第42話 地獄蟻 vs 悪魔憑き 4

 ◆◆◆


 目を覆うほどの眩い光が私たちを包む。

 そして間もなく、静寂とともに異変も治まった。

 ――いや、異変は既に起こった後だった。


「い……いったい、なにが……」

「マルス騎士、無事か?」


 ハロルドさんに支えられ、私は体を起こした。

 そして自分の目を疑った。


「なにが……起きたのだ……」


 隊長が呟く。

 隣でハロルドさんも息を呑んでいる。無理もない、こんなことが――


「砂地が……一面、花で覆われてる……?」


 怨嗟地獄蟻の砂地獄の能力や吐き出した毒酸のせいで、どこもかしこも酷い有様になっていたはずの大地が、どういうわけか一瞬で緑化されていた。

 恐る恐る手を伸ばして触れてみる……間違いなく本物だ、幻覚なんかではない。

 さっきの光が、砂漠化し毒に侵されていた大地を復活させたというの?


「こりゃあ……俺の目がおかしくなったんじゃあないよな? マルス騎士」

「ええ……。本物の植物、です。魔術でできた作り物ではなく」

「信じられん……これをいち人間が為したというのか……あの、子どもがか?」


 隊長は口元を覆い、剣を取り落とした。

 こんなことを、こんな神の奇跡のような御業をやったのは、本当に彼なの?


「ハロルドさん……悪魔とは、こんなことが出来てしまうものなのですか?」

「馬鹿言え、そんなわけないだろう。こんなことが出来るのは――」


 ハロルドさんは言葉を詰まらせる。

 徐々に薄煙が晴れ、その向こうに佇む彼らの姿が映った。

 あの絶望の化身のようなモンスターは、どこにもいなかった。

 その骸の上に浮かぶ彼。

 頭上に光輪を抱き、背から翼をはやしたその姿はまるで。


「天使……」


 隊長の口から零れた小さな一言が、この戦いの終局を告げていた。


 ◆◆◆


「満足したか? 悪魔」

(う~ん、微妙じゃな。まだまだ暴れ足らんわ)


 こんなトンデモナイことしでかしといてよく言うぜ……。

 見渡せば、流砂で崩れていた坂道も、毒に溶かされ煙を上げていた丘も、ものの見事に満開の花畑に変わっていた。

 俺と蟻野郎のいた場所だけじゃない、半径にして一里くらいの一帯が影響を受けているようだ。


「すげぇな……」

(言っておくが、儂がやったのではないぞ? 儂はあくまでも力を貸しただけ。これをやったのはお前だ)

「俺が……」


 これをやったってのか。

 確かに、だ。

 力でアイツを止めることはできない。ならどうすればいいか。

 そこで考えたのが、奴を倒すのではなく、みんなを守るためのイメージ。

 力づくでぶっ飛ばさなくても、アイツを抑えられれば、という発想だったのだが。


(対象の魂へ干渉し、能力を無害化。生命力の鎮静・再生・活性化。そして汚染された精神を浄化し、エナジーを抜き取って解放させた……か)

「うっそだろ」


 それって強制的に昇天させたようなもんじゃん。

 俺はただ、アイツの強すぎる力を和らげて落ち着かせようと思っただけなのに……。


(憤怒、焦燥、恐慌。それらを鎮静化させ、荒れ狂うエナジーを抜き取り、大地に還元させた。そして……魂に干渉した際に、触れたはずだ。奴の精神にも)

「……ああ」

(理解できなかったろう? モンスターの精神構造など、理解できなくて当然だ。お前が気に病む必要はない)

「……でも、俺が最後に感じたのは、そういうんじゃなくて……」


 疲れた、って感じだった。

 浄化の光で暴走状態を取り去ったあとのアイツの心は、もう眠りたいって思っていた。

 いつまでも満たされない飢えと空腹感。

 故郷から離れてしまって、独りぼっちであてもなく彷徨って、アイツの心はもういっぱいいっぱいだった。

 混乱と苛立ちから解放されて、そのあと願ったのは休息じゃなく……終息だった。


(まぁ、消滅はあくまでも奴の選択だがな。力を吸収しつくしたわけではないのだから、死ぬことはなかったのだが、アレは精神が安定し自我を取り戻したところで自らの終わりを望んだ。アレがいたであろう場所と違って、ここには地脈の噴出口がない。まして自身も恐ろしく弱体化してしまって、生きていく意味を見出せなかったのだろう)


 そうなのかな。

 それでも、引導を渡したのは俺だ。

 引き金を引いたのは間違いなく俺だから。


「……生まれ変わったら、今度は腹いっぱい食えるといいな」

(では、ささやかだが祈ってやるか)


 今のこの格好なら、ちょうどいいや。

 俺たちは手を組んで祈る。

 母なるメーテル神よ、どうか安らぎを与えたまえ――。


 ◆◆◆


「馬鹿な……あんな子どもが、災害級を一人で倒しただと……」

「……あれが悪魔憑き……強すぎる」

「いや、あんな姿をした悪魔は聞いたことがない」

「そうだ、あれでは……いや、そんなことあるはずが……」


 あんぐりと口を開けるアドラーや、冷や汗を垂らし後ずさる騎士たちを横目に、俺はリリーとベアトリーチェのもとへと降りていく。


(まるで珍獣じゃな)

「悪魔の間違いだろ」


 地面に立つと、背中の翼や光輪が消え去り、俺の体も元通りの五歳児に戻った。

 騎士たちが遠巻きに見る中、ハロルドさんがふらつく俺のもとへ駆け寄って来てくれた。


「坊ちゃん!」

「へへ……まだ俺のことそう呼んでくれるんだ?」

「なに?」

「いや、こんなバケモンみたいになっちゃってさ」

「……馬鹿言え」


 ごちん、と拳骨が落ちる。

 

「そんなに信用無いかい? 俺と坊ちゃんの仲だろう?」

「……ありがと」


 涙目で見上げた先には、怒ったような呆れるような、優しいハロルドさんの笑顔があった。


「ゾルバ!」


 ベアトリーチェの腕の中から、リリーがいてもたってもいられないと走って来る。

 そして俺の胸に飛びこんでくるのを、今度はしっかりと正面から受け止めた。


「遅くなってごめん。もう大丈夫だから」

「うん……うん……」


 ぎゅっと抱きしめて、頭を撫でてやる。

 すると、その上からベアトリーチェがそっと手を重ねた。


「馬鹿。心配したんですよ」

「悪いな」

「まったくです」


 ベアトリーチェと互いに笑みを交わす。

 そこで、ふっと燃料が切れてしまったみたいに、俺の意識も再び暗闇に消えた。

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