第46話 あなたが幸せであるように


 一日たっぷり遊んで、最後に街で一番小高い丘の上にやって来た。

 石階段をせっせと昇ってきたところにある見晴らし台からは、茜に染まる街の景色と、ぐるりと街を囲む石壁が見渡せる。

 家々からは煮炊きする白い煙が煙突から昇り、やがてそこかしこの窓に明かりが灯っていく。


「綺麗ですね」

「うん……」


 リリーはベアトリーチェに支えられながら、しばらくのあいだ街を眺めていた。

 ハロルドさんは少し離れたベンチで見守っている。

 俺もリリーの隣で同じように眼下に広がる景色を眺めていた。


 昔、前世での俺には、隣に立って景色を眺めてくれる人はいなかった。

 そんな余裕もなかったというのもあるけれど、思い出すのはいつも独りだった自分だ。

 大切な人は……誰かいたようにも思うのだけれど、曖昧でうまく思い出せない。

 でもきっと、その人は大切ではあっても、俺の心の穴を埋めてくれる人ではなかったのだ。


 今は、先生がいる。

 孤児院の仲間も、ばあちゃんも、ハロルドさんも。


 この街に来て、リリーはどうだったろうか。

 わずか2ヶ月ほどであったが、ずいぶん変わったように思う。

 よく笑うようになったし、いろんな人と話せるようになった。

 今日だって、見知らぬ店の人に話しかけられても、おずおずとではあるがきちんと受け答えできていた。

 それがたまらなく嬉しく、少し寂しい。


 ああ、いつの間にか本当の妹のように思っていたんだなぁ。

 じっと見ていたら、ふっとリリーもこちらを見た。

 目と目が合う。と、なんとなく気持ちがわかる。

 

「成長したんだなぁ……」

「?」

「あの、あなたがそれを言うんですか……いや、もう今更ね……」


 ベアトリーチェは、ちょっと飲み物を買ってきます、と言って離れていった。

 多分、気を使ってくれたんだろう。


「綺麗だな」

「ん……」

「今日、楽しかったか?」

「ん……」


 何か言いたいけれど、どうしていいかわからない、そんな表情をしている。

 ものすごく緊張しているのが伝わってくる。

 どうしよう、なんかこっちも変に緊張するなぁ。

 リリーが話始めるのを纏うかとも思ったが、最後は笑顔で、ってのが良いと思うし。

 よし、さりげなくお別れの挨拶を――


「わたし、がんばる」

「え?」

「がんばるから。いい、おんなになるからね」

「い、イイ女?」

「そしたら、きっとまたあえる、ってブリューさまいってた。だから、まってて」


 子どもになんつーこと教えてんだ、あのばあちゃん。

 だいたいイイ女になったからって、会えるとは限らんだろ。……とは、言えないよな。

 鼻息荒く拳を握りしめるリリーを見て、つい笑ってしまった。

 そして、なぜわらうの、と可愛く怒られて、また笑ってしまってさらに怒らせてしまう。


 ああ、この幸せな時間が、もう終わってしまうんだ。

 じわりと滲む視界を笑って誤魔化す。

 カッコ悪いな、俺。ベアトリーチェがいなくて本当に良かった。


 むくれてしまったリリーの髪を撫でながら、俺は自分の首から首飾りを外すと、リリーの首にかけた。

 驚き、目を見開くリリー。


「やるよ。これからも、リリーにいいことがありますように」

(おい、友よ、それは――)

「なんだ? 今いいところなんだから、大人しくしてろよ」

(む、むぅ……)


 五月蠅い影を踏んづけて、リリーの長い髪を首飾りにすっと通す。

 胸元に光る小さな石が夕焼けに淡く光って、よく似合っていた。


「うん、似合う似合う。やっぱりこういうのは美人が着けるもんだよな」

「……わたし、びじん?」

「ああ、今日あの店員さんも言ってたろ? 将来美人になるぞーって」

「ゾルバも、そうおもう?」

「思うよ」

「……そっか」

「これな、俺が生まれた時から付けてたものらしいんだ。だから、俺の代わりだ。きっとリリーを守ってくれる」

「いいの?」

「ああ。こいつも俺なんかより、可愛い女の子に着けててもらった方が喜ぶだろ」

「……ね、ゾルバ。ぜったい、またあえるから。まっててね」

「わかったよ。約束な?」

「うん。やくそく」


 可愛いと言われて嬉しくない女の子はいないだろう。

 真っ赤になってはにかんでいる。

 さっきからぐねぐねと悶えるように動いている影をさらに踏みつけて、俺はリリーの手を引いて、見晴らし台からちょうど孤児院の見える方の手すりに向かった。


 二人で孤児院を指差して、思い出を語る。

 本当にいろんなことがあった。良いことも、悪いことも。

 不安な気持ちは無いではないけど、今のリリーなら、これから先も乗り越えていけるはずだ。


 しばらくしてハロルドさんを連れて戻ってきたベアトリーチェが、首飾りに気付いて困ったような顔をした。


「リリア様、そ、それは?」

「ゾルバが、くれたの。……もう、やくそくしたから。わたしのだよ」

「……そうですか。いえ、よかったですね」


 ただ、大事なものは人に見せびらかすものではないから、服の中にしまいましょうね、と言ってシャツの内側に入れさせていた。

 ハロルドさんは神妙な顔をして、


「ん~……。なあ、坊ちゃん、良かったのかい?」

「何が?」

「いや、何って……」

「いいって、別に。先生は、親の形見かもしれないって言ってたけどさ。俺からすれば顔も知らないし、やっぱああいうのは女の子が持つもんだろ」

「そういう意味じゃないんだが……ま、坊ちゃんもその辺は子どもってことか」


 ハロルドさんは意味深に笑って、二人ともまだ子どもですから、とベアトリーチェも同じことを言って頷いていた。


(まったく、我が友は女たらしじゃなぁ)

「何でだよ」

(それより、儂が言うのもなんじゃが。あの首飾り……あれはこの世に二つとない、いわゆる不世出の逸品ぞ)

「へー、そうなのか?」

(応よ。儂の知る限り、あれより価値の高い首飾りは見たことがない。手放してしまってよいのか?)

「さっきも言ったけど、いいんだよ」

(そうか。我が友は剛毅よなぁ)


 なるほど、もしかしたら、あの二人が何か言いたげだったのは首飾りの価値が何となくわかったからかもしれない。

 そんなにすごいものとは知らなかったが、だったら尚更俺なんかが持ってるよりもずっといいよな。今世の親には悪いが、持つべきものが持つのがいいのだから、許してくれ。


 帰り道、リリーがこっそりと、俺にプレゼントをくれた。

 昼間に寄った露店で買った、小さな指輪だ。

 今日のためにベアトリーチェから貰ったお小遣いを全部使ってこれを買ったのだった。

 飾り気のないシンプルな子ども用のものだが、リリーの瞳に似た綺麗な色をしていると言って俺が選んだのだ。


「くびかざりと、こうかんこ。……ないしょ、だよ?」


 内緒だ、と言うので、指には嵌めずにしまっておくことにした。あとで紐でも通して、首にかけられるようにしておこう。


 月の無い夜に、冬の一等星が輝いている。

 その傍にいくつかある赤や青の煌めく星たちを見ながら、リリーが俺の手を握る。

 俺は星に願う。どうかこの子の未来が幸せでありますように。

 あの二つ寄り添った星はわたしたちかしら、なんてリリーが言って、俺たちも仲間に入れてくれよ、とハロルドさんが入って来て、四人手をつないで親子のように並んで歩く。

 星明かりに延びる五つの影が、仲良く地面を進んでいった。

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