XⅦ


「これは最悪ぞ、シャロン……!」

「ど、どうするの、ヘカテー!」


 通りへと飛び出したシャロンとヘカテー。

 遅れて半壊した骨董屋から姿を見せたのは〈聖人〉レイラ・キャットウォーク。

〈聖十字架〉と呼ばれる得物を担ぐレイラは殺意に塗れた表情をしていた。


「ていうかお店が⁉ どうしようこれ⁉」

「今はそんなことを気にしている暇はないぞ、シャロンよ!」


 慌てふためくシャロンの腕を引きつつヘカテーは迫りくるレイラを睨んだ。

 一歩一歩と確かな足取りでやってくる姿はさながらに獣で、飢えるような瞳にシャロンは背を震わせる。


「おい〈聖人〉! 〈神格礼装〉まで持ち出して、更には往来でなんという真似をしている!」

「名高きクロウリー家を相手取るとなれば相応の兵装が好ましいでしょう? それに周囲は既に我が支配下……逃げ場はないのよ、お嬢さん方」


 支配下という言葉にシャロンはようやく景色の様子を見渡す。。


「ひ、人っ子一人いない……!」

「〈地獄門〉とはまた違うぞ、シャロンよ。これは奴等十字の徒が好んで使う〈術式〉……〈十字軍遠征〉だ」


 周囲は閑散としていた。とはいえ昨日のような異界化とは違い、空の色合いも正常だったし空気も通常だった。

 にもかかわらず歯を鳴らす程に噛みしめるヘカテー。

 シャロンは静けさに満ちた景色に困惑するばかりだった。


「ふふ、よく知ってるわね。その通り……元は異教や異端殲滅の為に培われた技術。逃げ惑う魔に連なる者等を狩り殺すためにあるものよ」

「ふん、まるで〈黒魔術〉と変わらんではないか。利己を目的とした〈術式〉をよくもまぁ神の名の下に行使できたものだ」

「それが異端審問部の……〈十字軍〉の存在意義だもの。何も可笑しくはないわ」


 レイラはそういうと右手を二人へと翳す。

 掌には円形の陣が浮いていて、それこそが結界を構築する〈術式〉の正体だった。


「今の時世に〈十字軍〉を自称するとは笑止。やはり古来よりヴァチカンは野蛮極まるな……!」

「世を治めるというのはそういうことよ。悪しきを挫く為には力もまた必要なのよ」


 言葉を置き去りにしてレイラが景色を駆け抜ける。

 振りかぶるのは大上段に構えていた〈聖十字架〉だった。

 唸りをあげて振り抜かれると同時、生み出されるのは銀の衝撃だった。


「何度も何度もしつこい奴め! 神格を宿す遺物だろうとて神そのものという訳ではない! 故に魔の身であろうとも立ち向かうことは可能なのだぞ!」


 音の壁を幾つも貫きやってくる衝撃に対し、迎え撃つヘカテーは火炎を生み出すとそれを刃に見立てて景色を撫で、レイラの一閃と衝突し、激しい音を立てる。

 歯を食いしばったヘカテーは無理矢理に火炎を振り抜き、それにより銀の衝撃が粉砕された。


「ヘカテー!」

「下がれシャロン! お前は妾の主なのだ、それを護るのは妾の役目ぞ!」


 名高き冥府の主は事実として弱体化をしている。

 更には優位性もない結界の中において勝機は零に等しい。

 しかしそれでも彼女は女王ヘカテー。

 その地位を築き上げた過去や歴史、あるいは伝説の数々が彼女の闘志を鼓舞する。


「ふふ、そんな小さな姿なのに……ヘカテー? ヘカテーですって? オリュンポスを代表する最強の冥府神が無様になったものね」

「黙れ小娘如きが! 生意気な口をききおって、誠、この時代の者共は礼儀がなっとらんぞ、戯けがぁあ!」


 地を蹴りヘカテーへと接近するレイラ。

 陽の位から切上げに聖十字架を振るい、ヘカテーは返すように袈裟に火炎を振り下ろした。再度の衝突により銀の衝撃と火炎の波が周囲へと駆け抜けていく。


「ふふ、でもやっぱり弱いわよヘカテー。何故あなたのような〈悪魔〉がこの場にいるのか、何故あのクロウリーの末裔の傍にいるのか……謎は多いけど、それでも魔の大権現とあれば滅ぼさずにはいられない」


 一合、二合と互いは得物を交える。

 その度に大袈裟な音と衝撃が生まれるが、打ち合う都度にヘカテーは後方へと押されていく。

 それは体格差も勿論関係することだが、やはり弱体化している事実がこの状況へと至らしめた。


「ぐ、ぬ、ぬぅうう! 生意気なぁ!」

「ヘカテー……!」

「ええい、喚くなシャロン! お前はいいから逃げろ! 邪魔でしかない!」


 傍で手に汗を握り見守るのはシャロン。

 彼女はヘカテーの名を呼ぶが返事と言えば乱暴で、それにシャロンは少々黙する。

 だがしかし、意を決したようにシャロンは景色を睨むと、首にかけている鍵を手に古めかしい本を懐から取り出した。


(状況に納得なんて一度もしてないよ……昨日も、今日も、ずっとずっと! でもこのまま逃げても意味ないことくらい、私にだってわかるよ……!)


 果たして彼女に闘争の意欲はなかった。

 だが理不尽の連続に見舞われ、絶望に幾度となく突き落とされた彼女は、この時初めて〈魔術礼装〉――〈禍悪の花〉を己の意思で解錠した。


(お爺ちゃん……なんで何も教えてくれなかったのかはわからないけど、でも、きっとお爺ちゃんは私の為を思ってこれをくれたんでしょう。決して素晴らしいものとは思えないし、この世の悪徳を喰らうだとか、大袈裟でおぞましいものだけど……!)


 錠の外れた〈禍悪の花〉が静かに頁を開いた。

 頁からは暗黒の靄が吐き出され、内に火炎を意味するような色合いが覗ける。


「それは……!」

「ヘカテー! 受け取ってぇー!」


 レイラは再度〈聖十字架〉を大上段へと持っていこうとしたがシャロンの様子に気付く。

 彼女の手の内にある本こそは呪われし〈魔の経典〉だった。

 それを粉砕するべく英国へと渡ったレイラだが、溢れ出る異常量の悪性を感じると咄嗟に後方へと下がってしまう。


「ふ、ふふふ、ふふふふぅ……!」


 靄に包まれたのはヘカテーだった。

 立ち込める濃霧だが、そんな中から響くのはくぐもった声だった。


「上出来だぞシャロン! 褒めてつかわす!」


 その声の正体は女王ヘカテー。

〈禍悪の花〉から与えられた超濃度の悪性をたらふく喰らった彼女は元来の姿を取り戻した。

 両の手に火炎の刃を握りしめ、それにより濃霧を切り裂くと虚を衝くようにレイラへと肉薄した。


「先はよくも得意気にやってくれたな、弱小の人間如きが! とっくりと絶望を味わわせてやるぞ!」

「……! ふふ、中々の美貌ね、ヘカテー。でもさっきみたいな可愛らしい姿の方が個人的には好みよ……!」


 強襲に対してレイラは少々驚いた様子だったが、しかし努めて冷静に襲い掛かってきた二つの火炎を聖十字架でいなす。


「おぉおおお!」


 先のお返しとばかりにヘカテーは猛攻に打って出る。

 左右の得物を振り回し天地左右に軌道を描く。

 だが相対するレイラはそれらを見事に受けきっていた。

 七フィート規格の銀十字は全力を取り戻したヘカテーの火炎すらも粉砕する。


「な、なんで火炎が……! 今のヘカテーは元の状態なのに!」

「それが〈神格礼装〉と呼ばれるものなのよ、シャロン・クロウリー」


 一度大きな音をたててヘカテーとレイラは距離を隔てた。

 ヘカテーは天地に刃を備え、対するレイラは霞の位置に穂先を備える。

 シャロンにとって決着は早々につくと思っていた。しかし予想外の事態となり、思ったままの疑問を口にするが、それにレイラは気前よく答える。


「〈神格礼装〉……?」

「名の通りだ、シャロン。あれは神と同格の能力を持つ〈礼装〉……〈魔術礼装〉とは異なり、聖に特化した遺物よ」

「か、神と同格ぅ⁉」

「とはいえ神そのものではない故、絶対的な破壊装置という訳でもない。如何なる〈神格礼装〉といえど術者次第で能力も大きく変わってしまうが……」


 舌を打ったヘカテーはレイラを強く睨んだ。


「流石は〈聖人〉といおうか。貴様程の者が持てば〈聖十字架〉は破魔の力を存分に発揮するようだ」

「お褒めに与り恐悦至極。それで、どうするのかしら〈死の女王〉様。陛下自らが守護奉ろうとは中々にお笑い種だけども?」

「……ああ、元より妾は使役する側であり、使役されるだなんてことは本来ならば有り得ぬ。だがぁ……」


 シャロンは確かに見た。ヘカテーの額に浮いた青筋を。

 それは今にもはち切れそうだったが、ヘカテーが伏した瞳を見開いたと同時に、本当にはち切れてしまった。


「〈死〉を司るが故に妾がこのシャロンを冥途へと誘うのだ! それを許されるのは妾のみ! 調子に乗った神の犬如きが得意気にわんわんと吠えるなよ! こぉんの――駄犬めがぁあああ!」


 叫ぶと同時にヘカテーが生み出したのは火炎の渦だった。

 その大火は蜷局となり、天にまで昇る大きな規格へと成り果てた。


「なにこれぇー⁉」

「喰らえ小娘、地獄の業火をなぁああああ!」

「や、やり過ぎだよヘカテー!」


 指揮をするように腕を振るうヘカテー。

 その動きに倣うように火炎の竜巻は景色を走る。

 轟々と渦巻く大音響に発生する衝撃等にシャロンは地に伏せるが、そんな彼女はヘカテーに遅れた注意をする。

 だが時は既に遅く、レイラへと迫った火炎の竜巻は彼女を簡単に飲み込んでしまった。


「ふふ、ふははぁー! 思い知ったか人間如きめが! 妾に対する無礼千万、死んで詫びろ!」

「いやあれ死んでるよ⁉ なんてことをするのヘカテー! やりすぎだよ!」

「何をいうのだシャロン! あれはお前のみならず妾の身すら滅ぼそうとしたのだぞ! そんな奴は殺されて当然だろう!」

「そんな訳ないでしょ⁉ ちょっと懲らしめてあげる程度でよかったのにぃ……!」

「お前のいうことはあまりにも生温すぎる! そんなのでよくもまぁクロウリーの血を受け継いだなどといえたものだ!」

「名乗った覚えはありませんー! それに知ったのはつい先日ですぅー!」


 言い争う二人だが、そんな最中、渦巻く火炎の中に揺らめきが生じた。


「随分と余裕ね、お二方」

「「へっ」」


 互いの頬を引っ張り合うシャロンとヘカテーは、聞こえる筈のない声に同時に振り返った。


「地獄の業火とやらも大した程度ではないのね、ヘカテー」


 未だ天高く渦巻く火炎の柱。だがそんな渦の隙間から漏れ出したのは眩いばかりの純白で、輝きが生まれた刹那後、火炎の竜巻が消し飛んでしまった。

 熱波に伏せるシャロン。そんな彼女を抱きしめるようにして庇うヘカテーだが、彼女達は目を見開いたままに硬直してしまう。


「嘗めているのかしら。いったでしょう、私は〈聖人〉なのよヘカテー。手に持つ得物は〈聖遺物〉……この私の手に掛かればね、単なる冥府神程度……余裕も余裕で殺せるのよ」


 中から現れたのはレイラ・キャットウォーク。

 身に纏うローブのところどころは燃えていたり煤けていたり、部位によっては肌が露出までしている。

 だが外観の変化はその程度で、レイラは余裕の足取りで二人へと迫った。


「ぬうぅ、なんとしつこい小娘だ……!」

「あら、もしかしてもう降参だなんていわないでしょうね?」

「当然だ無礼者! こうなったらこの近辺まるごと〈地獄門〉へと招待してやるぞ……!」

「穏やかじゃないわね。でもね、私の立つ場で、いつまでも魔が優位だなんてことは……有り得ないのよ」


 その一言を口にしたレイラは担ぎ上げていた〈聖十字架〉をアスファルトへと突き刺した。

 その膂力はどこから出るのか、とシャロンは呆けたように口を開けるが――


「“之にゴルゴタの丘とする”」

「「んぐえぇ!?」」


 レイラの一言により手足が鉛のように重くなり地に伏してしまう。

 変化はヘカテーも同様で、勢いよく飛び掛かろうとしていた彼女は地に縫い付けられたかのようになってしまった。

 そんな二人を嗤いながら見下ろすのはレイラで、ピンヒールを鳴らし打ちつつ、静かにヘカテーとシャロンの傍へと寄ってくる。


「驚いたかしら? 〈聖遺物〉はそれそのものが〈礼装〉であると同時に〈術式〉なのよ。〈聖十字架〉こそは我等が神の子を磔にせし遺物。これの成る場は全て聖が優遇される場となるのよ」

「お、おも、いぃい……! なに、これぇえ……!」

「あ、悪性に反応しておるのか……! くっ、抜け出せぬ……!」


 完全に立場は窮地となり、シャロンもヘカテーも生きた心地がしなかった。

 面白いように笑みを零すレイラは懐を探ると短刀を抜き出す。


「〈魔の経典〉、更には魔の大権現と謳われた二つの脅威がこの様だなんて。シャロン・クロウリー……知識の拙い時分でよかったわ。アレイスターのように手に負えない悪逆の主になったらそれこそ恐怖だったわね」

「う、ううぅ……!」

「やめろ、おい! 貴様ぁ……!」


 シャロンの首筋へと刃を突きつけたレイラ。

 その様子に慈悲はなく、目的とする悪の討伐を果たそうとする。

 意地を見せつけるのはヘカテーだった。四肢の一つも満足に動かせない状態だったが、それでも無理矢理に身体を動かし地の上を這う。

 だが手を伸ばせども距離は遠く、いよいよレイラは刃によってシャロンの首を鮮血に染め上げる寸前だった。


「祈りなさい、シャロン・クロウリー。その悪しき魂が清められることを、そして世が救われることを」

「い、いやだ、死にたくない……!」

「いいえ、死ぬのよ。死ななければならないのよ、あなたは。何せその血に生まれたのだから。だから……お終いよ、〈禍悪の花〉」


 刃が薄皮を裂くのと同時にシャロンの脳内に様々な景色が飛び交った。

 それは所謂ところの走馬灯というものだった。


 そんな様々な中に見知った顔がある。

 出会いはつい先日のことで、それの情報をシャロンは碌に知りもしなかった。

 だがシャロンにとって、その男こそは危機を粉砕する存在だった。

 故にシャロンは縋るようにその名を叫んだ。


「シドぉおおお! 助けてぇええええ!」


 その叫びと同時、景色に響いたのは豪快な破裂音で、次いで甲高い音がシャロンの傍で響いた。

 前者の正体は弾丸を射出する音で、過多にも程がある火薬量と言えば、これまた通常とは程遠い規格の弾丸を非凡な出力で弾き出す。

 後者の正体はその弾丸がレイラの持つ短刀に着弾した音で、手元から吹き飛んだ短刀を見たレイラは、次いで音のした方向を睨み付けた。


「どうした、シャロン。怖い夢でも見たか。あるいは絶望に苛まれたか」


 その男はやってきた。

 右手に大型の回転式拳銃を握りしめ、左手には純銀製のナックルダスターを装着していた。

 香るのは薔薇の匂いで、身に纏うのは高級そうなスーツだった。


「お前は幼いが、こうも暴力にばかり晒されるというのは実に哀れだ。更にはその身を狙われる事既に三度。齢十二の子供がよ、そんな恐怖を幾度も味わう道理がどこにあるってんだかな」


 荒れ果てたアスファルトの上を歩く彼は大きな足取りだった。

 背は高い。七フィートにも及ぶ。

 恰幅は勇ましい限りで筋肉を鎧うかのようだった。

 相貌は獣然とし刈り上げた灰褐色の頭髪に疎らに生えた髭が性格を如実に語る。

 つまりは粗暴にして面倒くさがり。付け加えるならさっぱり派だ。


「早朝に仕出かしちまった俺はな、お前の機嫌をなんとか取り持とうと菓子なんかを買ってきたんだ。エッグタルトも買ってきたぜ。お前の好みはまだわからんが、どうだろうかな、中々悪くないセンスだと思うんだが……」


 レイラは男を睨みながら静かに立ち上がる。

 自身の懐へと手を突っ込むと新たに短刀を二本引き抜き二刀の構えとなった。

 だがそれを前にしても男は止まらない。

 その怒りに狂ったような表情で景色を射抜き、溢れる殺意をとどめることもせずに道を行く。


「さあ、ではシャロン。そんなお前は今、菓子を食えるか。あんな悲痛な命乞いをしやがって、更には酷い危機に晒されやがって。なんつー笑えねえ事態だ」


 シャロンも、そしてヘカテーも男の様子に息を呑む。

 レイラですらも額に汗を滲ませた。


「それで……何をしてんだ、お前。そいつぁ俺が預かってるガキだぜ、レイラ」

「久しぶりね、シド……!」


 男、名前をシド・フラワーショップ。

 職業は魔殺し屋。特技、趣味、生き甲斐の全ては総じて聖魔の討伐。

 魔殺しの名を持つシドが何故聖を相手にすることもあるか、というのは単純なことだった。


「実にお困り極まるガキ娘めが……今一度教育が必要か、レイラ!」

「まるで親気取りじゃないのよ、この糞野郎……!」


 それこそは彼が幾度も各教会から命を狙われたからだ。

 もっと言えば、それらは毎度返り討ちにしてきた。

 そんな彼と対峙をするレイラ・キャットウォークは、まるで怨敵と会敵したように激しい殺意を撒き散らした。

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