脳筋だってVTuberになりたい!

蘇芳ありさ

第1話 脳筋が家族に応援されて第一歩を踏み出すまでの話




 ──2020年7月31日、国立代々木競技場。


「さあっ、東京オリンピック柔道・男女混合団体決勝はここまで強豪イギリスを相手に三勝二敗敗と勝ち越し……今ッ、日本の四連覇を懸けたバトンが日本の柔ちゃんこと小嵐梨花こがらしりかの手に託されました!!」


 降り注ぐ歓声とライトの照明がなんとも心地良い。

 すでに女子柔道・超軽量級を制して金メダルを獲得したが、最強を証明する闘いはまだ終わらない。

 事実上の無差別級となった決勝の相手は身長190センチ、体重110キロのイライザ・オークリー。

 女子柔道界の女王とまで言われる彼女は、わたしを小兵と侮ったのだろうか。力でねじ伏せようと開始早々に覆い被さってきた。

 その巨体で圧し潰し、重心が下がったところを刈る。悪い選択ではない。

 でもごめんね。わたしの中身はそこまで柔じゃないんだ。

 80キロの握力を誇るイライザに掴まれるが、わたしの握力は最低でも10トン。

 うん。漫画の知識を頼りに出来るかなって内緒でやってみたけど、木炭がダイヤモンドみたくなったからね。間違いないよ。

 掴み返す力の強さに驚き顔を歪めるイライザに心の中で謝りつつも、規格外の握力を実現させるわたしの筋肉は完璧に連動して山かと見紛うばかりの巨体を跳ね上げる。

 宙を舞い、引かれるままに背中から着地。激突の衝撃は最大限緩和したが、勝敗は子供の眼にも明らかだっただろう。


「決まったぁあああッ! 文句なしの一本ッ!! 小嵐ならぬ山嵐がこの決勝の舞台でも吹き荒れてッ、日本柔道団体ッ、堂々の金メダルですッッ!!」


 凄まじい歓声の中、わたしは床を叩いて悔しがるイライザに駆け寄ると、笑顔で右手を捕まえて握手した。

 やったぜ。これで契約完了とばかりに表彰後のインタビューに答える。


「おめでとうございます梨花さん、これで二つ目の金メダルですよ!?」

「ありがとうこざいます。でも柔道はこれで最後ですね」

「『えっ!?』」


 思わず悲鳴のような声を漏らした報道陣の前で高らかと宣言する。


「これからの人生はVTuberとして生きます。みなさん、VTuberになっても応援よろしくお願いしますね」


 その後は二の句を告げられずにいる人たちの間を縫って更衣室に逃げ込み、スマホで推しの配信を視聴しながら着替える。


『ねえ速報見た? 勝ったみたいだよ日本の柔道』

『見た見た! すごいよねぇ梨花ちゃん。あんなに小さいのに金メダル二つも獲っちゃうんだもん』

『もしもし玲央れおちゃん? 小さく見えるのは周りの人が大きいだけだからそんなに僻んだらダメだよ?』

『あれ? もしかして莉音りおん……今わたしの胸のサイズに言及した?』

『とにかく! 日本柔道団体金メダル獲得おめでとうこざいまぁ〜す!!』

『わぁー! おめでとうーパチパチパチ!!』


 ああ、リオ&レオほんと尊い……。

 そして推しに認知される幸福たるや、これまでの地道な苦労が消し飛ぶほどだよ。

 残念ながらさっきのインタビューはまだ公共の電波に乗ってないみたいだけど、もう少し待っててね。じきに会いに行くから。

 とりあえず残りの仕事はオリンピックの閉会式に参加するだけだから、中学最後の夏休み中に動き出す時間は十分に残っている。

 まずは明日になったら仲間を集めて今後の計画を練ろう。

 それからそれから……と、更衣室を出たらすごい形相のお父さんが待ち構えていたよ。


「どういうつもりだ梨花! 父さんあんな話は聞いてないぞ!!」

「え? 言ったじゃん。オリンピックで最強を証明したらもう闘う相手もいないし、柔道は辞めて別のことをするって」

「それは……たしかにお前の人生だ。したいことをしなさいと言ったが……VTuberブイチューバーとは一体どういうつもりだ!?」


 どうやらお父さんはVTuberの存在自体は知っているものの、その社会的な意義はかなり低く見積もっているらしく、必死になってわたしを止めにきた。


「お前は頭もいい……将来は父さんの跡を継いで、日本史上初の女性警視総監だって目指せる器だというのに、なんだってVTuberなんて」

「なんて……何?」

「あ、いや……」


 なんか馬鹿にされた気がしたので尖った声を出してしまったけど、まあ、お父さんがそう思うのも仕方ない部分もあるのだ。

 わたしの推しのアイドルVTuberプロダクション『エルミタージュ』は去年の暮れ辺りから勢いを増したものの、まだまだ世間一般に知られているとは言い難い。

 なんならVTuberという枠組み自体、なんか配信者の代わりに動く絵が喋ってるくらいにしか思われていない。

 それを思えばVTuberがどういうものか知ってる時点で、お父さんは十分に勉強してると言えるだろう。


「とにかく、わたしはもう決めたから。お父さんも一度約束したことはちゃんと守ってよね」

「む、むうっ……」


 お父さんはわたしがこのまま柔道を続けて、高校を卒業したら国立大学を受験し、将来は警視庁に勤務するものと決めつけていたけど、そうではないと散々に話し合ってきたのだ。

 そのときに条件として出されたのが、一度始めたことを辞めるなら結果を出せ……つまりオリンピックで金メダルを獲ってこいというもの。

 そこまで成し遂げたんだったら途中で投げ出したことにはならない。以後は自由な人生を応援する。お父さんはそう約束したのだ。

 それを今になって反故にする気はさすがにないのか、お父さんは納得しがたい表情で黙りこくってしまったけれども、帰路に着くわたしをそれ以上この場に押し留めようとはしなかった。


 さて、そんなわけで渋谷区の代々木から中野区の自宅までマスコミを避けて帰って参りました。たぶん平均時速40キロくらいで。

 本気を出せば新幹線にだって勝てるんだけど、あまり派手にやって人目についても面倒だからね。

 ただいまぁーと声を掛けてから玄関を開けて、待ち構えていた三匹の大型犬を撫で回し、紆余曲折経て今は二歳年下の妹と入浴中。


「はぁ……お姉ちゃんってホンット型破りだよねぇ」


 すると身体を洗って立ち上がったわたしを意味ありげに見つめてきた妹が、湯船の中から顔だけ出してそんなふうに言ってきた。


「ん? 柔道の話?」

「それもあるけどお姉ちゃんの身体」

「わたしの身体?」

「そう! 子供のときから柔道をやってるのにアザだけじゃなく、どこを探してもホクロもないのは知ってたけど……いくらなんでもあんなに動き回って衣擦れひとつ付いてないってのは流石におかしくない?」

「鍛えてますから」

「……鍛えてどうにかなるもんなの?」

「さあ? でも身体を鍛えて損することはないから、沙耶さやもやるだけやってみたら?」


 なんて妹の追及を煙に撒いたりもしたけど、実のところ言ってることはほとんど口から出まかせである。

 わたしが女子柔道界はおろか、祖父が師範を務める警視庁の道場でも無双できたのは、確証こそないもののわたしが所謂ひとつの転生者であることが大きいと思う。

 前世の記憶はほとんど無い。第二の人生を願った前世のわたしがどこの誰だったのか、以前の性別すら今となっては思い出せない。

 そんなものは推しに報いたいという強烈な願望ともう一つのものに塗りつぶされてしまった。

 前世の記憶を些事と切り捨てたのは、転生時に獲得した『黄金にして無敵の肉体』という物々しい特性スキル

 黄金の名を冠するこの身体は決して損なわれず、その輝きが失われることはない。つまりどんだけ不摂生な生活をしても体型が崩れることもないし、肌が荒れたり痒くなったりすることもないと……いや、もちろん女子としてそんな自堕落な暮らしはしないけれども。

 そして無敵──この肉体を用いて成す全ての事象には完璧な結果が保証されているようで、駆けっこや柔道といった運動方面だけじゃなく、なんならジャンケンやデパートのバーゲンに参戦しても無敵なのだ。

 それが祖父に初めて柔道着を着せられたときに転生者として覚醒して以来、これまでの人生で検証してきた自身の能力の詳細である。

 ま、それが祟って初めて立ち会った祖父を投げ飛ばしてからというものの、やれ天才だと持て囃されて余計な回り道もさせられたけど……悪いことばかりではない。

 おかげで父の勤める警視庁はもちろん、JOCや文部科学省など味方もいっぱい増えた。

 他にもスポンサー契約で自己資金は十分。マスコミにも露出して顔と名前も売ってきた。

 そんなわたしがVTuberに転身したらそれなりの反響はある。

 すでに登録済みのSNSには30万人近いフォロワーがいるし、試しに開設した動画サイトのチャンネル登録者数も、過去に一回しか配信していないのに10万越えだ。

 以前のオーディションで『ご両親の賛同を得られない未成年の方は、さすがに……』って門前払いを食らわせてきたエルミタージュの固い門扉も、今度こそこじ開けられるだろう。

 たださすがに、何一つとして問題なしというわけでもない。

 VTuberになるための準備は万全でも、さっきのお父さんのように保護者の了解が得られているとは言えない。

 そうなると何をするにしても法律上の制限にぶち当たる。この辺りはどんなに背伸びをしても未成年の辛いところだ。

 それに……妹の問題もある。

 別に不仲なわけではない。でもわたしが好き勝手やりすぎた弊害というものもあるのだ。

 優秀な兄弟姉妹と比較される辛さはわたしにも想像できる。

 わたしだって直径400キロの巨大隕石をパンチの一発で塵になるまで粉体できなくって、お前のお姉ちゃんなら出来たぞ、お前の所為で人類が滅亡したぞどうしてくれると責められたら凹まずにはいられまい。

 まあ、さすがに代々警官の家系の我が家にそんな馬鹿なことを言う人はいないけれども……そう思っていただけに、酷く打ちひしがれた妹の悲鳴はわたしの心を揺さぶった。


「はぁ〜〜! ホンット嫌になっちゃう。お姉ちゃんを見ていると同じ姉妹なのにどうしてこんなに違うんだろうって……」


 思わずピンと来たよ。あのいつも明るくって素直な妹がこんなこと言うなんて尋常じゃないって。


「ん? もしかしてお父さんかお爺ちゃんに何か言われた?」

「言われた……お姉ちゃんを見習ってもう少ししっかりしたらどうだって」

「よし、◯すか」

「ブエッ!?」


 妹が鼻の下まで湯に沈めた口元から泡を吐いたが、こればかりは譲れない。


「この令和の時代になんたる時代錯誤……可愛い妹を泣かせるヤツは何人たりとも許さん」


 鳴るかなぁーと思って人差し指から小指までの第三関節を押し込んでみたら、なんかゴキゴキってすごい音がしたね。


「お、お姉ちゃん……どうか穏便に……」

「わかった、穏便だね? その代わり他にも何を言われたのか教えてくれる? イヤミとか目を合わせたらため息を吐かれたとか、そんなんでも構わないから」

「えっ? ええと……」


 そして翌日の午後。

 妹からすべてを聞き出したわたしは、祖父からの連絡で警視庁の道場に呼びださるや一戦も辞さない覚悟で出向いたのであった。

 すると居るわ、居るわ……。

 当事者である柔道八段の祖父と六段の父も。オリンピックで共に闘った警視庁の猛者たちも。

 JOCや日本体育連盟の会長も、監督官庁の文部科学大臣まで……よくもまあ、ここまでガン首を揃えたものだと感心する。


「梨花よ」


 そんな中、祖父が威厳たっぷりに口を開いたけれども、その腰がちょっぴり引けてることは見逃さなかった。

 さもあらん。当時5歳のわたしに完敗した祖父は力では敵わないことを熟知しているのだから。


「誠志郎がそなたに認めたのは、あくまで職業選択の自由よ。だが、そなたがどんな職に就こうとも、それは柔の道を諦めずとも出来るのではないか?」

「うん、そうだね。わかった。わたし柔道を続けるよ」


 おおっ、という露骨なまでの安堵に満ちた歓声を前に、「ただしっ」と煮え滾る闘気を解放する。


「落とし前は付けてもらうよ? なんか沙耶にいろいろ言ってくれたみたいじゃん……やれわたしを見習えだの、もっと志を持って生きたらどうだとかさ……」

「『あっ、いやっ……』」


 異口同音にハモった二人にしっかりとダメ出しする。


「生まれつきの性別や体の大きさ、性格や向き不向きは自分ではどうにもならないのにさ……よりにもよって肉親にその事を責められた妹はどう思ったんだろうね……」


 そう言いながら駆け出し、父の胴着を掴むやすべての力の流れを反転させる。

 右足の指で畳を鷲掴みにして、右袖と奥襟で捉えた父を跳ね飛ばして床に叩きつける。

 もちろん手加減は十分にしている。わたしの力は感覚的なものにも及ぶため、その点は抜かりない。

 さて、次はお爺ちゃんか……。


「一応聞いておきますけど……これは家庭内の問題になりますが、それでもやりますか?」


 仲良く目を回して失神したお爺ちゃんを前に、わたしは居並ぶ関係者一同に訊いてみたが、誰もハイとは答えなかったので笑顔を見せた。


「それじゃお疲れ様でした。……あっ、これから家族会議なんでこの二人は連れて帰りますね?」


 よいしょっと、二人を担いで道場を後にする。

 なお、令和の今も昭和の時代に生きるお爺ちゃんたちは、事の詳細を知らされた我が家の最高権力者であるお婆ちゃんとお母さんのコンビにこっ酷く叱られて、半べそを掻きながら妹に謝ることになったのはここだけの話だ。


「よしよし。みんな笑顔で納得してくれたから、これからは第二の人生だね。お姉ちゃん頑張るよ」

「さすがに今回のことは感謝してるけどさぁ……アレで円満に解決したって、お姉ちゃんホンット脳筋だね……」


 最後に寝そべって三匹の飼い犬を愛でるときに妹がそんなふうに呆れはしたけど、わたしは元気です。



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