覚ましたらまどろみのうちにこう囁くのだ。さあ幸多き美しき王よ、あなたの従僕が話ししましょう、昨夜のお話の続きを、銀貨三十枚で主人を売った卑しき召使いの話を、と。

 すべては己と、すべての妃たちの首をつなぎとめておくために。

 王は何も尋ねない。窓という窓を夜で覆った寝室で、まどろみのうちにある王は語り手が入れ替わったことにも気づかず、話の続きを許す。彼の妃が何人いたところで、王の傍らで話の続きをするシャハラザードは常に一人であり、それがたとえ千人であろうが一人であろうが王に与えられる物語は決して揺るがない。それはさぞ甘美な夢であろう。だから私は、王は気づいていながら気づいていないふりをしている、という説をひそかに抱いている。口には出さない。これは塔にいるすべての語り手にとって暗黙の了解だ。物語は語り手と聞き手の共犯の元に成立している。

 だから私は長床を覆う薄布の前に跪き、妹としてシャハラザードに物語を乞うた。もっとも末に生まれた姉、もっとも貞節の厚き機械仕掛けのシャハラザードというのがこの、ラジオの身であるシャハラザードだ。角の丸く、冬空の青色にオレンジの一条を引いた外装をまとったオールドラジオ。私は姉様のためにマッチを擦ってランプに灯を入れた。冷たい手のシャハラザードは、王のために織られた無限のタペストリーに身を埋め、

「聞いてくださいますか」

 とノイズ混じりの声で言った。


「高貴にして寛大なる王様、私は鬼神の物語をお聞かせいたします。天に輝ける星々に誓って嘘は申しません。私の家にはある精霊の話が伝わっておりました。父から子に、その子がじゅうぶんに大きくなった頃合いを見て伝えられるのです。けれども王様、この精霊の名をたやすく口にすることはまかりなりませぬ。かれは名を口にするものの隣に立つのです。うかつにそんなことをしては、いつ私やこの妹が悪魔に変ずるとも知れません。

 しかしながらかの精霊は、魔術書の言うところの木曜日の天使、大気の天使でございます。かれは火の中に居りて、時おり長く人間じんかんにあることを好むのです。強大な悪魔ではありますが気分次第では好意的に振る舞う。悪魔であり天使であるというこの両面性をもって、悪魔祓いの法では退散させられぬ、恐ろしい魔物がこの精霊であるのです。

 さて、かの精霊は地上へと降り立ちました。かれは特別のときには青空の色をした外套をまとい、人々の間に交じって、かれのなすべき役目を確実になしとげました。石工の枕元でかの方の御膝に寄らんがため塔を築けよとささやき、閉架書庫の一冊の魔術書に栞を挟み、林檎の樹を育む子供に盗賊の隠し財産の居場所を教え、蛇使いとして祭りの夜に街路で人を待つ。かれに与えられた役は様々で、眠ることを知らぬ精霊はごく勤勉に働き、そして恐ろしく長き滞在の果てに倦んでしまったのです。

 王よ、眠れぬ夜の長きことを知る王よ、かれの苦悩がどれほどのものであったのか、王様はよくご存じであることでしょう。

 かれは自らの足を切り落としました。もうどこへも行かなくて済むように。足がないのであれば腰もいりません。ものを食べずとも済むように臓腑も捨てましょう。もしかしたら心というものは心臓にやどるのではないでしょうか。もしそうであれば、心臓をくりぬいてしまえば何も感じずに済むかもしれません。そうなると全身に血を送り込む必要がなくなるのですから血管もいらなくなります。また、骨だけが残ると不格好ですし、長床に横たわるときに尖った先端が毛布を引き裂いてしまいますから、骨も丁寧に抜いておきましょう。それから手、それから腕。せかせかとペンを運ばせる手なんてものがあるから、働かなければならないのです。実際に、最後まで精霊のために働いてくれたのはこの両腕でした。だからかれは最後に両腕に暇を与えて、それでやっとひと仕事を終えたのです。やっとです。最後の大仕事はなんと長かったことでしょう。けれどもやっと終わったのです。かれはこたびの滞在のあいだ、心ゆくまま眠るにまかせて過ごすつもりでした。


 、あなたにとって予想外であったのは、あなたが捨てた身体のほうが、あなたを放さなかったことでしょう。


 木曜日の精霊は、戦場にあって病めるものに活力を吹きこむ生命の根源。よもや自らが活力を吹きこまれる側になるとは想像もしていなかったのです。首だけになったあなたはその目で、切り落とした肉と肉が手と手を結ぶように癒着するのを見た。その耳で、臓腑がのたうちながら皮膚の中に押しこめられていくのを聞いた。止めるすべはなかった。あなたのものでなくなった身体に、あなたは何も命じることができなかった。ならば唯一望みを賭けるとすれば、身体があなたを見捨てて立ち去ることだ。すべての命令から解き放たれて、望むままの自由を謳歌すること。そうすれば、倦み疲れた心が望んだ最初の願いは満たされる。

 けれどもうまくいかないものですね。身体のほうはあなたを見放さなかった。あなたであった両手があなたを持ちあげたとき、あなたはすべてを諦めたのです。だからといっていけませんよ、いくらご自身の胸の内を語りたくないからといって、機械仕掛けである私の口を借りて、こんなことを語らせたりして。これは本来あなたが語るべき物語ではありませんか」

 薄布をもたげる。長床では眠りを妨げられた首がうるさそうに歯を噛んでいた。

「ここで朝日が昇り、ラジオが語りをやめるときとなりました。」

 イフタフ・ヤー・シムシム!

 そう言ってシャハラザードが締めくくり、いよいよをもって夜を覆う天蓋が取り払われた。


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