悪辣魔女は、目立ちたくない……

渡辺 花子

第1話 数分前に……

 今日は絶対に、何としてでも晴れる必要があった。

 この日を祝うかのごとく、汚れのない真っ白な雲が浮かんだ澄み切った青空がどこまでも永遠に広がっていないといけない。

 だって、世界中の人々が、その完璧な青空を見上げ、平和と二人の新たな門出を祝う結婚式なのだから。

 もちろん、ただの結婚式ではない。

 世界を絶望から救った救世主と呼ばれる魔女と、その守護者で同じく救世主の一人である男が結婚するからだ。



 この世界は百年に一度、魔獣が大量発生する。原因は解明されていない。百年という期間が魔獣の生まれる周期なのかもしれないし、何者かによる悪意なのかもしれない。何にしろ原因が分かっていないのだから、魔獣の発生を防ぐことはできない。

 ならば人間は黙ってそれを見ているだけなのかといえば、またそれも違う。

 魔獣発生と同じくして、人間の中から救世主が誕生するのだ。その救世主を人々が守り育て、戦う力を蓄えた救世主がこの世界を救う。そうやって歴史は繰り返されてきた。

 だが、今回は違った。

 通常であれば、十二歳の時に行われる魔力検定で救世主が見つかる。だが、一番重要な役割を担う光属性を持った魔法使いが、待てど暮らせど現れない。既に三名が救世主だと分かっていたが、魔獣を倒せるのは光魔法だけだ。三人はあくまでも、魔法使いの守護者だ。

 これでは世界は魔獣に喰らい尽くされてしまう。世界中が不安の渦に飲み込まれる中、各地で魔獣が発生し始めた……。国を挙げて魔獣討伐に臨んでも、ただの人間が束になってかかったところで魔獣を倒すことはできない。

 大気も植物も魔獣の毒気に侵され、青々とした緑の大地も川もみんな腐り果てる……。救世主不在のまま世界は混乱し、人々の未来は不安と恐怖の闇に染まった。


 その闇を薙ぎ払うように現れたのが、魔女だ。突然現れた魔女はシュリと名乗り、その美しさに誰もが呼吸を忘れた。

 穢れを知らぬ真っ直ぐなプラチナブロンドに、透き通るような白い肌。静かな深海のような瑠璃色の瞳には、決して諦めることのない意志の強さが宿っている。儚げにも見える身体からは、溢れんばかりの生命力が放たれていた。

 突然現れた魔女が魔獣を消し去った時。その光景を見た誰もが、あまりの神々しさから彼女が救世主であることを疑わなかった。


 救世主の四人は、三年に渡り世界中の魔獣を倒して歩いた。その中心にはいつも魔女がいた。世の穢れと不安を力技で払いのけ、人々に光と希望を与えたのが美しい魔女。

 彼女は世界中の人々の救世主であり、英雄だ。誰に媚びることのない凛とした佇まいは、誰もの憧れだ。

 そんな強く気高い魔女を一目見ようと、結婚式が行われるフーシュスト国には世界各地から多くの人々が集まり大盛り上がりを見せていた。


 強く美しい魔女の結婚と言うだけで話題なのに、この結婚にはロマンスまで付いている。

 救世主の旦那様は、彼女の守護者の一人だ。

 三年の長きに渡り常に魔女の横に立ち彼女を守り続けた男、アーディナル・フーシュストだ。

 魔女と守護者は、共に戦う中で信頼以上のものを手にした。

 愛、だ。

 世界の平和が、救世主と守護者という世界になくてはならない二人を結び付けた。

 この先に世界にまた不安が押し寄せても、愛し合う二人がいる限りこの世界は守られる。平和の象徴が永遠を誓うのだから、世界中が歓喜に包まれるのは当然だ。

 加えて、この盛り上がりは、魔女一人によるものではない。守護者であるアーディナルも、ただの救世主の一人ではない。この世界で一番の大国、フーシュシュト国の王太子で、魔女に引けを取らない美しい容姿をしている。

 肩よりも長いブロンドは、センターパートで少しだけ癖がある。シルバーグレーの切れ長の瞳は冷たく見えそうだが、いつも穏やかな微笑をたたえているので賢く優しい印象だ。特に魔女に向ける熱い視線は、尊敬と愛情がこもっていて、見ている方が照れてしまうと評判だ。

 そんな二人が結婚式で微笑み合ったりした日には、人々の悲鳴とジャンプで城が沈むかもしれない。

 そんな心配も半ば本気でされている。



 なんてね……。


 いや、今までの話はみんな事実だけどね。

 事実というか、この世界の公式情報という方が正しい。だって、嘘が混じっているものね。

 偽りの部分は、魔女とアーディナルが愛し合っているという点だけ。

 いや、もう一点。魔女とアーディナルの性格がね……。

 これはまぁ、嘘というよりは、あえて現実を伝えていないだけ。巧みに隠しているだけで、嘘ではない。

 ……うーん、ちょっと違うか……?

 嘘では、なかった。

 うん、これが正しい。

 嘘ではなかったのよね、数分前までは……。

 でも、今現在は嘘になった。

 とにかく、数分前とは状況が変わった。

 世界中の誰もが祝う魔女と守護者の結婚式だけど、私は何としても阻止しなければならない。

 なぜって? 私の穏やかな未来のためだよ!

 

 重すぎるウェディングドレスを抱えた私は、アーディナルの執務室に向かって転移魔法を展開した。




 突然現れた私に、アーディナルはもちろん護衛騎士であるジークハルト・マウンセンもギョッとしていた。

 アーディナルは「……一声かけろ。刺客かと思うだろう」とは言ったものの、数分前の私は神出鬼没だったから、さほど気に留めた様子もない。というか、私に何を言っても無駄だと諦めている。

 そんな関係性だったこともあって、ウエディングヴェールを振り回すほどの勢いで頭を下げ、早口でとんでもないお願いをした私によろめくほど驚いた。


 世界の評価によると、アーディナルは冷たい見た目とは裏腹に心温かな人だと言われている。

 いつも穏やかな笑顔をたたえていると評判の美しい顔が、今は珍獣でも見るような表情だ。しかもアーディナルの一歩下がった場所からも、ジークハルトが全く同じ顔を私に向けている。

 ジークハルトもこの三年間救世主として共に戦った仲間だけど、こんな表情は初めて見た。

 私とアーディナルが世界平和をもたらしたと前面に出ているけど、ジークハルトは私達の影となり大活躍していた。むしろ、彼なしでは世界は救われなかった。それくらい偉大な人物なのに、彼の名が語られることは少ない……。


 そう、それでいいのよ!

 表に立つ人なんて、一人いれば十分。それで世界平和の逸話は成り立つのよ! だったら心優しきアーディナルがいれば問題ない! どうしても私が必要なら、物語の欄外にでも一行加えてくれればいい!


 表舞台から逃げ出そうとする私に向かって、アーディナルは改めて眉をひそめた。彼のシルバーグレーの瞳が、私の一挙手一投足を逃すまいとしているのが分かる。

「……何を言っているのか、理解できない。もう一度、言ってくれ」

 背後のジークハルトもうなずいている。


 アーディナルの気持ちは分かるけど、私からすれば何度言わされても答えは同じだ。そして、今の私は、何度だって頭を下げる!


「……この結婚を、なかったことにして下さい!」



◇◇◇◇◇


読んでいただき、ありがとうございました。

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