ラピスラズリの魔法

弥生 菜未

序章

始まりの物語

 さらさらと流れる黒髪のように、粒の細やかな粉雪が降った日――――――。

『壊滅の魔女』は静かに眠った。


 ◇


 とある村に、一人の女の子が誕生した。村人三百人前後の中規模の村に、人知を超える力を秘めた赤子が。

 悪意ある人の手を近づけさせない強力な結界に守られ、結界が施す癒やしの力で飢えることもない。戦争時も飢饉の時も、死ぬことのない、傷一つ負わない、不思議な女の子。それは戦争で両親が死しても尚同じく。

 ある時は『幸運の子』と呼ばれ、そんな親のいない可哀想な少女を憂いて、村長が自ら保護した。


「雪のように真っ白な髪と肌、ラピスラズリのような青い瞳が美しい」


 村長は毎日のように、愛おしそうに赤子を見つめる。村人は微笑ましく思いながら、その様子を眺めていた。穏やかな日常が飢饉や戦争で失われてから、その幼く不思議な女の子が、癒やしとして村人の心の支えとなっていた。


 しかし、その数年後。村が賊に襲われ状況は一変した。

 村長が殺された。

 既に村人数十人程度の小規模な村の村人たちは混乱に陥る。飢饉、戦争だけならず、賊によって、悪人の手によって、次々に人が殺されていく。助けを求めるように村長の家へ転がり込み、戦慄する。村長、そして村長を襲った賊の死体の傍らで、無表情に虚空を見つめる少女がいた。

 阿鼻叫喚だった。耳を澄まさずとも聞こえる誰かの悲鳴。子どもの泣き声。呻き声。

 しかしながら少女にだけは、特別な時間が流れている。そこに静寂があった。

 疲弊した村人は次第に、少女を気味悪く思い始める。いつのことか、村人の一人は言う。


「この村に害悪がもたらされるのは、この少女のせいではないか」


 と。

 あぁ、そうだ。少女が生まれてからこの村は不運が絶えない。何十年に一度の飢饉が起こったのも、数百年は起きていなかった戦争が勃発したのも、今まで現れたことのない賊が村を襲ったのも、少女が生まれてからだ。

 きっと、そうに違いない。あの子は『呪いの子』だ。


 余裕を失った村人たちは、疑うことを知らなかった。誰一人として異議を唱える者はいない。


 ◇


 どこか感情が欠落していた。悲しいだとか、寂しいだとか、愛されたいだとか、当たり前にあるものを知らず、何を求めるべきで、何を我慢すべきか分からない。

 食べたい、寝たい、生きたい。そう願わずとも、不思議な力が叶えてくれた。もしかしたら本能が機能していないのかもしれない。

 やがて少女は善悪で物事を判断し始める。

 村長が殺され、人殺しが悪いことだと思ったから、賊に制裁を与えた。『呪いの子』とは何か知らないが、悪いと言われたのなら悪いのかもしれない。村人との関わりを絶ち、ひっそりと暮らす。否、暮らすというには粗末な小屋で、ただただ存在する。誰かに不快感を与えないように。村に平穏が訪れるように。そう、願って。

 ――――それが少女にとっての“当たり前”。


 前触れはなかった。突然に、ふらりと現れた旅人によって“魔法使い”という存在を知る。やがて村人は少女のことを『壊滅の魔女』と呼び始めた。

『壊滅の魔女』。それが少女にとって初めての“名”だった。それが唯一縋ることのできる、少女の居場所。

 抱かれる感情は恐怖でも良い。嫉妬でも、憎悪でも良い。村人が私に与えた名なのだから。親につけられた名は知らない。村長に呼ばれていた名も覚えていない。だから、意味を理解できなくとも『壊滅の魔女』という名が、少女は嬉しかった。痩せ細った腕で、かび臭い布団を力一杯抱きしめた。

 どうしてこんなにも喜びが込み上げるのだろうか。どうして居場所を求めるのだろうか。そんな疑問が浮かんでは消え、少女の心に何かを添えていく。


 だが、村人にとって魔女が未知の存在であることに変わりはない。深く根付いた悪評は拭いようがなかった。魔法がいくら便利だろうと、素晴らしかろうと、それは村を出た別世界の話。村人は少女を知らない。恐ろしくてたまらない。不思議な力を持って襲われたら、対抗のしようがないのだから。

 なにせ、何年も疎外し続けてきたのだから。反論のしようもない。

 村人との関係性は変わらない。相変わらず、怯え、憎しみの視線と、気持ち悪いものを見るような歪んだ表情が少女へ向けられる。


 精神的苦痛が原因か、身体的不調が原因か、少女は秘めた力魔力を暴走させ始める。

 村一番の花畑が焼け野原になった。

 一軒の倉庫が木屑となった。

 少女を止めようとした村人が、重傷を負った。


 悪いことだ。自分でも分かっている。


 それでも少女は自身が持つ力をコントロールすることができない。


 気がついた時には、辺り一面が灰と化していた。村人は、もういない。


 いつぞやの旅人が村へ訪れた。何というタイミングだろうか。どうか、どうか、私を殺してくれ。さぁ、今すぐに。

 旅人の剣が喉元に突きつけられる。悪意のない、悲しみに満ちたその一振りは拒まれることなく、少女を斬った。

 その時、少女に感情の欠落などなかった。少女はたった十二歳の、まだ幼い女の子。


「父さん、母さん、村長。私ももうすぐ、皆の元へ――――」


 悲しみ、寂しさ、虚しさ、嫉妬――――――。憎悪を向けられる度に心に添えられた『孤独』を抱えて、少女は目を閉じる。

 そうして、『壊滅の魔女』は死んだ。


 ◇


 転生という概念がある。肉体に秘められた凄まじい生命力が、一度離れた魂を引き寄せ、新しい生命体を生み出す。

 そしてそこに新たな魔法使いが誕生した。


 最期の記憶は、見知らぬ誰かを想って流れた、一筋の滴。間近に迫る剣先と人を想う“美しさ”が、忘れられない。


“あぁ、他にもあの美しさはあるのだろうか――――”


 美しさを知りたい。見た瞬間に頭が真っ白になるような、ひたすらに感動するような。自身が持つ醜さも、世界が秘める醜さも、それらすべてを許せてしまえるような。

 そんな美しさを探しに行きたい。


 美しくありたい。心も、姿も。それでいて、強い人間になりたい。

 複雑に絡み合った想いに美しさが秘められている気がする。

 旅人の涙が、少女の世界人生を変えた。


 これが、『宝石の魔女』ラピスラズリの始まりの物語――――――――。

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