君の瞳に映るもの

上条 樹

第1話

淀川の河川敷で男性の遺体が見つかった。


体には目立った損傷は見つからず、体内から微量のアルコールが体から検出された。

身元の特定も出来ず、酒に酔った浮浪者が川で溺れて亡くなった事故として処理されるそうだ。事件性も無く、警察としても調査する時間がもったいないというところであろう。

遺体は無縁仏として荼毘にふされた。


「おはようございます」玄関を出ると、隣の住人の姿が目に入り声をかけた。


「おはようございます…」彼女は、左手で垂れた長い髪を押さえながら、スニーカーの踵を右手の指で整えながら、少しお辞儀した。黒い眼鏡にマスク、黒いパーカーにジーンズと地味な格好である。


「寒くなってきましたね」暑い夏が終わり季節は冬に向かって変化している。着る物に困る季節だ。


「そうですね…。それじゃ…」そう言い残すと、彼女はハイツの階段を駆け下りていった。


「相変わらず、愛想がない娘さんだな…。」仮谷は、一週間ほど前に、とある事情で関東から転勤で引っ越してきた。独身寮もあるのだが、プライベートは同僚とは距離を置いていきたい。それが仮谷の主義であった。

小さな不動産会社から紹介された、この物件は署まで一駅、いざとなれば歩いて通勤も可能な距離であった。二階建ての少し古いハイツでオートロックはない。まあ、大した物も無いので、泥棒の心配もないだろう。

ただ、隣に若い女性が住んでいたことには、少し驚いた。とても女性が一人暮らしで選ぶような物件では無いだろうと思っていたからだ。


部屋の鍵をかけてから無造作にズボンのポケットに放り込む。少しジャラジャラと音がするが気にならない。そういう事に彼は無頓着な性格なのであった。


ハイツの階段を降りて駅への道を歩いていくと何やら揉めている様子であった。朝から面倒な事に巻き込まれて遅刻するのも鬱陶しいが、仕事柄、放置する訳にいかず声をかける。


「どうかしましたか?」


「はぁ?」二人組の男があからさまな敵意をもって振り返った。その手には女性の手首が摑まれていた。


「あ、君は?!」仮谷は女性の顔を見て少し驚いた。それは隣の部屋に住む彼女であった。


「なんだ、オッサン!この娘の親かなんかか?」威嚇してきた。


「親!?」仮谷は今年で三十路であった。彼女は、どう見ても二十代半ばといったところであろう。男達の言葉を聞いて、彼は少し口角を歪ませた。


「この娘がぶつかってきて、転んでポケットに入れていたロレックスが壊れたんだ!弁償してくれよ!」男は掌に乗せた時計を差し出した。確かにガラスが割れている。


「私…、ぶつかってきたのは、その人ですし…」彼女が口を開いた。少し泣きそうな顔になっている。どうやら、あからさまな当たり屋のようである。大人しそうな女性を狙ってワザとぶつかり、初めから潰れていた時計を見せて金銭か何かを要求しようとしているのであろう。


「彼女は、こう言っているが」仮谷は男の手を女性の腕から剥がすと、彼女を少し引き寄せた。


「ふざけるな!」男の片割れが手を振り上げると仮谷になぐりかかってきた。それをかわすと、前のめりになった男の腹部に仮谷は膝蹴りした。「うげ!?」男は顔を歪ませて、蹴られた腹を手で覆いながら跪いた。


「何をするんだ!?」


「後は署で聞こうか?」仮谷は手帳を胸ポケットから出すと男に見せた。


「ゲッ!警察…!」男は目を見開いた。思いもしない展開に仰天しているうであった。


「どうする?」


「あっ、いやっ…、思い出した!この時計、元々潰れていたんだった!俺の勘違いだ」そう言い残すと、早々逃げていく。


「まっ、待ってくれ!」片割れの男もその後をヨレヨレしながら追いかけていった。


「有難う…ございます」彼女は頭を下げてお礼を言った。


「いいえ、まだあんなの居るんですね。驚きました」仮谷は頭を警察手帳の角で軽く搔いた。


「警察の方だったのですね」意外だったのか、少し驚いたような顔を見せた。


「あっ、ええ、一応…」笑って誤魔化した。


「じゃあ…、安心ですね」微笑みを返してきた。彼女の笑顔を初めて見た。しかし、その眼鏡の奥に仮谷を警戒しているような雰囲気を彼は見逃さなかった。

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