第14話 リリーの魔法教室


 目を覚まし時計を見ると、昼を少し過ぎたあたりだった。


 「っ、いって」


 殴られた跡が痛み、思わず声が漏れる。

 ばあちゃんの薬は天下一品だが、塗ってくれた薬には即効性はないよ、と言っていた。

 曰く、取り返しのつかないような怪我じゃないから、魔法ですぐ治る万能回復薬とかじゃなくて、ちょっと治癒力を高めるための軟膏だそうだ。

 ばあちゃんは免疫力が落ちるとかおいそれと薬に頼るもんじゃないとかなんとか言って、あまり薬を使うのを善しとしない。薬屋のくせに、滅茶苦茶言っていると思うんだが。


 「いたい?」

 「ああ、いや。平気だ、これくらい」


 リリーは口を一文字にきゅっと結ぶと、上着をめくり上げて、青くなっている痣にそっと触れた。

 


 『よくなって』

 「えっ?」


 リリーが呟くと、指の先にほんのりと光が集まり、触れた個所から温かい何かが俺の体に流れてくるような感覚がした。

 驚いて顔を上げると、少し息を切らせた彼女がにっこりと笑った。


 「リリー、今のは……」

 「まほう。ちゃんとできた」


 光が消えると、ほんの僅かではあるが痣が小さくなっていた。

 ……正真正銘の回復魔法だ。初めて見た。


 「魔法が使えるのか?」

 「すこしだけ、ならってた。みんなにはぜんぜんだめっていわれるけど」

 「いや、すごいよ。使えるってだけですごい。俺なんて全然だしさ」

 「そう、かな」

 「そうさ。ありがとな、治してくれて!」

 「……うん!」


 少し汗ばんだ顔を拭ってやる。

 ハロルドさんは確か、俺ぐらいの年から魔法教育を受けているのは貴族でもほんの一握りだと言っていた。

 彼女は俺が思っていたよりずっと身分の高い人物だったらしい。


 「まあ、だからって今さら態度を変えるのはおかしいよな」

 「?」

 「なんでもないよ」


 無邪気に抱き着いて来るリリーを受け止める。

 本当はこんなことも許されない身分かもしれないが、そこはそれ、子どものすることだから。

 ベアトリーチェも彼女の交友関係を気にしていたようだったし、もしかしたら今までも寂しい思いをしてきたのかもしれない。


 「いいなあ。俺にも魔法が使えたらな」

 「……おしえてあげようか?」

 「えっ、マジで!?」

 「きゃっ」


 思いがけない一言に、つい興奮して押し倒してしまった。

 鼻先が触れるくらいの距離でリリーと見つめ合う。

 この子、ホント可愛い顔してるな。 

 しばらく見ていたら、段々と頬が赤く染まり、涙目になってきたので慌てて離れた。

 

 「こほん。えと、それで、ホントに教えてくれるのか? 魔法」

 「……わたしも、じょうずじゃないけど。きそ、くらいなら」

 「マジか! ありがとう!」

 「う、うん。えへ……」


 両手を握りしめて礼を言うと、あどけない顔ではにかんだ。

 整った顔立ちも相まって、目の前の少女が天使のように思えた。


 昼食を済ませると、さっそくリリーに教えを乞うことにした。


 「じゃあ、お願いします。リリー先生」

 「……う、うん。りりーせんせい……」

 「あ、ごめん、嫌だったか?」

 「ううん、そんなことない! そ、それじゃあ、せんせいのいうことをちゃんときくように!」

 「は、はい、先生」


 腰に手を当てて、それっぽくポーズを取るリリー。

 いかんいかん、つい噴き出してしまいそうになるが、笑ったらきっと機嫌を損ねるだろうからな。

 

 「それじゃ、さいしょはまりょく、かんじる。て、だして」

 「ああ」


 俺が手を出すと、隣に腰掛け、上と下から挟むように手が添えられる。

 小さいのに指がすらっとして綺麗な手だ。色も白くて染み一つない。


 「あ、あの、め、とじてて」

 「ああ、悪い」


 言われた通りにしていると、彼女の手からじんわりとした温かさが俺の手を伝わり、そのまま通り抜けてまた彼女の手に流れていくような感じがした。

 これが魔力なのか?


 「いま、わたしのまりょくをとおしてる。わかった?」

 「何かが俺の手を通り抜けていく感じがした」

 「もういっかいするから、とおさないように、とめて。じぶんのなかに、はいってこないように」


 全く訳がわからないが、とにかく力んでみたり、止まれ、止まれ、とブツブツ呟いてみたりする。

 しばらくやってみたがまるで成果は無く、やがてリリーがすっと手を離した。


 「どう?」

 「ごめん、全然わからない。やり方が悪いのかな」

 「だいじょうぶ、さいしょはいいの」


 いいらしい。


 「これでわたしのまりょく、おぼえたとおもう。こんどは、りょうてをだして」


 向かい合って右手と左手をそれぞれ重ね合せる。

 指と指を絡ませ、しっかりと握る。

 すると、右手にだけ魔力が通っているのが分かった。


 「いま、どっちにまりょくがきてる?」

 「……こっちだろ?」

 「せいかい。なんどもかえるから、あててみて」


 それから、リリーはランダムに魔力を入れ替え、俺に感じさせる。

 これは簡単で、一度も間違えることなく答えられた。


 「すごい! ぜんぶあたった」

 「いや、これはわかりやすかったし」

 「ううん。わたしはさいしょ、はんぶんもあてられなかった。ゾルバはすごい」

 「そうかな」

 「じゃあ、さいご。このまま、まりょくをゾルバのなかにいれる。からだのどこをとおったか、あてるの」

 「よしきた」


 リリーの手を通じて、魔力が流れ込んでくる。

 最初は、手から腕、肩を通って、そのまま反対の腕へ。

 しばらくすると頭の方や、胸、背中を経由したり、わざと右脚から左脚をぐるぐる周回したりさせて、全身で魔力を感じる訓練を行う。


 はじめはどうなるものかと思っていたが、リリーはなかなか教え上手だった。

 たった一日で、今まで感じたことも無かった魔力が感じられ、それが体を巡る感覚が理解できた。

 それに、魔力を操る様子を目の前で観察出来たのも勉強になった。

 同じ魔力を何度も自分と彼女の内とを往復させたことで、彼女の体に戻っていく際の魔力の流れや、彼女の体内で魔力が練り上げられる際の変化も追えるようになり、最後には手を放しても、彼女の内に魔力を感じることが出来た。


 「……ん、ちょっと、きゅうけい……」

 「ありがとう。疲れたよな?」

 「ううん、へいき……」


 時間にして二時間ほどだったが、終わったころにはお互いに汗びっしょりだった。

 俺の方は特に何もしていないのだが、魔力が全身を巡ることで身体が活性化したのか、全力で運動した後みたいに身体じゅうぽかぽかと熱くなっていた。

 かと言って気怠さも無く、むしろスッキリとした疲労感があって、全身が調子良く、怪我の痛みも引いているように思えた。


 「リリーは教えるのが上手いな」

 「そう? わたしがおそわったのを、そのままおしえてるだけだよ」

 「いやいや、じょうずだよ。ちゃんと俺の調子に合わせてくれてたし、将来は教師になれるな」

 「えへへ」


 恥ずかしくなったのか、俺の胸にうずまって顔を押し付けてくる。

 しかし、汗だくで濡れた服が気持ち悪かったのか、すぐに離れてしまった。


 「お湯、貰ってくるな。着替えたらご飯にしよう」

 「うん!」


 リリーを残して部屋を出る。

 ……今度は泣かれなかったな。嬉しいやら、寂しいやら。


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