第21話 飾り

 従者たる吸血鬼の外出は、自身の食事をおざなりに、少女の食事や必要な物の買い出しと、主たる生首の胴体探しをメインに行われてきた。

 何者にも頼れない日々に余裕はなく、目的の為に足を動かすばかりだったが──心境の変化があったせいか、ふと、まるで予定になかった雑貨屋の前で、吸血鬼は足を止めた。

 少女と同じ年頃の女学生達が中に入るのを見たからか、甘ったるい匂いに少女を連想したからか、もしくは……店頭に並べられた簪が、偶然目に入ったからか。

 全体的に赤いそれは、枝のような形をし、先端部分に満開の桜が咲いている。

 可愛らしさと大人っぽさを併せ持つ簪、それを少女が付けている所を想像していたら──吸血鬼は店内へと足を踏み入れていた。

 自身に向けられる視線を無視して、簪を手に取るとレジへと進む。


 ──あの黒髪のお兄さん、素敵。

 ──背筋ぴんとしててかっこいい。

 ──そう?

 ──え?

 ──長い黒髪、素敵じゃん!

 ──うーん……。


 吸血鬼の聴覚は優れているが、正直どんな囁きも、生首達のそれを思い起こして不快になるだけだった。


◆◆◆


 食材を全て冷蔵庫に仕舞うと、吸血鬼は書庫に向かう。


「シャムロック様、カエデ、ただいま帰りました」


 返事はない。

 揺れる少女の後頭部。忙しなく手と目を動かすのは、古びて端の破れた本。時おり隣に置いたノートにペンで何かを書き込んでいる。

 傍には生首も控えているが、閉じた瞼は当分開きそうになく、耳を澄ませば寝息も聞こえてきた。

 勤勉なる少女と微睡む生首の様子に、吸血鬼は気の抜けたような笑みを浮かべ、机の上にそっと物を置いた。

 ──少女の為に買った、赤い桜の簪。


「……アスター?」


 音が耳に入ったのか、本から顔を上げ、少女が振り返る。


「ただいま帰りました」

「おかえり。シャムロッ……あれ?」


 生首が眠っていることを知っているのか、呼び掛けようとして顔を動かした所で、簪の存在に気付いたらしい。ゆっくりと手に取って、色んな角度から覗き込んでいる。


「アスターが買ってきたの?」

「似合いそうだと思いまして、つい」

「うん、きっと似合うよ。隣に座って」


 簪を机に戻すと、自身の隣にある椅子を引いて座るよう促してくる少女。はてと思いつつ、吸血鬼は求められた通りに、そこへ腰掛けた。

 少女は無表情ながら、どことなく楽しそうな顔で、吸血鬼の髪に手を伸ばし──束ねたゴムに指を引っ掻け、下へと動かす。解けた髪はあっという間に吸血鬼の肩や腰を隠してしまった。


「あの、カエデ?」

「お団子、あんまりやったことないけど、頑張る」


 立ち上がろうとしたものだから、吸血鬼は素早く少女の肩を押さえてそれを防ぐ。少女は静かに首を傾げた。


「お団子、できない」

「カエデ。この簪は、私から貴方へのプレゼントですよ」

「……何で?」

「……何となくです」


 気恥ずかしくなってきたのか、吸血鬼はそっと視線を逸らす。


「アスターの方が似合うよ。背がすらっとしてて美人さんだし」

「普通ですよ、私なんて。貴方に似合うと思って買ってきたのに……いらないのですか?」

「……くれるなら、欲しい」

「そう言ってくださると、助かります」


 柔らかな笑みを浮かべると、吸血鬼は立ち上がり、少女の背後に回って、二本に結んだ少女の髪を解こうとし──ちょっと待ってと静止が入った。


「櫛、ないよね」

「……確かに。失念していました」

「持ってくるよ、待ってて」


◆◆◆


 地面に横たわる少女。


 首には酷い噛み跡があり、破けた皮膚からは止めどなく血が溢れている。その肌は徐々に白くなっていき、傷口を押さえようとする身体の動きも弱くなっていた。

 そんな少女の傍には──どこもかしこも血にまみれた吸血鬼が立っており、死にゆく少女を静かに見下ろしている。


◆◆◆


「アスター!」


 従者の名前を呼びながら、生首は目を覚ます。


「……?」

「どうかされましたか、シャムロック様」


 少女も従者も、不思議そうに生首を見つめてくる。どちらも血に汚れてはいなかったが、いつもと装いが違うようだった。

 二本結びにしているはずの少女は、お団子の形に髪を結い、何やら真っ赤な桜の棒、いや簪をそこに突き刺している。

 従者はいつもと変わらないようで、その実よく見ると、髪を束ねているのが黒いゴムではなく、えんじ色のリボンになっていた。

 息を止めて、少女と従者を何度か見比べた後、呼吸を再開させる。


「……悪い夢を、視ただけだ」


 きっと、それだけ。

 変なシャムロック、などと言いながら、少女はどこからか手鏡を取り出して、生首の前に出した。

 何を見せられたのか、一瞬生首は分からなかった。


「……これは?」

「カエデのお古」

「何で」

「シャムロックにだけ何の飾りもなかったら、可哀想だと思って」


 生首の普段隠された左目を晒すように、可愛らしい白熊のヘアピンが、いつの間にやら付けられていた。

 二度三度と瞬きをした後で、名指しもせずに取れと命じた。少女はもちろんとして、何故か従者も動かない。


「どっちでもいいから、これ、取ってくれ。左目が出ているのは落ち着かない」

「いつも何で隠しているの?」

「実は私も気になっておりました」

「特に理由はない! 取ってくれ!」


 怒鳴り声を上げられても、少女と従者は顔を見合わせるのみ。


「理由がないなら、たまにはいいよね」

「ですね」

「裏切り者め!」


 こんな会話を、十分。

 仕方ないね、と言って少女がヘアピンを取っても、いつも通りが一番ですねと従者が言っても、あるはずのないへそを曲げた生首は、その日一日口を開かなかった。

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