トリック・オア・トリートメント

吉宮享

トリック・オア・トリートメント

 少女は奇抜な出で立ちで夜道を独りで歩いていた。


 少女は駅に向かっていた。ここは都心近郊で、電車に乗ればすぐに都会の大きな駅へ行ける。

 今日そこには自分と同じように普段と一風変わった装いの若者たちが集まり、日々の鬱屈とした心を発散するにふさわしいイベントが開かれている。

 少女は勇気を出して、今日初めてそのイベントに参加するべく準備を整えてきた。

 今身に着けている衣装は、好きなキャラクターを模して自分で作ったものだ。爪やコンタクト、そして髪も、そのキャラクターに合わせた。

 普段こんな姿で歩いていては好奇の目にさらされるだけだが、今日は違う。都心に近いこともあり、仮装した若者とも何人かすれ違った。みんな目的地は同じだろう。


 そのイベントが毎年ニュースに取り上げられ、問題になっていることは知っている。

 しかし、画面の中に映る若者たちの楽しそうな姿に少女は心を打たれた。

 普段居場所がない自分も、ここなら受け入れてくれるかもしれない。そう思った。

 だから少女は、意気揚々と駅に向かっていた。

 普段の自分からは考えられないほど、浮ついているのがわかる。陰気な自分でも、この姿が勇気を与えてくれる。

 少女は鞄からコンパクトミラーを出す。自分の姿を再確認し、さらにテンションが上がった。

 しかし元気な反面、少しだけ疲れもある。最近は今日の準備のために寝不足だった。


「ふぁぁ……」


 あくびをする。誰も見ていないが口元を手で隠し、その後涙が出そうになって目元を拭う。そして、目を開いたときだった。

 

「っ!?」


 目の前に女性が立っていた。

 気配も足音もなかった。気づかなかったことが不思議なくらいの距離に、突然その女が現れた。

 特徴的なのはその長い髪。地に引きずられるほど長い黒髪は女の様相を隠しており、街灯に照らされてなお、その顔は闇に包まれている。部分的に逆立っている髪が影の面積をさらに増やしていた。

 ただ、かろうじて見える片目は、煌々と怪しく輝いていた。


「……あなた、なに?」

「……」


 黒髪の女は答えず、無言で少女に近づく。足音はなく、髪を引きずる音がずずず、と響いた。


「ひっ!」


 少女は後ずさるが、それ以上足が動かない。下手に動いたら何をされるかわからない。そんな圧が黒髪の女にはあった。

 やがて黒髪の女が、少女に手が届く距離まで達する。進行を止めた黒髪の女は、髪の隙間からかすかに見える口を動かした。


「――――」




 ◆◇◆◇◆




「先輩、コーヒー淹れましたよ」


 都内某所の交番。警官の三上は先輩警官の前の机にコーヒーの入ったカップを置いた。


「おー、さんきゅー」


 先輩警官は資料を机に置くと、カップを手に取った。


「何読んでたんですか?」

「今日のことに関する資料読み返してたんだよ。仮装して暴れる奴がいないか気をつけろってさ」

「あー、ハロウィンですもんねー」


 今日は10月31日。いわゆるハロウィンだ。

 都心の大きな駅にはなぜか仮装をした若者が集まり、街を練り歩く。問題もたびたび起こり、毎年悪い意味でメディアに取り上げられることも多いイベントだ。

 この町は都心から程よい距離にあり、イベントに向かう者も多い。実際、外を見れば仮装した若者がたまに通りがかっていた。


「ったく迷惑なもんだよ。勝手に集まって問題起こされて」

「まあしょうがないですねー。若者ってそういうの大好きですから」

「お前も十分若者だろ」

「確かに俺もああいうの楽しそうだなーって思った時期もありましたよ。でも警備する側の苦労とか知っちゃうとさすがにもうそういうのないですねー」

「ほんと、無駄な仕事が増える一方でたまったもんじゃないよ」

「まあまあ、そうイライラしないで。ただでさえ薄い髪がさらに薄くなりますよ」

「お前先輩に向かっていい度胸してんな」


 先輩警官に睨まれるが、三上は気にせず椅子に座る。これくらいの軽口は日常茶飯事だ。


「っていうかお前はお前で髪型遊びすぎだろ」

「そっすか? パーマくらい普通ですよ」


 デスク用の折りたたみミラーを見ながら自分の髪をいじる三上に、先輩警官はため息をつく。


「俺も髪型とやかく言うほど頭固くないけど、あんま緩みすぎるなよ」

「わかってますってー」


 そこで交番の扉が開き、二人の会話を遮った。

 二人が扉の方を見ると、そこに立っていたのは魔女のような格好をした少女だった。紺のローブに身を包み、その内側はカラフルな色合いの衣装で身を包んでいる。

 大きく息を切らしたその少女の瞳が二人の警官をとらえると、少女は気が抜けたようにその場にへたり込み、目に涙を浮かべた。

 これはただ事ではない。三上が気を引き締める横で、先輩警官が少女に話しかけた。


「君、大丈夫?」

「あ、あの……うっ、ぐすっ……」


 少女は何か話そうとしているようだが、動揺してうまく話せないようだ。先輩警官は少女を安心させるよう、笑顔を浮かべる。


「まずは落ち着いて。何かあったの?」

「……すみません。……さっき、女の人に急に声をかけられて……それで……」


 それから先は言葉にしづらそうに、少女は口を結ぶ。何か、言葉にするのもためらうようなことが起きたのか?

 先輩警官が三上の方を向く。二人の間に緊張が走った。

 先輩警官はまたすぐに少女の方へ向き直る。


「わかった、ゆっくりでいい。とりあえず、その女性の特徴はわかるかい?」

「……黒髪で……とても長くて、地面に付くくらい。……顔も隠れて見えなくて」


 そんな女性が本当にいるのか? しかし今日はハロウィンだし、どんな格好の人がいても不思議ではない。

 考えている三上の横で、先輩警官は質問を続ける。


「じゃあその女性とはどこで会ったのかな?」

「あっちの……コインランドリーのところの信号を曲がった先で……」


 少女が指した方向には確かにコインランドリーがあり、その横の道は街灯も少ない小道が続いている。決して人通りも多くない。


「教えてくれてありがとう」


 そこで先輩警官は三上の方を向いて「おい」呼びかけた。


「まだそいつが近くにいるかもしれん。この子の話は聞いておくから見てこい」

「わかりました!」


 三上は交番から駆け出した。




 ◆◇◆◇◆




 三上は少女が言っていたコインランドリーの前までやってきた。そのまま周囲を走り、怪しい人物がいないか探す。しかし、髪の長い女性どころか人影一つなかった。


「はぁ、さすがにもういないか」


 コインランドリーにも人はいなかった。目撃情報をあてにするのも難しいだろう。

 これはいったん戻って、少女に詳しく話を聞いてから対策を考えた方がいいかもしれない。


 そもそも、少女は何をされたのだろう。

 思い出してみる。少女は魔女のような衣装を着ていた。

 アニメのCMか何かで見たことのある格好だった。仮装して、これから駅に向かおうとしていたのだろう。

 そして少女は、女性に声をかけられたといった。それ以外に何をされたのかは聞けなかった。

 見たところ、少女には外傷や服の乱れがあるようではなかった。危害を加えられた様子がないのは良かったが、それではあの少女はなぜあんなに怯えていたのか。


 ――ふと。


 考えながら歩いていた三上は、数メートル先の人影に気づいた。街灯の向こうにいるため姿を判別できないが、誰かが立っていることは確かだ。

 怪しい人物を見なかったか話だけ聞いてみよう。そう思い、三上は人影に近づいた。


「すみませ――」


 近づきながら、気づいた。

 その人影は、異常なまでに髪が長かった。地面まで届く髪を引きずりながら、じわじわとこちらに進んでいる。

 こいつだ。

 少女の言っていた特徴に一致する、長すぎる髪。それはところどころ重力に反するように逆立っている。街灯の近くまで来てその姿が照らされるも、髪に覆われて表情が見えない。しかし目だけは赤く光って見える。仮装だとしてもたちの悪い不気味さだ。

 女性は変わらず三上に迫ってくる。服装から、三上が警官だとわかっているだろうに、逃げようともしない。

 三上は意を決して、再度女性に呼びかけた。


「すみません。少し伺いたいことがあるのですがよろしいでしょうか」

「……」


 女性は、答えない。


「質問よろしいでしょうか? あなた、そんな恰好してここでで何してるんですか?」

「……」


 答えない。

 女性に無視され、三上は少し苛立ってきた。


「聞こえてないんですか? じゃあ勝手に喋らせてもらいます。先ほど、髪の長い女性に声を掛けられたという人がいるんですが、何か心当たりはありませんか?」

「……トリ……トリ……」


 とり?

 やっと喋ったと思ったら、女性は謎の言葉を連呼している。


「なんですか? もう少し大きな声でお願いします」


 三上が言うと女性はまた、髪の隙間から除くその口を動かした。






「……トリック……オア……トリートメント」






「……は?」


 聞き間違いかと思った。お菓子かいたずらかと問う、ハロウィンの有名な文言。今この状況で、そんな言葉を出せる神経を疑った。


「ふざけないでください。こっちは真面目に聞いてるんです。……もしかして警官のコスプレだと思ってます? 本物ですよ。ハロウィンに付き合ってる暇なんてないんです」

「トリック……オア……トリートメント……」

「というか間違ってますよ。トリートメントってなんですか。トリートでしょ」

「トリック、オア、トリートメント……」


 こちらが言葉をかけても、女性はただ同じ言葉を繰り返すだけ。このまま成り立たない会話を続けるよりは、一度女性の言葉に答えて会話を進める方が良いのかもしれない。

 ――トリックか、トリートメントか。

 トリートじゃないのは気になるが、トリック、すなわち何か危害を加えられるよりは良いだろう。そう考えて、三上は答えた。


「トリートメント」


 その瞬間、女性の髪の隙間から見える口元が、不気味に吊り上がった。


「!?」


 異質な気配に、三上は後ずさる。警察学校での強面教官の武道訓練でも感じたことのないプレッシャーが、三上に重くのしかかった。


 乾いていく喉で生唾を飲みこみ、三上はその目で女性をとらえる。

 しかし瞬きの間に、女性が姿を消した。


「どこだ!?」


 首を横に後ろにと動かし、周囲を見回す。女性の姿は見当たらない。

 緊張が解けないまま、三上は物音を逃すまいと息をひそめて臨戦態勢をとる。


 次の瞬間、三上の肩に何かが触れた。


「!?」


 掴まれるような感触。見ると、街灯に照らされた真っ白な細い指が、三上の肩に張り付いていた。

 すぐに振り向くか走りだせば良かったが、背後にそびえる気配が、それを許してくれなかった。


 今度は頭を掴まれる。決して力は強くないが、生気を吸い取られるような冷たい感触だった。


「……はぁ……っ……」


 息を荒らげる三上の耳元で、女性の声が怪しく響いた。


「トリートメント……」


 そこで、恐怖が限界に達した。


「うわあああああああああああ!!!」




 ◆◇◆◇◆




 三上が出て行ったあと、先輩警官は少女の話を聞こうとしたが、少女はまだ動揺しており、話を聞けるような状態ではなかった。

 先輩警官はゆっくり少女の言葉を待ち、途中お茶を淹れて、少女に差し出した。少女はしばらく座ったままだったが、やがてカップを手に取り、ゆっくり口を付けた。何口か飲むと、こわばっていた表情が、少しだけ柔らかくなった。

 頃合いを見計らい、先輩警官は改めて、何があったか少女に質問した。

 どうやら、仮装して駅に向かう途中で突然、髪を地面まで伸ばした女性に話しかけられたらしい。

 では、少女はその女性に何を言われたのか。その答えが、これだった。


「トリック、オア……トリートメント?」


 先輩警官は眉根を寄せて、少女の言葉を復唱した。


「……トリートじゃなくて?」

「はい、トリートメントです」


 嘘をついている様子ではない。


「……それで、君はどう答えたの?」

「いたずらされるのも嫌なので……トリートメントと答えました。そしたら……」


 言葉の途中で少女はまた涙を浮かべる。どんな悲惨な思いをしたのか、その先の言葉は出てこなかった。先輩警官はまた、少女が落ち着くまで待つことにした。




 ◆◇◆◇◆




 気がつくと、三上は固く冷たいアスファルトの上で倒れていた。


 固く冷たいアスファルトの上で横になっていたせいで、体が痛い。しかし、頭だけは妙にすっきりしていた。

 いや、目覚めたばかりで脳は靄がかかったようにぼーっとしている。すっきりしているのは脳というより……頭皮?

 そもそも自分はなんで倒れていたんだ?

 働かない頭で少しずつ記憶を探ると、すぐに思い出した。


「――っ! そうだ!」


 三上は気を失う前に、髪の長い不気味な女性に襲われたのだ。この小道で、最後に頭を掴まれたところまでは覚えている。そこで自分は気を失ってしまったのか。


「やべっ!」


 重大なことに気づき、三上の頭は一気に覚醒した。気を失っている間に盗まれたものはないか。もし盗まれていたら大問題だ。

 すぐに所持品を確認する。警察手帳、階級章は問題ない。拳銃、警棒、手錠、無線機もすべて帯革についている。制服も元の通り着たままで問題なさそうだ。腕時計もしたまま。ついでに時間を確認する。自分は十分程度気を失っていたようだ。

 他にも確認したが盗まれたものはないようで、三上は胸を撫でおろした。

 しかし、安堵すると同時に今後は疑問が湧いた。

 自分の状態を確認するに、見える範囲では何もされた形跡がないのだ。地面に横たわって凝った体以外は痛いところもない。

 一体あの女性は何だったのか。周囲を見渡してももちろん女性の影はない。狐に化かされたような気分だったが、ひとまず三上は交番へ戻ることにした。


「せっかく見つけたのに取り逃がすなんて、先輩に何言われるか……」




 ――――――――――




「先輩、戻りました」


 三上が交番に戻ると、先輩警官と少女が机を挟んで座っていた。

 三上の声に先輩警官は顔を上げる。


「三上! どうだった? 例の女性は見つかっ――」


 途中で、先輩警官は言葉を止めた。三上の顔――いや、頭をじっと見て固まっている。少女も口を開けたまま、怯えるようにこちらを見ている。


「……お前、なんか変わったか?」

「……なんかって、なんすか?」


 自分の状態に問題がないことは確認したはず。何か目に見えた変化があれば気づくはずだ。


「何って……お前鏡見てみろ」


 すぐに、机の上の折りたたみミラーを手に取り自分の顔を映した。


「なんじゃこりゃあああああ!」


 鏡を見ると一目瞭然だった。

 三上は鏡に映る自分の頭の――髪の変化に気づく。


「サラサラじゃないっすか!!!」


 先日パーマをかけたばかりの髪が、サラサラのストレートに変わっていた!


「うっそ、なんで!?」

「なんではこっちのセリフだよ。なんで十数分前に人追っかけて出てった奴が髪セットして帰ってくんだよ。美容院にしても早すぎだろ」


 先輩警官が冷ややかな目で見てくる。


「行ってないっすよそんなとこ! 俺ただこの子の言ってた女性に合ってそれから何されたかわかんないけど気を失ってて気づいたら――」

「わ、私の時と同じです」


 驚きの声をあげる三上の横で、少女が泣きそうな顔で口を開いた。


「……私も、せっかく今日のために髪を染めて、一時間かけてセットしたのに……元の黒髪ストレートに変えられてしまったんです!」

「え?」


 先輩警官が間の抜けた声を出す。


「えっと……確認なんだけど、君がその女性にされたことって、髪型を変えられたことなの?」

「そうです! せっかく今日のために髪を染めて、一時間もかけてセットして、自分でも完璧な仮装に仕上げてたのに……なのに……」


 少女はまた泣き出してしまった。

 言われてみれば、その姿は少しだけ違和感があった。魔女風のキャラクターの衣装に身を包みながら、少女の髪は黒髪ストレートだったのだ。髪型だけが、キャラクターと異なっていた。


「くそっ! パーマかけるのに何円かかったと思ってんだよ! 金返せよ!」


 三上も悔しげな表情を浮かべていた。

 先輩警官は正直、そんなことで……と思ったが、とても口に出せる雰囲気ではなかった。




 ◆◇◆◇◆




「ユルサナイ」


 暗い夜道に、怨嗟の声が静かに響いた。声の元は、地面に引きずるほど長い髪をした女性のような影。しかしそれは、人間ではなかった。


 その妖怪の名前は『髪鬼』。

 元は人間の女性だったが憎悪、怨恨、嫉妬心などが頭髪に宿り妖怪となった存在で、伸び続けた髪を鬼の角のように逆立てている。

 生前から癖の強い髪に劣等感を持っていた髪鬼。その強い負の感情は今、特定の人間たちにのみ向けられていた。


「カミヲキズツケルヤツハ、ユルサナイ。セッカク、キレイナカミヲ、モッテイルノニ……」


 髪鬼は、人間が自ら髪を傷める行為を許さない。染めることを許さない。パーマを許さない。見つけ次第、髪を操る力で強制的に相手の髪を本来のあるべき姿へと変貌させていた。


「モット……カミヲ、ダイジニシロ」


 それは自分に無いものを持ち、あろうことかそれを捨てようとする者への戒めだった。……というかただのやつあたりだった。

 髪を大切にしないと、あなたの前にも髪鬼が現れるかもしない。

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