新・生物
@kazumaru0305
1章 狼は目覚める
プロローグ さよなら半年間
「この調子なら、健介君は来年も良い成績を出せるでしょうね」
健介は隣にいる母親と一緒に、先生の話を聞いている。先生は正面に座っていて、健介に関わる資料を読みながら進路のことや成績のことについて語っている。
「いつもごめんなさい。体育をレポートで大目に見てくれて」
健介は体育の話になると、露骨に下を見てしまう。
「いえ、体が弱いのは仕方のないことです。謝らなくて大丈夫ですよ」
先生は眼鏡の向こう側で微笑む。
「もうお時間ですが、なにか質問はありますか?」
先生がそう尋ねると、健介の母親は静かに首を横に振りながら「大丈夫です」と答える。その後は廊下で待っている親子とすれ違いながら、健介たちは学校の外に停めてある車に向かう。
「いい先生じゃない」
「……うん」
健介はスマホでゲームをしながら答える。
「今日は、夕飯何がいい?」
「なんでもいい」
健介の母親は苦笑いをして「わかった」と言う。彼女は鍵を掛けて、アクセルを踏み込んで出発する。
スーパーに向かうまで2人は無言だった。健介はスマホでずっとゲーム。母親はその姿をミラーでチラチラ見ることしかしなかった。
車は4階建ての巨大な駐車場に到着する。駐車場の、横断歩道を挟んだ向こう側に巨大なスーパーがある。
「一緒に来る?」、と母。
健介は首を横に振る。
「分かった。じゃあ待っててね」
しばらく健介はゲームを続ける。アクションゲームで、あり得ないような動きをするキャラクターを操作している。笑顔で体を動かしているキャラを見て、健介は「いいなぁ」と呟いた。
母親が買い物に行ってから5分後、健介は運転席の扉にあるポケットに、母親の財布があることに気づく。
「はぁ……」
健介はため息を吐いて母親の財布を持ってスーパーに向かう。
行く途中、健介は歩きながらゆっくりと息を吸って吐く、を繰り返している。中途半端な呼吸ではすぐに疲れてしまうからだ。
駐車場の1階にエレベーターで向かい、健介は横断歩道を歩く。信号はちゃんと緑色に光っている。
その時は一瞬だった。
健介は、誰かの叫び声と同時に横を振り向く。中型の自動車がかなりのスピードで健介に迫ってきたのだ。
「え……」
健介は一瞬にして宙に飛ぶ。もうその時には意識は無かった。
「…………さえあれば、きっと……きっと成功する!」
健介はうっすら目を覚ます。誰かが嬉しそうに声をあげていた。けど、それはどうでも良かった。健介は今、生死の境を彷徨っている。
—もう死ぬんだ。だから、せめて……静かにしてくれ。
「……ながった! いいぞ……っと……が……!」
健介は自分の意識が遠のいていくのをしっかりと感じる。
—あぁ、もし生まれ変わるなら……体をいっぱい動かしたいな
「はい。あの状態から意識まで復帰するのは奇跡としか言いようがありません。普通ならば、助かっても植物状態でした」
健介の事故から1ヶ月後、彼の母親は電話越しに医師の話を聞いていた。内臓破裂、全身骨折、脳に損害まであったはずなのに、健介は意識が復活したのだ。
体の方はまだ機能するには不十分すぎるが、生きているだけでも奇跡に近いのだ。
「あぁ……息子は無事なんですね……!」
「はい。今は病室で過ごしてますよ。10時から14時までならいつでも来ていいので、是非」
「はい……ありがとうございます!」
そう言って健介の母親は膝から崩れ落ちて、床の上で大粒の涙を流す。
「それで、僕はどのくらい入院するんですか?」
健介は、朝食を持ってきてくれた看護師に尋ねる。看護師の名前は
健介は、入院生活の楽しみの殆どが毎日のスマホゲームのログインボーナスと、看護師の彼女と話すことになっている。
「そうね……先生は半年って言ってたわ〜」
健介は軽く絶望する。
「そんなに長いんですね」
「うん。下半身が凄いことになってるから……かろうじて立てるようになるまでにもかなりの時間を要するって」
健介は盛大にため息を吐いてから、涙目を隠すために窓の方を見る。
胸を張って楽しい学校生活とは言えないが、友人はいたし健介なりに楽しんでいた。高校3年生は受験の期間と考えると、健介が青春を送るはずだった期間の4分の1は病院のベッドの上で過ごすことになる。
そんな事実を噛み締めれば噛み締めるほど、健介は涙を抑えられなかった。
海美は健介の涙を察して静かに部屋の外に出ていく。散々泣いた健介はようやく呼吸を落ち着かせて朝食を食べ始める。
おかゆ、味噌汁、鮭を食べ終えた健介はスマホに手を伸ばす。スマホのロック画面には友人や家族からのメッセージが届いている通知が表示されてある。
「うわ、こんなに」
メールでのやり取りをしている間、健介は自然と微笑んでいた。それと同時に、また会いたい、話したいという虚しさも込み上げてきた。
入院している間、健介の生活はそれなりに有意義だった。リモートで授業を行えたし、友人と通話もした。食事を届けにきてくれる海美との会話も、健介の幸せの一つだった。
それに、休日になると度々母親が来てくれることもあった。
「調子はどう?」
健介の母親は入室してそう言う。
「うん、リハビリもけっこう上手くいってるよ」
健介の母親はそれを聞いて微笑む。それから他愛もない話をして、気付けば1時間も時は経っていた。
「もう時間かな……じゃあね」
健介は軽く手を振って、母の後ろ姿を見送った。
それから半年が経ち、健介はついに退院の時を迎える。健介は自分を見てくれた先生、そして海美にお礼を言う。
「ありがとうございました」
「うん。不謹慎かもだけど、健介君と別れるのは少し寂しいな」
海美はとびきりの笑顔を見せてくれる。健介も自然と笑顔になる。
ちょうど母親が迎えにきてくれたところで、健介はお世話になった人たちにお辞儀をして車の方に向かう。その時、健介を手術してくれた先生がやってくる。柳生、という苗字の眼鏡をかけた先生だ。
「退院おめでとう。健介くん」
柳生はそう言いながら健介の右肩を左手で軽く叩く。それで終わりかと思いきや、柳生は離れる際にボソッと、健介にしか聞こえない声で呟いた。
「異変を感じたら、独りで来てくれ」
健介は何のことだろう、と柳生を見つめたが、後ろからの母の呼びかけですぐに切り替える。
これで健介の半年に渡る入院生活は終わりを迎えた。
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