第28話 かわたれどき

 少女が目を覚ました頃には、雨音は聞こえなくなっていた。代わりに耳に入るのは、自分のものではない寝息。傍らの生首は未だ夢の中らしい。

 起こさないように気を付けながら、少女はソファーから降りる。寒い。靴下を履いておいて良かったと思いながら、自室に向かって身支度を調えた。

 ダイニングに戻っても生首は眠ったまま。静かに朝食を終えても生首は眠ったまま。起きぬ生首に用はなし、少女はいつも通りに魔法の修行をする。

 そうすれば、時間はあっという間。

 生首や吸血鬼と暮らすようになってから、昼夜は逆転した。どれくらいの時間から外が明るくなるか分かるようになってきたが、露に濡れた窓の向こうを見ても、夜闇に包まれたままだ。

 十一月も、終わる。日の出は遅い。


『かわたれどき、だそうです』


 いつかの吸血鬼の言葉を、ふと思い出した。


『明け方の、相手の顔も分からない時間帯のことを言うらしいですよ』

『なら、夕方には何かある?』

『確か……たそがれどき、と言ったような』

『ふーん』


 ……吸血鬼の姿を見なくなって、何日経ったか。

 生首に訊いても答えてくれない。心当たりは何もない。どれだけ待てば、吸血鬼は帰ってくるのだろうか。

 少女は修行の手を止めて、空を仰ぐ。

 雨は止んだ。曇天の下、湿った地面に敷物を引いて、いつも通りに洗濯をしていた少女。

 吸血鬼がいないと洗濯物の量が少ない。何回も何回も衣類を洗えば、色落ちするだろうし布も傷む。洋館中のシーツとカーテンを回収して洗うべきか。──そこまで考えて、ふと、思い出す。

 納屋に用があった。

 そこに毛布があるかもしれないから、探したかったのだ。

 少女はすぐに立ち上がり、洗濯物を魔法で片付けると納屋に向かう。錠が掛かっていたが魔法で開け、湿っぽい中へと入り込む。それなりに広く、照明もない。魔法で瞳を光らせ、時々息を止めながら、目的の物を探していった。


「……あった」


 収納袋に包まれて、何枚か積まれている。自分の分はもちろんとして、吸血鬼の分も魔法で持ち上げて、外に出た。途中までは順調に歩けていたが──ふいに、頬に雫が落ちる。

 足を止めて空を仰げば、ぽつりぽつりと、雨が降り始めた。

 少女はしばし考えて、持ち上げていた毛布を洋館に飛ばし、後から自身も飛ぼうとしたが、


「……っ」


 温室が目に入り、やめる。

 十一月の冷ややかな雨が少女の身体を濡らしていくが、少女は立ち尽くし、しばし温室を見つめ続けた。


『修行中は絶対に温室に近付くなよ、何をされるか分からないからな』

『魔法で何とかするよ』

『できてなかったのは誰だ?』

『……ぬう』


 この間は不意打ちだったから。

 中がどうなっているか分かっているし、魔法の効果も続いている。何より修行の成果は出ているんだ、何があろうとどうにでもできるはず。

 生首は少女のことを、心配しすぎなんだ。

 少女の足は、温室に向けて動き出す。


「……こんばんわ」


 ──誰だ。

 ──裏切り者か。


 囁き声はどこか不吉で、すぐにでも引き返したくなる少女だが、生首と吸血鬼の顔を思い出して、ぐっと堪える。

 実践練習だ。

 一日でも早く、生首を元の身体に戻してやりたい。吸血鬼の苦悩を和らげてあげたい。

 それだけの為に。

 中に入り込むと全身を風で乾かし、魔法で造り出した革製の分厚い手袋を両手にはめ、近くの棚に近付いて、適当な鉢から黒い髪の生首を取り出した。


「なにをする」

「元に戻すの」

「うそつきめ」

「……そうなったら、ごめんね」


 黒い髪の生首が辺りを見渡せるように持って、散らばる胴体へと近寄る。


「この中に、貴方の胴体はある?」

「おとくいのまほうで、みつけられないのか」

「……それができたら良かったけど……駄目だった。魔法で阻害される」

「やくたたずめ」

「うん」


 意気揚々とやってみた探索の魔法が不発に終わった時、生首と吸血鬼は少しも責めなかったが、それでも、少女はずっと自分にそう言い続けてきた。

 何でもできるはずなのに、何故、できなかったのか。

 自身が魔法使いとして未熟だから、見つけ出すことができなかった。なら、励むしかないと修行に打ち込んで──今、どれだけできるのか、少女は試してみたい。


「お願い、やってみて」


 黒い髪の生首は舌打ちをし、もっと胴体に近付けろと命じる。少女は言われた通り、黒い髪の生首を胴体に──。


「ちょっ」


 突如、黒い髪の生首が暴れだす。

 身近な生首が基本動かないから知らなかったが、どうやら首だけでもいくらか動くらしい。

 右に左に激しく揺れ、魔法で大人しくさせようと目に力を込めるが──足元が疎かになっていた。右足が左足に絡まり、地面に倒れ、そして、


「──っ!」


 少女の首に、鋭い痛みが走る。


「これだ、これだ!」


 生首の時とはまるで違う行為。

 いつもは恥ずかしくなるほどの気持ち良さを感じるというのに、今はただただ、痛めつけられ、損なわれ、意識が遠くなっていくだけ。


「──すいつくしてくれるわ」


 それは困る、困るが、抵抗することも、拒絶の言葉を口にすることもできない。

 まだ、生首を元に戻していないのに。

 約束を守れていないのに。


「あ……しゃ……」


 声は、どこにも届かない。

 少女の命が、間もなく──消える。

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